第45話魅惑の悪魔は誉め言葉

「ミア! ミア!」

「……やられたな」

「犯人はわかり切っていますが、やはり姿は見えないですね」


 サタンが悔しそうにカイルの手の中の黒いナイフを見た。クロムも宙から降りてきて周囲に視線を走らせるが、誰の姿もない。犯人は当然姿を消したケルベスに違いないが、それを証明する術はない。


「くそっ! 魔王……よくも……」

「カイル……だいじょぶ、だから……ちが、聞いて……」


 ミアが苦しそうに浅く息を吐きながら、カイルを見あげた。人間ならばそれなりに重傷だろうが、悪魔にとってはかすり傷の部類だ。今は少し辛いが、少し休めば自然に治るくらいの傷。騒ぐことでもないのだが、カイルは今までにないほどの気迫でサタンを見ている。


「わざわざデザイン似せてきやがって……俺じゃねぇっつっても絶対信じねぇだろこれ」

「でしょうね。ミアはわかっているようですが」

「あいつはちゃんと俺の部下だ」

 

 サタンとクロムが見ているのは、カイルを必死に止めようとしているミアの姿だ。しかしカイルの表情は最初にサタンと出会った時よりも更に鋭く、手の中の聖剣の輝きは眩しい。あまりの量の聖なるオーラに危機感を感じたミアが飛んだ。聖なる光は悪魔を祓う事も、カイルは知らない。


「ミアが、悪魔だとしたら……お前の部下じゃねーのかよ……」


 カイルはそう呟きながら、光り輝く聖剣を構えた。もしミアが天使ではなく最初から悪魔だったとしたら、カイルは大勢の彼女の仲間を殺したことになる。それを反省しようとしていたところでの、大きな裏切り。カイルはもう、何を信じればよいのかわからなくなっていた。


「何だよ。魔王ってやっぱ悪いやつなんじゃねーか」


 全身が白く輝く。煉獄の大きな広間が一瞬真っ白になるほど、強烈な光がカイルの身体から噴き出るように広がった。サタンとクロムとミアはそれぞれ広間の端へと大きく下がり、それぞれ魔のオーラで身体を覆ってやり過ごす。やがてその光は全て聖剣へと集約され、光り輝く聖剣を大きく振り上げながら、カイルはサタンへと走っていった。


「うおぉおりゃぁぁあ!!」

「あーくそっ! 剣じゃ無理だ……壁で行けるか?」


 サタンはカイルの攻撃を横に避け、自分と彼との間に漆黒の壁を創り出した。しかし聖剣は難なくそれを切り裂き、またサタンに向かってくる。


「サタン様!」


 次にクロムの氷塊がいくつも剣に正確に当たった。充分距離を取った威嚇用の小さな雷がいくつも落ちて、少しずつ聖なるオーラの勢いを削いでいく。サタンもいくつもの壁を創り出して少しでも相殺しようとしたが、そんなものではとても対応しきれないほど、聖剣の勢いは凄まじかった。


「だめぇ! 待ってカイル、違うの! 聞いて!」

「危ない、下がってろ。あれに当たったら消えるぞ」

 

 今にもカイルの前に飛び出していきそうなミアを、クロムの長い腕がしっかりと押さえる。カイルの視界の端にそれが映ると同時に、怒りと嫉妬がグワッと彼の心を支配した。


「ミアに触るなぁ!!」


 急に方向転換してクロムに向かっていったカイル。それを見て、クロムはミアを突き飛ばすように横に押し、聖剣を阻むように炎の壁を創り出した。温度の低い炎はカイルの肌を少しも焼かないように調整済みだ。しかし、カイルは一瞬怯み、そしてミアが視界から消えた不安と焦りで混乱したまま、聖剣を炎の壁目掛けて一気に振り下ろした。


「やっべぇ……避けろ!!」


 その暴力的なまでの聖なるオーラの塊に、危機感を感じたサタンが叫んだ。それに反応したクロムがすぐに上へと飛びあがる。パカリと炎が割れて、天秤を壊したときのような聖なる刃が炎の間から飛んで行った。


「まずいな」

「最悪ですね」


 どこにも当たらず勢いをそのままに、扉もない広い階段の入口を、聖なる刃が明るく照らしながら降りていく。クロムとサタンは血相を変えた。もしあれだけの聖なるオーラの塊が地獄に到達してしまったら、最悪地獄が消えてしまうかもしれない。


「止めます」

「いや俺が行く」

「駄目です。サタン様は……」

「お前じゃ無理だ」


 サタンの真剣な表情に、クロムは一瞬動きを止めた。クロムは強大な力を持っているが、サタンには遠く及ばない。もし自分の命を全て懸けても守れなかったら無駄死にの上に地獄を危険に晒す事になってしまう。


「お前は勇者な。一番厄介なのを任せる……わりぃな」


 クロムが何とか自分が代わりに行けないのかと考えているうちに、トン、と肩を叩かれ、右手に何か固いものが当たった。それを強く握らされ、サタンの声がいつになく早口で耳に入る。

 

「さっき継承は済ませた、今からお前がマスターな。コレ、無くすなよ。引き継ぎは間に合えば後で」

「…………は?」

「じゃ」


 右手に何を持たされたか確認したクロムは、あらゆる感情が抜け落ちた真顔のまま数秒固まった。半分に割れた歪な半円。金色の輝きは失っているが、クロムにはそれが何かすぐにわかった。


(金印……右側だから「任命印」……そして「継承済」……)


 今クロムに与えられたのは、サタンの今持つ全ての権限。おそらくあの刃を止めるのに命を懸けるつもりなのだろう。早く止めなければと素早く隣を見ても、サタンはもういなかった。


「くそっ! あの魔王、いつも勝手に……っ!」


 思わず悪態が口から飛び出すほど、クロムは焦っていた。早くどうにかしなければならない。


(さっさと勇者を殺して俺が地獄に堕ちれば……いや、それじゃどのみちサタン様のフォローにも行けないか。マスターも継承してしまったし、任命印も……厄介だな)


「よそ見してる場合じゃねーぞ!」


 カイルが再び迫ってきた。クロムは飛び上がって避ける。先程までクロムが立っていたところは、タイルが粉々に砕かれて大きな窪みができていた。カイルが斬る、クロムが避ける。たまに聖剣に氷塊をぶつけ、ステップを踏むように勇者を被害の少ない場所へ誘導するクロムは、もう二度と地獄への階段を背にはしない。


「かかって来いよ、腰抜けっ!」


 何度目かの攻防で、カイルが大きく剣を振り上げたその時。ふわりと彼の赤い髪に触れた冷たい手の感触が、彼の動きを鈍らせた。


「……ミア?」

「カイル。私の目を見て」


 振り返るカイルに、ミアは視線を合わせる。大きな深い紫の瞳が怪しく輝き、地獄一の美女が蕩けるように微笑んだ。


「待て、ミア! それは……」


 クロムが止めようと腕を伸ばした時には、カイルの瞳から光が消え、だらりと垂れた腕から聖剣がカランと落ちていった。静寂を取り戻した煉獄で、ミアがゆっくりとクロムに向かって歩いていく。


「えへ……やっちゃった」


 困ったように肩を竦める彼女のその表情は、いつも失敗を報告してくる時と同じだ。しかし、よく見ると身体が震えている。人間相手に魅了を使う。それは、決死の覚悟の十三条違反。


「……いや。十三条は「他種族を傷つけてはならない」だ。奴は傷ついてはいない……判断は微妙なとこだが、死刑にならずに軽い罰で済むかも……」

「ううん、いいの。もう二度とこんなことが起きないように、ちゃんと地獄に送らなきゃ」


 ミアはカイルを見た。愛し気に、仕方なさそうに。暴走しがちな亭主を諫める妻のような優しい微笑み。彼とともに地獄に堕ちると決めているようなその表情を見て、クロムは止めるのを諦めた。


「一緒に行くのか」

「うん」

「最下層だぞ」

「ちゃんとわかってる……ねぇせんぱい」

「何だ?」

「頑張るから……勇気出すから。もう一回、似合うっていって」

「……仕方ないな……」


 クロムは不安そうに揺れる瞳に初めてしっかりと視線を合わせた。悪魔としての誇りを胸に、ただの同僚に過ぎない自分が出来ることは、そっと背中を押すことだけだ。


「お前はどこの世界の誰よりも、魅惑の悪魔に相応しい」


「ふふ。ありがとせんぱい」

 

 ミアは小さめの黒い翼をいっぱいに広げて再び抜け殻になったカイルの元へ向かい、残りの全ての力を込めて、カイルの唇に唇を重ねた。人の魂を抜くことが出来るのは知っていたが、この能力を使ったのは初めてだ。カイルの崩れ落ちた身体から魂が抜ける。普通の人間の魂よりも光り輝くそれをそっと包みこんで、ミアは最後にクロムを見た。


 彼に向けるのは、いつだって甘えるような後輩の笑みに、少しだけ親愛の情が加わったものだ。それを見ながら、クロムはミアに向けて手を翳した。継承したばかりのマスターとしての最初の仕事は、仲間を地獄に堕とす事。

 

「ミア。マスタークロムの名の下、地獄法十三条違反により最下層行きを命じる」


 彼女の身体が金色に輝き、黒い煙が噴き出す。身体が半透明に透けたミアは、クロムに向かって手を振った。

 

「せんぱいばいばい」

「……悪いが、お前の不幸は力にならない」


 苦く言ったクロムにミアが笑う。そこまで見て、クロムは先に翼を大きく広げて地獄への階段を猛スピードで下りていった。この階段の下では、おそらくまだサタンが聖なる刃と戦っている。今から最速で飛ばせば少しは加勢できるかもしれない。

 

(まだ間に合うか……サタン様にマスターを返して俺の命を懸ければ、少なくともサタン様は助かるかもしれない。魔王さえ生きていれば地獄は立て直せる)

 

 魔王がいない地獄など想像もできない。最悪の未来を振り切るように速度を上げて、クロムは翼を大きく動かした。やがて白い階段に灰色が混じり、それが徐々に濃く、黒へと変わっていく。地獄が近づいている合図だ。


(頼む、間に合え)


 全身全霊を込めて急ぐクロムの速度はいつの間にか最高速度を超え、やがて少し遠くに光の矢と、それを全力で押し戻そうとしている黒い翼を小さく捉えた。しかしもうサタンと刃との間にはほとんど距離が無いように見える。


(見えてきた! 駄目だ、間に合わな……っ!!)


 焦るクロムの耳に、シュッと一瞬風を切る音がした。目の前に白い翼が、自分と同じ方向へ少しの迷いもなく飛んでいく。顔は全く見えないが、その翼の向こうにはきっと銀髪が靡いているのだろう。彼女はいつも自分より少し速い。

 

「シル!!」


 応えるように、彼女は一瞬手を振った。光の矢が黒い翼へ刺さる。そこへ、癒しの天使が飛んでいく。自分はまた間に合わなかったのだと、クロムは悔しさに顔を歪めた。

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