第35話戦う理由、裏切る理由

 カイルの表情に緊張が走った。それを確認して、ケルベスは続ける。


「地獄は、人間の魂を苦しめる場所だ。そしてそんな人間の苦しみが悪魔の力となる。魔王はその強大な力をより高めるため、ひとりでも多くの人間を地獄に堕とそうと企んでいるのだ」


「何だって……!!」


 驚愕に満ちたカイルの表情を見て、ケルベスは内心だけで笑った。こんなのは適当な作り話だ。罪人の苦しみが悪魔の力を高めるのは本当の事だが、それはどちらかというと、過酷な環境でしっかり仕事をしている悪魔へのご褒美的なものだという認識が強い。


 魔王のいう「地獄の発展」は、決して人間がより多く地獄に来ますようにという意味ではない。「やむを得ず地獄に堕ちてきた魂がしっかり禊を済ませられるような環境を守るための発展」であることを、ケルベスはしっかり理解している。しかしカイルは今の話を聞いて、魔王への怒りを募らせていた。


「人間をたくさん地獄に堕とすなんて……なんて酷いやつなんだ!」

「そうだな。俺も、そう思うさ」


 ケルベスはすぐに同意した。万が一カイルが思慮深い若者だった時のために他にもいくつかのパターンを考えていたが、思ったよりも今の話に乗ってきたのでこの線で行こうと話を組み立てる。


「実は天使たちは、魔王のそんなやり方に反対しているんだ。天使はできるだけ多くの魂を天国に導こうと考えている。魔王はそれが気に入らない。だから、天国に戦争を仕掛けて邪魔をする天使を大勢殺そうと企んでいる」

「そんな……! じゃあミアは……」

「ミアだと?」


 カイルが思わず口にした名前に、今度はケルベスが驚いた。天使を探していると言っていた人間が、悪魔ミアの名を口にしている。


「どういう事だ」

「ミアを知っているのか!?」


 訝し気に眉を寄せたケルベスに、カイルが詰め寄った。ケルベスは慎重に口を開いた。同名の天使がいるかもしれないし、もう少し情報を得てから答えたほうがいい。


「……さあな。どんな奴だ?」

「俺の恋人だ。藤色の髪の女だよ。たぶん天使だと思うんだ。ここに来たのを、追ってきた」

「なるほど、天使か……ははっ!」


 ケルベスはこみ上げる笑いを隠さず声に出した。天使悪魔問わず色んな男と遊んでいた彼女がとうとう人間にまで手を出したというのも面白いし、その恋人が彼女の正体を天使だと勘違いしているのは個人的にかなり笑える。少し前ならば喜んで飲みの席のネタにしているところだが、今は計画を円滑に進めるために利用することを考えなければならない。


(飲みの席、か。一番笑えるのは、この期に及んでそんな事思い出す俺自身だ)


 彼は、ひとり敵に回る事になってしまった寂しさを心の奥へと落とし込み、気持ちを切り替えるべく少しの間目を閉じた。


「何がおかしい!」

「……何も。愛する者が消えたら、追うのは当然の事だ……何としても取り戻そうとするのもな」


 次に脳裏に浮かんだのは、黒く染まった天使の翼。険しい道に進もうとしている自覚はあるが、何度考えても優先順位は揺らがない。迷いを吹っ切るように頷いたケルベスに、カイルは問いかけた。


「愛する者……? お前、何かあったのか?」

「……俺の婚約者は、天使だった。翼が黒くなるまではな」


 ケルベスは、それだけを口にした。彼女に関することで嘘は言いたくなかった。しかし嘘なんかつかなくても、カイルは自分の知っている情報と勝手に結び付けて想像する。天使と悪魔の戦争、悪魔の翼は黒い、魔王は強大な力の持ち主、もしかしたら、天使を悪魔に変えることもできてしまうのかもしれない。


「魔王にやられたのか?」

「……」

「おい、魔王がやったのかって!」

「……彼女に再び会うために、俺は魔王を倒したいんだ。それにはお前の力がいる。お前なら、倒せるかもしれないんだ」

「俺に、魔王が?」


 ケルベスの真剣な表情を見て、カイルはぐっと拳を握りしめた。先程泣きながら飛んでいったミアの姿が脳裏に浮かぶ。もしもミアが先ほど聞いた話のように、魔王の手にかかって悪魔になってしまったら。想像するだけで耐えられない。


「魔王を倒さないと」


 カイルの全身から、眩いほどの白い光が噴き出した。ケルベスは同時に部屋の隅へと移動する。悪魔である彼が、命の危機を感じるほどの聖なる光。その光はゆっくりとカイルの右手に集まり、細く長く伸びていく。


「これは……剣……?」


 銀色に光る握りグリップ、宝石を散りばめたようなガード。鋭く光る剣先は、どんな強敵でも斬ることができるだろう。


「聖剣……やはり、お前が「勇者」だったんだな」


 ケルベスはにやりと笑い、カイルの目の前に飛んだ。不思議そうに剣を見つめるカイル。ケルベスは彼に、悪魔の囁きを施す。


「それは魔王を倒せる唯一の武器だ。魔王に限らず悪魔なら、どんな強敵でもはらうことができる」

「この剣で魔王を倒したら……たくさんの天使や人間が助かるんだな?」

「そうだな」


 ケルベスは頷いた。カイルは聖剣を高く掲げる。それは紛れもなく、聖なるオーラを纏い魔を祓う、強き者の姿だ。

 

「人間の魂を地獄に堕とすなんて。そのために天使を悪魔に変えたり、殺したりするなんて。俺は絶対に許せない! 魔王なんて……地獄ごと滅ぼしてやる!」


 勇者の気持ちに応えるように聖剣が光り、ケルベスはまた距離を取った。そして彼を鼓舞するように、部屋の隅から声を張り上げる。


「行け勇者よ! お前がここで暴れたら、魔王の方から出てくるはずだ。まずは派手に暴れて手下の悪魔たちを殺し、魔王を引き摺りだすんだ。一対一の戦闘に持ち込めば、お前は必ず勝てる!」

 

「よし! やってやるぜ!! 待ってろ魔王!」


 もともと血の気の多い剣士、戦場で剣を振るうのはお手の物だ。勇者カイルは勇んで部屋から出て行った。


「ギャーー!!」


 少し遅れて廊下が騒がしくなり、少し遠くから多くの悲鳴や物音が絶えず聞こえてくる。それを聞きながら、ケルベスは小さく呟いた。


「地獄ごと滅ぼす、か……人間おまえは地獄が何のためにあるかなど、考えたことがないんだろうな」


 冷めた目で出入り口を見て、ケルベスはすぐに紳士から逞しい格闘家へと姿形を変えた。そしてたっぷり時間をおいて部屋から出ると、その黒い翼を優雅に広げ、裁きの天秤のある大広間へと飛んでいった。




            ◇





 「おりゃ!!」


 もう何体目かわからない悪魔を斬って、カイルは額の汗を拭った。突然聖剣を振り回して悪魔だけを斬りはじめた人間の登場に、煉獄は大騒ぎだ。


「人間が暴れているぞ!」

「どうした、何で!?」

「悪魔だけ斬られてる」

「おい、お前天使だろ!? 助けてくれ!」

「きゃー! 怖い、早く逃げて!」

「恐ろしい人間が剣を振り回してるぞ!」

「早く天国へ逃げましょう!」

「待って、助け……ぎゃぁぁ!!」

 

 逃げ惑う黒い翼は白い翼にしがみつき、白い翼は黒い翼を振り払って逃げ出した。


 悪魔たちはカイルを捕らえようと雷や炎を放つが聖剣のオーラで守られたカイルには届かず、十三条が頭をよぎり本気を出すのも難しい。天使たちに応援を頼もうとするが、もともと争い事とは無縁の天使だ、保身を第一に考える性質の彼らに守ってもらうのは難しかった。


「見ろ、天使は我々を見捨てた! 天使は悪魔を裏切ったんだ!!」


 我先にと天国へ逃げていく白い翼を呆然と眺めるしかない悪魔たちに、ケルベスは叫んだ。欠けた翼を背に隠し、次々と姿を変えて悪魔たちを誘導していく。


「自分たちだけ天国に逃げたぞ!」

「天使は裏切り者だ!」

「天使は悪魔を滅ぼす気だ! 天使は、勇者を使って悪魔を攻撃しているんだ!」

 

 筋肉質の美丈夫、痩せた少年、小太りの男に髭の生えた老人。同一人物だとは誰も気が付かない巧みな変身術。まるで同じ考えの悪魔が何人もいるような演出で、いつの間にか、悪魔の敵はカイルから天使達へ移っていった。もともとあった戦争の噂も、その事を後押しした。密かに天使と戦う事になるかもしれないと、心の準備をしていた悪魔は意外と多かったのだ。


「追え! 天使だけ生かしてたまるか!」

「行けるやつは天国へ向かえ!」

「待て、十三条はどうなるんだ」

「そうか、十三条が……あれ、でもあいつ、今天使殺したのに魂になってないぞ!」

「あ。ほんとだ! あいつも大丈夫だ……何で?」


 少し時間が経ち、煉獄から天使がほとんどいなくなった頃。十三条が気になって動けない悪魔たちは、天使を殺した同僚がいつまでも地獄に堕ちない事に気がついた。首を傾げる悪魔たちの前に、ケルベスが堂々と立つ。毎年祭りの時に煉獄を仕切っているときの、威厳ある壮年の男の姿。この姿を覚えている悪魔は多い。欠けた翼がなくても悪魔たちにはリーダーだと認識され、姿を変えられると知らないカイルには気づかれない。そんな姿で、ケルベスは大声を張り上げた。


「皆よく聞け! 魔王様は、天使に戦争を仕掛けるため、十三条の一時的な廃止をした! 今日天使を殺しても、魂が地獄に堕ちることはない! 遠慮せず仕掛けるんだ!」

 

「「「了解!!」」」


 悪魔たちは、すぐに天使を追って天国へ飛んで行った。その姿を、ケルベスは嘲るように見る。


(馬鹿な奴らだ。法律書を読んだことがないとはな)


 罪を犯した悪魔をすぐに地獄に堕とすには、マスター自らが判決を下す必要がある。「判決」が出ない場合は、その日の日没に自動的に裁きが下る。つまり魔王が罪を把握していないうちは、悪魔がどれだけ天使を殺しても、すぐに地獄に堕ちるわけではないのだ。このシステムは、法律書にしっかりと明記されているにも関わらず、意外にも一般の悪魔には知られていない。


(どいつもこいつも馬鹿ばかりで助かる……だが、これからが本番だ。金印を奪うチャンスは一度きり。失敗は出来ない)


 ケルベスは阿鼻叫喚の煉獄を捨てて、素早く地獄へ向かった。斬られていく悪魔たちに恨みは無いが、もともと情もない。巡ってきたチャンスを生かすことだけを考え、ケルベスは力いっぱい、黒い翼を動かした。

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