第41話望まれない戦争

「命中っ!」


 中心街の空の上。全身タトゥーの悪魔が高らかに叫んだ。彼女は地獄の下層から持ってきた小さな溶岩を防護壁シールドに投げつけて喜んでいる。


 その横では茶髪を針のように逆立てた悪魔が、引き気味にそれを見ていた。


「お前マジでやべー奴だな」

「何で? 戦争最高じゃん!」

「いや。喜べねーだろ普通」

「繊細かよ」

「お前がおかしいんだよ!」

「そんな事言うけどよ。ハリヤマだってさっき煉獄で天使殺してたじゃん」

「あ、あれは……メルルが危ないと思ったから」


 ハリヤマは隣にいるメルルを見た。実のところ、彼はそれほど天使が嫌いでは無い。ケルベスから戦争の話を聞いた後、ショックで一晩寝込んだくらいだ。


 なのに煉獄で勇者から逃げる天使がメルルを足蹴にしている場面を目撃し、気がついたらその天使の脳天に雷を落としてしまっていたのだ。


「君を傷つける奴に、生きてる価値は無いさ」

 

 ハリヤマはメルルの手を取ってそう言った。実際はその場の異様な雰囲気に呑まれてついやってしまっただけとも言えるが、彼はここぞとばかりに恋人を助けた勇敢な戦士を全力で気取っている。そしてメルルの方もかなりの猫を被りながら、彼の手をしっかり握って微笑んだ。


「ありがとうございます。ハリヤマさんって本当に優しいですね」

「いや、当然だよ。また何かあったら……」

「だーいじょぶだって守んなくても。コイツさっきどさくさに紛れて五人くらいこ……」

「チノイケさんっ! この毒草使います?」

「お。どれどれ?」

 

 チノイケはガサツで無神経だが、意外にしっかり周りを見ている。侮れないと思いながら、メルルは慌てて彼女に籠を渡した。


 中身はどれも下層付近で採取した極めて危険なものだ。今までは医療棟に運んで治療薬の研究材料にしていたが、今日は逆に、天使を傷つけるために持っている。喜んで中身を確認するチノイケから視線を外し、メルルは空高くそびえ立つ医療棟を見あげた。


(仕事は、ちゃんとしてたつもりだったんだけどなぁ)


 管理不足と言えばその通りだった。でも売られた喧嘩は買うべきだし後悔はしていない。まさかあれを蹴り飛ばす天使がいるとは思わなかったし、ルシファーが法律違反でもない事で堕天するほど落ち込むとも思わなかった。


「繊細すぎなのよ……」

「えっ!? そ、そっか……俺そんなに……?」

 

 舌打ち混じりに呟いた言葉にハリヤマが反応して落ち込んでいるが彼の事では決して無い。メルルの頭はあの日のことで一杯だった。天使という種族はなんて、弱くて繊細で厄介なのか。


「なーんか陰気臭い顔してんな」


 籠の中身の確認を終えたチノイケがメルルの顔を覗き込む。そして彼女の手にそっと、真っ赤に燃える拳大の溶岩を手渡した。


「これ思いっきり投げたら、すっきりすんぜ!」


 とても良い笑顔で親指を立てる彼女に、メルルは頷いた。どうせローズの防護壁シールドは、こんなものではびくともしない。悪魔と喧嘩をした時も一発殴ればスッキリするものだし、この胸のモヤモヤも少しは晴れるかも。メルルはすうっと息を吸い、叫びながら溶岩を城壁に投げつけた。


「天使のバカやろー!!」


――ドーン


 当然防護壁シールドに弾かれると思っていた溶岩だが、今度は弾かれなかった。大きな音がして、バルコニーの下あたりの壁が崩れる。


「やるじゃんオマエ! スッゲェー!」


 血の池の責任者はメルルを尊敬の眼差しで見たが、メルルの表情は驚愕に満ちていた。


「うそ……何で!?」

「まさか、ローズ様に何かあったんじゃ……」

「知らね。ハリヤマー。アタシちょっと行ってくんわ!」

「は!? お前まさか……」

「城に攻め込むチャーンスっ!」

「おい!!」


 チノイケのように勇んで城へ攻め込む者と、ハリヤマのように不安になる者。この時の悪魔たちの反応は、大きく二つに分けられた。圧倒的に攻め込む方が少数派だったのだが、それでも少なくない数の悪魔が城に入って行った。


「おい、どうした」

「ケルベス様」


 ばさりと欠けた翼を広げて、威厳ある壮年の男の姿が現れた。見慣れた祭りの時の姿は周囲の悪魔の注目を浴びる。ハリヤマは、すぐに戦況を報告した。


防護壁シールドが緩んだだと?」


 ケルベスは城を囲む聖なるオーラを見ようと目を凝らした、確かにローズが張ったとは思えないほど弱々しい。


「集中力が途切れているのか……あぁ、成程な」


 にやりと笑うケルベスは、ここに来る前に煉獄で見た光景を思い出していた。背中から黒い煙を出して瀕死状態のルキウスと重傷を負ったクロム、防戦一方のサタン。放っておいても近いうちに全滅しそうな雰囲気だった。その戦況が、もしかしたら伝わったのかもしれない。


「ローズ様に何かあったんすかね……」


 ハリヤマが不安そうに城を見ている。ローズの発明品は天国だけではなく地獄も支えている。なかでも食品を永久保存できる保管庫の恩恵は大きく、多くの悪魔は彼女に多大なる感謝の念を抱いているのだ。敵国の指導者リーダーといえど思わず心配してしまうほどに、彼女は悪魔にも人気がある。

 

「何かあった方が好都合だろ。甘い考えは捨てろ。これは戦争だぞ」


 しかしケルベスは冷たくそう言った。次に城を見た時は、もう防護壁シールドはもとどおり強固なものに戻っている。さすが指導者リーダー、切り替えが早いものだと思いながら更に目を凝らした彼の目に、バルコニーのあたりが白く光っているのが映った。


「……あれは何だ?」


 ケルベスが呟くのと同時に、そこから一本の光の矢が飛んできた。矢は中心街の上空でぴたりと止まり、白い光が円状に広がっていく。ローズの防護壁シールドとは比べ物にならないほどの圧倒的な聖なるオーラ。嫌な予感がして、ケルベスは叫んだ。


「まずいっ、「武器」が来るぞ! 皆逃げろ!!」


 彼の合図で悪魔たちは急いで翼を動かした。しかし彼らが中心街から出る前に、上空に雲のように薄く広がった光の中から、無数の光の矢が雨のように降り注ぐ。


「ぎゃあああーー!」

「うわぁぁぁああ」


 悪魔たちの身体の一部がどろりと溶け、黒い煙が至る所で上がっていく。しかし力がある者の肌は溶けず、弱い者も消えはしなかった。威力は弱いが広範囲に及ぶ聖なる矢は、天国からの警告だ。


「見たか、あの大量の光の矢を! 天国はおそらく、もっと強力な武器を持っているはずだ。早く城を落とさないと全員やられるぞ!」

 

 ケルベスはできるだけ大袈裟に叫び、城へ更に近づいた。このままでは本当にやられるかもしれないと、悪魔たちは気持ちを奮い立たせる。ハリヤマもメルルも様子を見ていただけの悪魔も、ケルベスの頼もしい背中について行った。


 

        ◇

 


「ミカエルさま危ないっっ!」

「ぎゃああ!!」


 銀色の銃身から水の矢が放たれ、勢いよく悪魔の背中に当たって身体をどろりと溶かしていく。至近距離からの断末魔の叫びにミカエルが振り向いた時には、彼と水鉄砲を構えたシルバーとの間に、微かな黒い煙が残っているだけだった。


「ありがとう。助かったよシルバー」

「油断しすぎよ。城内の悪魔はだいぶいなくなったけど、まだ潜んでるかもしれないんだから」

 

 シルバーは水鉄砲片手に周囲を見回した。いつもは穏やかな新緑に、いつになく緊張感が漂っている。


 彼女は今、大広間に襲撃してきた悪魔たちを追い払ったばかりだ。癒しの天使からのまさかの攻撃に驚いた悪魔たちの大半は逃げていったが、特に攻撃的な悪魔は祓うしか無かった。

 

「嫌な事をさせてしまって申し訳ないね。身体は辛く無いかい?」

「まだ余裕よ。何かすごいタトゥー入った悪魔祓った時だけすごい疲れたけど……ミカエルさまこそ大丈夫なの?」

「そうだね、私もまだ……っ」

「ミカエルさま!」


 言葉の途中で顔をしかめて胸を押さえたミカエルをシルバーが支える。ミカエルは何度か深呼吸して、シルバーに微笑みかけた。


「……平気だよ。威力もできるだけ抑えたし。ただ範囲が広かったからね。流石に……対価は結構取られるみたいだ」


 ミカエルは大きく開いたバルコニーを見た。先程ここから矢を放ったのはミカエルだ。まだ彼の手にある大きな弓を見て、シルバーは眉を下げる。


「今の対価は何だったの?」

「生命力……かな? 心臓が痛むからね」

「大変じゃない! 少し休んで……」

「いや大丈夫だ。それにほら、お客様が来たみたいだよ」


 バルコニーの外を見ると、すっかりいつもの状態を取り戻した強固な防護壁シールドの向こうで、ケルベスが宙に浮いてこちらを見ている。光の矢を派手に使っておびき寄せる作戦が成功したようだと、ミカエルとシルバーは頷き合って外に出た。


「ようこそ天国へ」

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