第27話痛みを伴う裁きの時間
「例えば『武器』……これについては、今は重要では無いので詳しくはまた今度だ」
銃ではなく「武器」という事は、おそらく他にも色々持っているのだろう。しかし腕を組んで傍観の姿勢に入っていたサタンは、それには特に反応しなかった。どんなに平和な国にも自衛手段はあって然るべきだとサタンは思っている。
平和な天国では滅多に話題にならない天国法の真実。ミカエルの講義には、いつしか全員が聞き入っていた。
「君たちに関係あるのは『嘘』の方だ。たとえば、君たちがさっきついた嘘だけど……」
「嘘じゃありません、ミカエル様! 偶然落としただけで」
「ルシファーさんが投げたと思ってて」
天使たちは再び、同時に言った。ミカエルは深い溜息をついて続ける。
「残念だけどね。それがもし嘘だとわかったら君たちには重い罰が下される。天国にはそのために、君たちのその発言が嘘だったと知る手段が……」
「すみませんでした!」
「もう嘘はつきません!」
「……ないんだけどね」
「「え」」
即座に罪を告白しようとした天使たちが固まる。やっぱり嘘だったか、と頷いたミカエルの周囲で、サタンと各リーダーが若干引き気味のリアクションを零した。
「……お前やるな」
「ミカエルさま最低」
「ミカエル様でもそういう事するんですね」
「魔王様みたーい」
「……」
その微妙な反応を、ミカエルは少し気まずそうな咳払いで返した。そして静かに、穏やかに、無慈悲な判決を下す。
「君たちは天国法第八十七条『罪の偽装』に違反だ。白い翼を剥奪し、天国を追放とする」
ミカエルの判決。それは咄嗟の嘘の代償にしてはあまりにも重いものだった。
「え……そ、そんな!?」
「まさか……嘘、ですよね!?」
「嘘だと思うかい?」
ミカエルは口元だけで微笑んだ。慈悲の欠片も与える気はないとその表情が語っている。先ほどは何も言わなかったが、ミカエルも怒りは感じているのだ。元凶となったこのふたりを、軽い罰だけで済ませる気は無い。
「君たちは、
「それはっ……でも」
「ルシファーは二度と元には戻らない。判決はまだだが、極刑は免れないだろう。それに比べ、君たちは人間になるだけだ。記憶は失うが、人間界で普通に暮らすことができる」
「…………」
二人の天使は、それには何も言えなかった。ミカエルはふたりの天使の名を順番に呼ぶ。
「マスターミカエルの名の下、天国法第八十七条違反により、翼を剥奪。記憶を消して、人間界に追放とする」
ふたりの天使の背から白い翼が消え、そして天使たちの身体も消えていった。ミカエルは寂しそうに先ほどまで二人が立っていた白いタイルをしばらく見つめ、それから法律書をぱたんと閉じた。
「これでも、君たちへの罰と彼女の受ける罰はあまりにも釣り合わない……私は、そう思うよ」
いくら天国法に違反しようと、天使が地獄に堕ちることはない。人間界への追放が最も重い罰だが、それも滅多に無いことだった。サタンが腕を組んだまま頷く。
「追放か……妥当だと思うが、珍しいな」
「法を犯す天使なんて滅多にいないから」
「殺しは違反じゃねぇのに嘘つくのは違反だって?」
「天使は普通、殺しをしないからね。他者を貶めるような嘘は時に法で裁かなければならないほど悪質だ。「誰かに罪を被せる行為」をした場合、被せた罪の重さで刑が決まるのは当然だろう」
「極刑には極刑ってな」
「彼女を
ミカエルは、二人の天使を地獄に墜としたいとは言わない。出来る事ならルシファーの罪を軽くしてやることで釣り合いを取りたいのだ。しかしそれは無理だとわかっている。
「さて。裁きの時間だ。今回の件はルシファーの意志に基づくものではないのは分かっているが、被害があまりにも大きく元に戻る方法もない、再犯の可能性も高いとくれば、いくら考えても地獄に堕とす以外の選択肢は無い」
サタンはそう言いながら、ちらりとケルベスに視線を合わせた。ケルベスはサタンを見ながら頭では素早く今後の策を練っていたが、上層部揃い踏みのこの状況下で金印を奪うのは不可能だ。ケルベスは、今日はただ婚約者を失った哀れな男でいることに決めた。これ以上文句も言わなかった。
「裁きの時間だ」
ミカエルとは違い、サタンの手に法律書はない。彼は、分厚く細かい字で記された地獄法の全てを暗記している。がらんとした煉獄で、静かに、厳かに、裁きが下った。
「ルシファー。マスターサタンの名の下、地獄法第十三条違反により最下層行きを命じる」
ルシファーの身体が一瞬だけ金色に輝いた。愛しい婚約者の魂を、すぐにケルベスが大切そうに抱えて地獄へ繋がる階段を下って行った。
「いいんですか? 彼に行かせて」
クロムがそっとサタンに問いかける。サタンは階段を見つめながら頷いた。理不尽に婚約者を失った彼が肝心の裁きの瞬間には静かだった様子が、むしろ少し不気味に思える。
「裁きが下った後だ。何もしないし、出来ないだろ……
この日犯罪を犯した者の裁きは終わった。残ったのは煉獄の修復と天秤を使った死者の裁き、避難した天使や悪魔への事情説明。仕事が山ほど残っている。それに、法律違反ではないが、罰を受けなければならない黒い翼がもうひとり。
「メルルは毒草の管理不行き届きで降格だな。毒の沼地の移動を大規模に行う」
「すぐ準備します」
「ミアは悪魔たちの様子を見てこい。天使の悪口言ってるやつ見つけ次第絞めてリストに纏めろ」
「はいはーい」
サタンとクロム、ミアが揃って地獄への階段を降りて行った。がらんとした煉獄に残されたのは、ミカエルとシルバーのふたりだけ。
「ミカエルさま……大丈夫?」
誰もいなくなったのを確認してから、シルバーはミカエルの肩をそっと押さえた。予想通り、ふらりと倒れ込んでくる白髪を肩口に埋めるようにして支え、白い翼を消した背を労わるように撫でる。
「……大丈夫、だ。少し、力を入れすぎたかな」
ミカエルはその場に座り込み、苦しそうに浅い呼吸を繰り返した。彼を苦しめているのは先ほど撃った水鉄砲の副作用だ。
「天国法第三十五条『武器の使用には『対価』を差し出さなければならない』……厄介ね」
シルバーが癒しの力を送り込むが、ミカエルを襲う全身の疲労感はなかなか改善しなかった。天使が武器を使ったのは今回が初めての事だ。長い間ミカエルしか知らなかった武器に関する掟は想像以上に厳しい。
「大きな武器になると、身体の一部や命を失うらしいからね。全身疲労だけで済んでよかったよ」
「ミカエルさま、我慢し過ぎなのよ。いつ倒れるかと思ってハラハラしたわ」
「あの場で倒れるわけにはいかないよ。「対価」があることは悪魔には内緒だ。サタンやクロムならともかく、ケルベスには特にね」
ミカエルは表情から疲労をすっかり隠していつものように薄く微笑んだ。指一本動かすのも辛いほどの疲労感と倦怠感に包まれているというのに、傍目から見たら何も感じていないように見える。しかし、疲労が消えたわけではなく、ただ我慢しているだけだ。シルバーが首を振ると、ミカエルは素直に顔を歪めた。
「どうして対価なんてあるのかしら……」
「対価は必要だよ。武器は、相手の「痛み」を全て受け入れる覚悟で向けるものだ」
ミカエルはきっぱり言った。ルシファーを殺した痛みは、彼の中にしっかりと残っている。先程までは微塵もそんな素振りはなかったのに、素直じゃない男だとシルバーは溜息をついた。
「サタンさまやクロムも色々誤解されがちだけど、あたしはミカエルさまが一番、感情を抑えて生きていると思うわ」
「今日の私はさぞかし、無慈悲な王に見えただろうね」
ミカエルは自嘲気味に微笑んだ。彼は決して冷徹ではない。迷いながら、悔やみながら、初めて向けた武器の冷たさに恐怖を抱きながら。しかしそんな感情の数々は、彼の心の中だけの事。決してひとかけらも外に漏らすことは無い。
「いいえ。立派だったわ……他の誰にも理解されなくても、あたしはちゃんとわかってる」
シルバーはミカエルを抱き締めた。苦しそうな呼吸の中に安堵の色が加わる。そうしてミカエルが動けるようになるまでの間、シルバーは彼を支え続けていた。
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