第42話暴かれる嘘
ケルベスの視界に映る距離まで近づいた時には、もうミカエルは表情に余裕を浮かべていた。天国の
「随分と手荒な「遊び」だね。君達は楽しいのかもしれないが、これ以上は付き合えないんだ。悪いが帰ってもらえないかな」
「そちらこそ、あんなに派手な攻撃をしておいてよく言ったものだな」
「先程のやつかい? ただの警告だよ……しかし君達がこれ以上近づくなら、次はちゃんと効くやつを用意しよう」
ミカエルは弓に矢をつがえ、いつでも引けるように準備をした。気軽に何発も撃てそうな余裕ある表情だ。対価がある事は、悪魔たちには知られてはならない。
「溶けて消えたくなければ、早く帰るといい」
「それは出来ない相談だ。煉獄には「勇者」がいるだろう? また大勢悪魔が殺されたら困るのでな」
「勇者? そんなものはただの伝承だろう? 本当にいるとは思えないが」
「自分達で遣わせておいてよく言う。勇者は聖なるオーラを使っているんだ! 無関係なはずがない!」
「仮に聖なるオーラを使ったとしても、彼は天使とは無関係だ。なにしろ私は未だに、彼を一目も見ていないのだからね」
ふたりのやりとりは、多くの悪魔が見守っていた。
ケルベスは勇者の事を天使が遣わせた刺客かのように言っているが、ミカエルは、まるで初めて勇者という言葉を聞いたかのように首を傾げている。実際無関係なので、全力でそう主張しなければならない。
「あれほどの殺害兵器を放っておいて、知らないで済むと思っているのか?」
「実際知らないからね。そんなに強いのかい?」
「強いさ……魔王やクロムですら、あの聖剣の餌食になったのだからな」
ケルベスは悔しそうに言った。それを後方で聞いていたシルバーは息を呑んだが、ミカエルは常の微笑みを浮かべたままだ。
「悪いが、勇者の存在すら私には未確認なのでね。流石にそれは信じられないな」
「信じなくても事実は変わらない。魔王とクロムは勇者に殺された。そしてふたりは俺に「金印」を託したんだ……地獄を頼む、とな」
ケルベスはゆっくりと、見せびらかすように黒い袋を高く掲げた。袋から漏れ出るほどの金の光は、選ばれた者のみが持つ事のできる
「(まさか……魔王様が?)」
「(クロム様も! そんな、嘘だ……!)」
魔王とクロムが死んだ。驚愕の事実に、周囲の悪魔たちからざわめきが起こる。そしてミカエルも、黒い袋から漏れ出る光には僅かに驚いた表情を見せた。
「……サタンから盗むのは大変だったろう。彼はなかなか隙がないからね」
「人聞きの悪い事を言わないでくれないか。ちゃんと受け継いだんだ。魔王は十三条の一時的な廃止をして、天国を攻めろと最後に指示をした。俺は魔王の意志を継いでここにいるんだ。天使を殺しても、誰も地獄に堕ちていないのがその証拠だ!」
ケルベスは振り返って大勢の悪魔たちを見る。十三条の廃止を心から信じている悪魔たちは頷き合っているが、ミカエルはその間もケルベスをじっと見て、やがて静かに言った。
「それで、君は何名の天使を殺したのかな?」
ぴたりと、ケルベスの動きが止まる。ミカエルの瞳はそれを見逃さなかった。彼の手にある金印が本物だとしても、この短時間でサタンの承認なく法律書を手にし、黒の部屋に入って諸々手続きをするのは不可能に等しい。ミカエルは、ケルベスの話を全く信用していなかった。
「おや、まさかひとりも殺していないのかい? これだけ多くの部下に天使殺しを経験させておいて自分は高みの見物とは、新しい
「……機会がなかっただけだ。魔王からの引き継ぎに時間がかかっていたからな」
「そうか……では、どうかな? これからひとり殺してみては」
ミカエルは弓矢をバルコニーに置いて、翼を広げて飛びあがった。すぐにシルバーが後を追う。
「ミカエルさま! ダメよ! 何して……」
「大丈夫だよシルバー。彼は私を殺せない」
「…………」
ミカエルの確信を持った言葉に、シルバーは悲痛な面持ちで頷いた。壊れた天秤が脳裏に過ぎる。彼は確かめたいのだ。もし十三条が本当に廃止になっていたとすれば、サタンとクロムの生存はかなり絶望的になる。
「ケルベス」
ミカエルは
「ひとつ、賭けをしてみようか」
「賭け? いったい何を……」
「君に私が殺せるかどうかだ」
金の瞳が悪戯に細められる。ミカエルのこんな表情は見たことが無いはずだが、不思議と見慣れているようにも見える。サタンがよくする表情だと気が付いて、ケルベスの背筋がすうっと凍り付いた。
「天国の
「……何のつもりだ」
ケルベスはそう言ったが、彼が何を言いたいのかはとっくにわかっていた。しかし賭けに乗るわけにはいかない。彼の思っている通り、十三条は本当は廃止されていないのだ。日没までもあと僅か。もし今ミカエルを殺したら、彼は他の多くの悪魔とともにもうすぐ地獄に堕ちてしまう。
「ケルベス様……十三条は、廃止されてるんすよね?」
ケルベスの少し後ろで、ハリヤマが不安そうに尋ねた。それをきっかけに、ざわざわと周囲の悪魔たちが騒ぎ出す。ケルベスは心の中で盛大な舌打ちをしてミカエルを睨んだ。その表情を見て、ミカエルは更に確信する。十三条は有効だ。しかし、ダメ押しは必要。周囲の悪魔たちの前で彼の嘘を暴くことが出来れば、彼の味方はいなくなる。
「今からそちらに行くから、私を殺してみるといい。出来るんだろう? 何しろ、あのサタンの指示なのだから」
既に十三条を破ってしまった多くの悪魔たちが見守る中で、ミカエルが
「その必要はないわ」
凛とした声が響く。バルコニーに堂々と現れた桜色の髪に、全員の視線が集まった。
「ローズ!」
シルバーがすぐに駆け寄る。それに微笑みで応え、彼女はバルコニーの手摺まで歩いてきた。手には空色の手帳。それが誰のものかは全員が知っている。
「彼の最期の仕事よ」
背筋を伸ばして白い翼をピンと伸ばし、ローズはよく通る声で言いながら空色の手帳を掲げた。ルキウスの死を意味するその発言に、動揺が広がる。ルキウスは種族問わず誰からも好かれていた。後方には、静かに涙を流す悪魔もいるほどだ。
「十三条は今も
「ローズ……ルキウスが教えてくれたのね」
「気がかりだった事ばかりだ。ルキウスは本当に優秀な情報屋だね」
シルバーとミカエルが、手帳を見て少し哀しげに微笑む。サタンとクロムが生きている。ローズの口から出たのは希望が持てる情報だ。しかし、十三条が有効というのは、悪魔たちにとっては絶望的な情報だった。
「ケルベス様……どういう事っすか?」
代表して聞いたのは、やはりハリヤマだ。隣でメルルが震えている。周囲の悪魔も大体同じ反応だった。十三条が有効だとすれば、彼らはほとんど全員が地獄に堕ちてしまうのだから。
「でたらめな情報だ」
「ルキウス様の情報が間違ってた事なんか、今まで一度もないっすよ」
ハリヤマの言葉に、周囲の悪魔が一斉に同意する。それほどまでに、ルキウスは信頼度が高いのだ。彼の持つ膨大な情報の中には曖昧な噂話も確かにあったが、それはそれ。肝心な時に間違えたことは、彼は一度もない。
(ルキウス……あなたって本当に凄いわ)
ローズは周囲のそんな反応を目にして、誇らしげに空色の手帳を抱きしめた。
「ケルベス様!」
「何とか言ってください、ケルベス様!?」
周囲の悪魔が何名か、ケルベスに詰め寄った。ケルベスは身体から紫色の煙を発し、毒にやられた二名の悪魔が落ちていく。静まり返った悪魔たちに向かい、ケルベスは金印の袋を高く掲げた。
「確かに十三条は有効だ……
ケルベスが、黒い袋に手を入れた。取り出したのは金色に光る印。しかし、それを見た彼の表情は固かった。予想外のものを見た驚きから、次第に絶望感へと変わっていく。
「まさか、そんなはずはない……そんなはずがないんだ」
彼の手の中で、金印はみるみるうちにその輝きを失っていった。真ん中から二つに割れた歪な半円、「改正印」だけが押せる仕様になっているそれは、改正に関する権限はしっかりあるがそれだけだ。
「君は、
ミカエルの声が無情に響いた時には、それは汚れた土のような微妙な色合いに変わっていた。もはや「金印」とも言えないそれは、彼を
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