第34話最悪な出会い
(ここは……何処だ?)
ミアを追いかけて辿り着いた見渡す限りの白い空間で、カイルは道に迷っていた。目立たないように濡れた服を絞って物陰から様子を見ている彼の目には、白い服を着て一列に並ぶ者たちの姿と、忙しく走り回っている職員らしき者の姿が見えている。
(なんだろ、天使? あれが天使か。じゃあ黒いのは……悪魔? どっちも見た事ねぇけどすげぇー)
職員らしき人の背中には漏れなく翼があった。白鳥のような白い翼、または蝙蝠のような黒い翼。カイルは、純白の翼を広げた人の姿を天使、反対に黒いのは悪魔ではないかと考えた。どちらも見た事がないので推測に過ぎないが、とにかく未知のものを見た驚きと興奮で叫び出しそうな気持ちを、カイルは必死で抑えていた。
(や、興奮してる場合じゃねぇし。ミアは何処だ?)
逸る冒険心を抑え込み、愛しい恋人の姿を探す。やはりミアは天使だったのか。正体がバレたから、いなくなってしまったのか。
(俺が、正体を探るような真似したから……?)
昔聞いた御伽噺に、人間の夫に正体を見破られた白い鳥が天の国に帰ったという話があったなとカイルは思い出した。あの涙は、もう人間とは暮らせないと、そういう事なのだろうか。こんな事なら聞かなければよかった。
(謝ったら、戻ってきてくれるかな)
天使と思しき者が近くを通りかかり、カイルは音もなく近くの柱の陰へと移動した。とにかくミアを探さなければ。何かヒントがないかと耳をすませば、彼らの話し声が聞こえてくる。
「本当にお手伝いしなくて良かったんでしょうか」
「下がれといわれてしまいましたね」
「どうしたんですか?」
「クロム様ですよ。掃除をしていたんです」
「掃除、ですか?」
「えぇ。廊下を」
「お手伝いしたかったのですが断られてしまって」
「リーダー自ら掃除に励むなんて、クロム様は本当に素晴らしい方ですね」
「その辺の野蛮な悪魔とは違いますよ」
(うーん。何もわかんねぇ)
カイルは一旦柱に
「天使との戦争ってどうなったんだっけ?」
「え、魔王様が準備してんじゃねーの?」
「俺の聞いた話はさ……」
あっという間に飛んで行った悪魔たちからは断片的な情報しか聞き取れなかったが、「戦争」と「魔王」という不穏な言葉は歴戦の剣士の耳にしっかりと入っていた。
(戦争? 天使と悪魔が? ミアは知ってんのか?)
迷わずミアの背に広がる白い翼を想像したカイルの頭には、彼女が悪魔側かもしれないという発想自体がなかった。悪魔が攻めてくるかもしれないことを、彼女は知っているのだろうか。職場がゴタゴタしているとは言っていたが、戦争が起きたらゴタゴタどころではないし、それはまた違う話だろう。さっきすれ違った天使たちものんびり掃除の話をしていて、とても戦争に備えている雰囲気ではなかった。
(天使側は、悪魔が攻めてくる事を知らねーのかも。早く探して知らせねーと)
もともと人間界で数多くの戦に参加しているカイルは、早くも天使側を勝たせるために動く準備をしていた。まずはミアか、それか天使側の有力者を探してもいいかもしれない。そんな事を考えていたカイルの背後に、黒い影が差す。
「……人間?」
「!!」
声をかけられて、カイルは勢いよく振り返った。訝しげにこちらを見る紳士然とした男。その背に広がる翼は黒く、右側が少しだけ欠けている。カイルは距離をとって剣を構えた。未知なる敵を目の前にして、カイルは悪魔とドラゴンならどちらが強いかを考えていた。
「落ち着け。お前は生身の人間だろ。何故ここにいる」
「ある天使を探しに来たんだ。邪魔するなら容赦しねー」
敵側に目をつけられたらミアに危険が及ぶかもしれないと思い、カイルは彼女の名前を言わなかった。剣を素早くケルベスの喉元に突きつけ、鋭く睨む。しかし、ケルベスは冷めた目でカイルを見た。いくら剣士でも人間は人間。悪魔の敵ではない。
「こんなもの、俺に通用するわけがないだろう」
ケルベスはカイルの剣に手を翳し、その姿を消して見せた。魔王に対抗するための奇策のひとつとして、姿を消す術、というのを最近会得したのだ。
実際は消したわけではなくただ見えなくしているだけなので、持っている感覚もしっかりあるし振り下ろせば普通に斬れる。しかし、カイルは急に消えた剣に戸惑い、手を離した。床にカランと落ちた金属音が虚しく響く。
「え? ……え?」
「見た目に惑わされて自ら武器を手放すとは。剣士の風上にも置けん奴だ」
「何だと!? お前っ、卑怯だぞ!!」
「誰を相手にしているのかよく分かっていないようだな」
この黒い翼を目の前にして何を言っているのだと、ケルベスは冷ややかに言った。悪魔の辞書に卑怯という言葉は無い。
「天使を探しに来たと言っていたな。誰だ」
「教えねーよ。お前は魔王の部下か?」
「魔王を知っている人間がいるとはな」
「さっき聞いた……戦争の事もな」
戦争、という言葉に、ケルベスの表情が厳しくなる。この人間はどこまで知っているのかと鋭く光る赤褐色の瞳を前に、丸腰のカイルは不安や恐怖を押し殺して強気の姿勢で立っていた。
「……お前は何者だ」
「俺は天使を助けに来た。邪魔するならお前も敵だぜ」
「武器も手放した癖に生意気な奴だな……人間のお前には、天使も悪魔も関係ないだろう。邪魔だ。今なら見逃してやるから、早く帰れ」
ケルベスは右手を振って追い払う仕草をした。この人間は死者ではない。生身の人間は「他種族」に該当するので傷つけられないのだ。
(つくづく十三条というのは厄介だな……)
こんな法律はやはり廃止すべきだとケルベスが思った時。ぐっと拳を握ったカイルの全身に、ほんの一瞬聖なる気が漲った。ケルベスの脳裏に、遠い昔に聞いた伝承が思い起こされる。
(聖なるオーラを纏う人間。勇者? ……いやまさかな)
聖剣を持ち、あらゆる魔を祓う伝説の剣士。その強力な聖なる力は、魔王をも倒す事ができるという。可能性は低い。しかし、藁をも縋りたい状況のケルベスにとって、それは喉から手が出るほど欲しい力だ。
(もしも、こいつが勇者なら……)
千載一遇のチャンスが巡ってきたかもしれない。ケルベスは周囲に誰もいないのを確認すると、素早くカイルを抱え、近くの空き部屋へと押し込んだ。
「っ! 離せっ!!」
「弱い癖に威勢だけはいいな」
腕の下でバタバタと手足を動かすだけのカイルを、ケルベスは呆れ顔で離した。やはり勇者などはただの御伽噺だったのかもしれない。
「……お前は、どうして天使と争おうとするんだ」
体勢を立て直し、カイルは質問した。ドラゴンを無闇に殺すなと怒っていたミアの姿が脳裏に浮かぶ。悪魔が天使に戦争を仕掛けるのは、何か理由があるのか。きっと、ミアは知りたがるような気がした。
そしてその質問を受けて、ケルベスは素早くこの男を味方につけるための策略と、今後についての考えを巡らせた。
(こいつに煉獄で騒ぎを起こさせて、最終的に魔王と戦わせることができたら……)
ルシファーの事件の時に聞いた、十三条の例外的な討伐。そんなサタンの言葉をケルベスは思い出した。この人間が煉獄で悪魔たちを襲えば、おそらくサタンは法律書の例外的な討伐欄に彼の名を書こうとするだろう。そしてそれには、金印を使用する。
(金印を目にするチャンスが来るかもしれない)
法改正やリーダーの任命にしか使わない金印を直接目にできるチャンスなど滅多にない。ケルベスは考えながら、ゆっくりと口を開いた。
「……いいか人間、よく聞け。魔王はとても恐ろしい存在だ」
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