第26話無慈悲な天使を守る法

「やめろ! 撃たないでくれ!」


 ケルベスの悲痛な叫び声が響く。その声はミカエルにも届いていたが、彼の金の瞳は少しも揺るがなかった。報告を聞いた時から覚悟していたことだ。そのために普段持たない銃を武器庫から出し、彼女を一撃で祓えるようにかなりの力を込めている。


「ルシファー……本当に残念だ」

「頼む! お願いです、ミカエル様!」


――銀の引き金が躊躇いなく引かれた。繊細な細工の施された銃身から飛び出したのは、弾では無く水の矢だ。聖なるオーラが溢れるほどに含まれた聖水が、矢の形をして勢いよくルシファーの胸元に刺さる。


「ギャァァァァアァァ」


 魔物のような断末魔を残して、ルシファーの全身から黒い煙があがった。身体がどろりと溶けて、半透明になっていく。


「ルシファー!」


 彼女の命が消えたと同時に、ケルベスに纏わりついていた黒い煙も消えた。魂だけになった彼女の透けた身体を抱き締めたケルベスが、ミカエルに血のような赤褐色の瞳を向ける。


「天使は誰も殺さないはずだ!」

「やむを得ない場合もある」

「ならどうして、彼女はあれだけ責められたんだ!」


 ケルベスは吠えるように叫んだ。やってもいないのに殺しの汚名を着せられ、一方的に罵られた。だから彼女は翼が黒くなるほど追い詰められたのだと、そう彼は思っている。


「天使の殺しは違法じゃない。彼女は何もしていないが、たとえ彼女がやったとしても問題なく許されるはずだ」

「天国法は最初から彼女を許している。彼女が責めたのは自分自身だ」

「違う、彼女は許されたかった。許してくれなかったのは、天使たちだ」


 罪を犯したかもしれない彼女を、天使は受け入れなかった。冷たい視線を思い出しながら、ケルベスは訴える。


「お前ら天使は……慈悲の心なんか少しも持っていないじゃないか」


 憎悪のこもった赤褐色の瞳が鈍く光った。しかしその表情を受けても、ミカエルは揺るがない。いかなる時も焦らず動じず、負の感情を表に出さないのが「天使」というもの。それを、今のミカエルは完璧に体現していた。

 

「彼女の事は、私も残念に思っている。元に戻す方法があるならどんなことでもするが、一度堕ちた天使は戻らない。善良な天使だったルシファーに、これ以上罪を重ねさせるわけにはいかないだろう」


 ぐっと言葉に詰まったケルベスの目に、半透明になったカラスのような翼が映った。黒い翼は悪魔と同じ。天使を殺すのは、法律違反だ。


「……十三条が、なければ……」

「何だって?」


 思わずそう口走ったケルベスに、サタンが近づく。十三条さえなければ彼女は今も無罪のはずだと思ったケルベスだが、その続きを口には出来なかった。しかし今の彼には流石のサタンも同情している。先程の発言ひとつで即座に指導者リーダーを下ろすようなことはしない。


「……今のは聞こえなかったことにしといてやる。次言ったら指導者リーダーの資格無しとみなしてお前の任命を取り消すからそのつもりでいろ」


 ケルベスは、黙って頷いた。しかし彼の表情は、納得とは程遠い。


「彼女は何もしていないんだ」

 

 再度訴えるケルベス。そこへミアが、ふたりの天使の両腕をぎゅっと掴んで戻ってきた。


「ルシファーちゃんは悪くなかったよ。こっちのピアスの子がお花を蹴って、こっちの眼鏡の子がルシファーちゃんのせいにしたの」


 一体何があったのか、ふたりの天使は顔もあげられないほど憔悴していた。豊満な胸に腕を押し付けられているが、彼らの顔には生気がない。サタンは感心した顔でミアを見た。


「お前やるな」

「ふふっ。私だって、ちゃーんとお仕事してるんですからね」


 ね。と二人の天使の顔を交互にのぞきこんで、ミアは二人の背中を押してミカエルの前に立たせた。サタンはその隙に彼の顔を覗きこみ、彼だけに届くような小声で言った。

 

「おい。真犯人の登場だ。殺してぇって思うだろ?」


「…………」


 ケルベスは答えなかった。彼が怒りを逃がすように浅い呼吸を繰り返しているのを見て、サタンは続けて甘い言葉を囁いた。


「十三条。今だけ不問にしてやろうか?」

「は……? 何、を」

「『例外的な討伐』というのがある。法律書に対象者の名前を書いて、リーダー全員の署名と金印を押せば「例外」の出来上がりだ。そこのふたりはお前が自ら殺せる……どうだ?」


 悪魔の囁きがケルベスを揺さぶる。サタンの挑発するような視線の奥に、反応を見たいという真意が透けて見えた。おそらくサタンは、ケルベスが今後も指導者リーダーとしていられるかどうか、見極めようとしているのだろう。


(乗ったらダメだ。今指導者リーダーを降りたら、今後金印を奪うチャンスはほとんど無くなってしまう……今後のために、今は大人しくするしかない)

 

 彼がそう考えたのは、金印を使って地獄に堕ちたあとの魂を救う方法があるからだ。金印さえあれば、後から十三条を廃止して天使を殺すことも、ルシファーを救うこともできる。ケルベスは、奥歯を噛んで誘惑に乗りたい衝動をやり過ごした。

 

「……ミカエル様に、お任せします。彼らは……天使ですから」

「へぇ? 急に優等生かよ。らしくねぇな」


 サタンは興味を失ったようにケルベスから離れた。乗ってくるかと思ったが拍子抜けだ。


 しかし、諦めたように見えるケルベスとは違い、二人の天使は噛みついていた。これが最後のチャンスとばかりに、あらゆる言い訳をミカエルにぶつけている。

 

「しっ、知らなかったんです! あの青い花からあんなに炎が出るなんて……それに、蹴り飛ばしたわけじゃない。手が滑って落ちたところに足が当たったんです」

「ほんとです! 青い花が何なのかの説明も、全く受けていませんでした。僕もあの時はルシファーさんが投げたと思いこんでて」

「嘘ついたつもりじゃなくて、本当に違うんです!」

「……困ったね」


 ミカエルは天使たちにチラリとだけ視線を向けて、法律書を捲った。その間に、ルキウスとローズが天国の様子を見るために瞬間移動で消える。


「君たちは、天国の法律を知っているかい?」

「……いいえ」

「わかりません」


 二人は同時に首を振った。ミカエルは軽く頷く。法律順守が徹底されている悪魔とは違い、天国法はそれほど周知されていない。もともと善人を管理する天国では犯罪などは起こらないし、天使が普通に生活していて法を犯すような事は通常有り得ないのだ。


「天国法は地獄法とは大きく違う。まず、殺しが違反にならないのは知ってるだろう? それはね。天使の持つ聖なる力には、他者を害するような性質はないからだ。悪魔は天使を殺せるが、天使は悪魔を殺せない……だけど、代わりに破ってはならない厳重な決まりがある」


 ミカエルはそこで一息つくと、ふたりの天使に一歩近づいた。言い聞かせるようにゆっくりと、法律の解説を続ける。


「『武器』と『嘘』……これを使えば、他者を大いに害することが可能だ。だから、使用は厳重に定められているし、法律書にもしっかり記載されているんだ」


 それは、ふたりの天使だけではなく、この場にいる誰にとっても聞いたことのない話だった。

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