第14話ところ変われば常識変わる

 悪魔という種族は、総じて寝起きが悪い。


 煉獄へつながる階段付近では天使たちが元気に蕾をより分けていたが、悪魔は朝に弱かった。しかし常に安定している天国とは違い、地獄では定期的な巡回が必要だ。交代で持ち場についている悪魔達は眠い目を擦りながら、または半分寝惚けながら早朝勤務にあたっていた。


「(はっ、やべ寝てた……)魔王様、お疲れ様です!」

「(え!? 魔王様!)お疲れ様です。こちら異常無しです!」

「こちらも異常無しです、魔王様(あぶねっ、寝てなくて良かったー)」


「今日もご苦労。これ飲め、差し入れだ」

「え!? いいんですか?」

「魔王様ありがとうございます!」


 シルバーから仕入れた眠気覚ましのドリンクを配りながら、サタンは巡回を行っていた。当然ながら、マスター自らが上層から最下層まで全ての階を回る事はそう頻繁には出来ない。たまに行われる抜き打ち検査だ。


(特に問題は無さそうだな……次は、毒の沼地か)


 各階層の隅々まで回り、異常がないかチェックする。サタンは上層の奥にある毒の沼に立ち寄った。毒霧が辺りを覆い、方向感覚を掴むのも難しい。毒に耐性のある者以外は立ち入ることの出来ない危険区域だ。


「よぉ、メルル。調子はどうだ?」


 霧の向こうに濃紺の三つ編みを発見し、サタンは足を止めた。毒への耐性が一際強い彼女はこの沼地の責任者として長く働いている。


「魔王様。こちらは異常なしです」

「そうか、変わりがなくて何よりだ。これ飲め」

「いつもありがとうございます。こちらも準備が出来ました」


 メルルは黒縁の眼鏡の位置を少し直し、丁寧に礼をしてサタンからドリンクを受け取ると、霧の向こうから黒い籠を持ってきた。


「先日おっしゃっていた毒草です」

「おー、さんきゅ。ここのは質が良いってシルバーが言ってたんだよ」

「それは頑張って採取した甲斐がありましたわ」


 メルルは笑顔で籠をサタンに手渡した。中にはここで採れる毒草がいっぱいに入っている。毒の沼地ではあらゆる種類の毒草を手に入れることが出来るので、たまにシルバーから注文が入る事がある。用途は主に解毒剤作りだ。


「後でクロムに確認させる」


 サタンは黒い籠の中身を見たが、シルバーからのオーダーと同じかどうかはわからない。早速クロムに確認させようかと考えていると、目の前に大きな黒い翼がばさりと降り立った。


「サタン様。こちらにいましたか」

「今呼ぼうと思ってたんだよ」

「クロム様! お疲れ様です」


 メルルは深く頭を下げた。魔王に接する時よりも丁寧かもしれないくらいな挨拶に、クロムは首を振る。


「俺にそんな挨拶は不要だ」

「見た目が怖いんじゃね?」

「見た目に関する近寄り難さならサタン様の方が」

「いやお前の方がでけぇし」

「いえあの……すみません、緊張してしまって」


 不毛な争いを繰り広げ始めた二人を前に、メルルは胸に手を当ててクロムを見あげた。その瞳の奥に籠る熱に、サタンが目敏く気がつき微笑ましげに笑う。しかし地獄一の鈍感男は何も気が付かず普通に報告を始めた。


「サタン様。ドラゴンが人間界に現れたらしいです」

「マジか。被害は?」

「まだありませんが、ドラゴンは同じところに続けて現れる習性があるので。今後人間を襲う可能性もあるかと」


 サタンは頷いた。ドラゴンをはじめ、地獄周辺に住む魔物は基本的に悪魔が動向を把握している。管理とまではいかないが、人間界に出たら人間に迷惑がかかる前にどうにかするのも悪魔の仕事だ。

 

「注意して見とかねぇとな……ミアに行かせるか」

「俺が行きますが」

「討伐しないといけないかもしれないだろ? お前が契約破棄したドラゴンだったら気まずいだろぉが」

「別にもう関係ないので」

「ドライな奴」


 サタンは笑った。強大な力を持つ誇り高いドラゴンと一生ものの契約を結んでおいてあっさり破棄し、その後も一切関係ないと言い切れるのは、地獄広しといえどクロムだけだ。全く事情の知らない者は、彼の事を薄情者だと思うだろう。


 しかし、サタンは知っている。彼は怪我をして死にそうなドラゴンを保護したのだ。使い魔契約を結べば、その時点で負っている怪我は回復され、正常な状態に戻る。クロムはたまたま出会ったドラゴンのために契約を結び、再び自由にするために破棄をした。

 

「わざわざ契約するほど、死なせたくなかったんだろ?」

「……何となくです。使い魔にも興味があったので」

「ふぅん。で、破棄したのは?」

「思ったより使えなかったからですが」

「そんな言い方してると、結婚した瞬間別れるって言いそうなやつって噂されるぞ……なぁメルル」

「え!? いえそんなっ! ……クロム様はそんな方ではありませんから」

 

 悪戯っぽく笑うサタンに突然話を振られ、メルルは頬を染めながらクロムを見た。サタンはもう少しだけ助けてやろうかと、今度はクロムに問いかける。


「おい。お前三つ編みっていいと思わねぇか?」

「三つ編み……ですか?」

「おぉ。特に濃紺とかな、可愛いだろ」

「魔王様!? そ、そんな」


 いきなり何を言い出すのかと慌てながらも、眉を寄せて考え始めたクロムから視線を外せないメルルをサタンは面白そうに見る。やがてクロムが、何故そんなことを聞くのかと訝しげに口を開いた。


「まぁ、好みは色々なので好きにすればいいとは思いますが、特に可愛いとは……」

「えっ」

「一応言っとくが、ドラゴンの手網の編み方の話じゃねぇからな」

「? 違うんですか?」

「お前マジか……」


 巨大なドラゴンを躾ける必要がある時や、一部の悪魔の間で秘密裏に行われるドラゴン賭博にも使われる手網には、ここの沼地で生える植物の蔓が使われる。しかも色は濃紺だった。切れることは滅多にないのでわざわざ編まなくても……と考えたクロムだが、どうやらその話ではないらしい。


 では一体何なのだと素で首を傾げたクロムの鈍感さを初めて目の当たりにしたメルルに、サタンは同情を込めた視線を向ける。彼は普段から、クロムの色気の無さについて割と深刻に悩んでいた。


「なら一体何の話をして……」

「もういいから取りあえずこれ確認しろ」

「わかりましたよ……ん? 獄炎花ヘル・フラワーが足りないな」

「え!? す、すみません!!」

「いやそこまで謝ることでは」


 籠を指さして指摘するクロムに、メルルはバッと頭を下げた。特に叱ったつもりはないと、クロムは慌てて首を振る。

獄炎花ヘル・フラワー」は、主に下層にあるマグマの滝付近で稀に咲く、とても貴重な花である。吸い込まれるような鮮やかな青は宝石のように美しいが、大きな衝撃を与えると青い炎を噴きだし、周囲のものを勢いよく焼き払うのだ。数年ぶりに数本咲いたので、悪魔が自分の実力に合わない階層で地獄の業火に触れたときに起こる、火傷の治療の研究に使う予定だった。


「マグマの滝から取り寄せ次第、持っていきます」

「いつでもいい」

「承知しました」

「話まとまったならそろそろ行くぞ。巡回途中だ」

「そうですね。では……あ」


 サタンに合わせてその場を去りかけたクロムは最後にメルルに視線を向け、そしてようやく気がついた。彼女の濃紺の髪が綺麗に編まれている。もしやさっきはこれの感想を聞かれていたのか、悪い事をしたなと最後に一言言い残す。


「その髪。綺麗だな」

「えっ……えっ!?」

「おま……え?」


 突然の誉め言葉にメルルは動揺し、サタンは勢いよく振り返った。しかし二人の視線を全く気にせず、クロムはマイペースに頷いている。

 

「上手に編めていると思うぞ。強度が増しそうならドラゴ……」

「よっし行くぞ! お前もう今は口を開くな、一言もだ!」

 

 ドラゴンの手網に採用してもいいかもしれない、と言いかけた口は、サタンによって塞がれた。先程の話を引き摺っているせいで盛大に事故っている。メルルは呆然と立ち尽くしていた。憧れのクロムと直接話したのは初めてなのだが、色々ショックが大きい。


「これ、悪ぃな。獄炎花それの取り扱いは充分気をつけろよ。じゃあな!」


 サタンは黒い籠を持ったクロムを引っ張って、その口が再び開く前にと慌てて霧の向こうへ消えていった。二人の姿が見えなくなると同時に、霧の反対側からこっそり様子を見ていた若い悪魔達が顔を出す。


「あー、行っちゃいましたね」

「メルルさんざんねーん」

「だからクロム様は無理だって言ったんですよ。あの天然思わせぶりな鈍感さに何人の女子が涙したと思ってるんですか」


「うるさいわね! そんなにすんなりいくとは思ってないわよ」


 メルルはすぐさま髪を解いてかきあげ、眼鏡を外した。普段の彼女はわざわざ髪を編んだりしないし、眼鏡は伊達だ。


「もぉっ。クロム様って固そうだから、真面目系でいけばちょっとは気が惹けるかと思ったのに」

「ドラゴンの手網に見えるようじゃ無理ですよぉ」

「あははは」


 後輩達に笑われ、メルルは悔しさに唇を噛んだ。天使にも悪魔にもモテたルキウスがあっさり結婚し、ケルベスまでもが婚約した今、クロムは最後の超優良物件といえる。何としても妻の座におさまりたいと、絶賛婚活中の彼女は燃えていた。


「そもそもクロム様の結婚自体想像出来ないですよね」

「いやわからないわよ? ケルベス様だって結婚したんだから」

「しかも相手って天使でしょ? ほんと、どんな手使ったんですかね」


 最後に発言した若い悪魔が、ちらりと沼地の入り口を見た。ちょうど話題の白い翼が降りてくる。ルシファーだ。


「こんにちは!」

「何の用かしら?」


 メルルと後輩たちはすぐに沼地から出た。ルシファーは毒の耐性が無い。数本の毒なら癒しの力である程度は相殺できるが、大量の毒草が生えている沼地には入れないのだ。


「医療棟からお届けの品よ」


 ルシファーは白い小瓶を差し出した。解毒剤の試作品だ。毒の沼と医療棟は、よく連携して毒の研究をしている。


「ありがとう。試してみるわね」

「ええ、よろしく」

「地獄は天使には辛いでしょ。わざわざこんな奥まで来なくても、その辺の悪魔にやらせてもいいのよ」

「いいのよ早く馴染みたいから」


 ルシファーはにっこり笑った。これが安定を手に入れた女の余裕かと、メルルは闘志を燃やす。ケルベスとルシファーが住む予定の豪邸は、建築途中にもかかわらず地獄中から注目を浴びている。


 クロムは仕事の合間に自身の執務室の隣の小さな部屋に置いた簡素なベッドで眠っているし、ミアは気に入った男の家をてきとーに渡り歩いている。サタンは最下層にマスターの部屋があるので、上層部の中で家を建てて住むのはケルベス夫妻だけだ。彼らはとても目立っていた。


「通勤途中に見かけたけど、凄い豪邸よね。でも、リーダーの妻だなんて、色々大変でしょ」

「そんなことないわ。みんないい人たちだし、きっと……」

「みんな注目してるんですよ。あのケルベス様が結婚、しかも天使とだなんて」

 

 メルルと後輩たちはクスクス笑った。その白い翼に向けられた視線はただの嫉妬にすぎなかったが、ルシファーには侮蔑や嘲笑の視線に見えた。


「そうよね……」


 ルシファーは白い翼を小さく畳んだ。どんなに地獄に馴染もうと思ったところで、翼の色は変わらない。そしてその視線はそのまま、夫であるケルベスに向けられるのだ。


「……みんなに認めてもらえるように頑張るわ。地獄のこと、色々教えてね」


 ルシファーは憂いを隠して笑顔を作った。メルルが悔し気に口元を歪める。気に入らない。何かもう一言くらい言ってやろうと思った時、ルシファーの手に小さな虹色のものが握られていることに気が付いた。


「……それ、何?」

「あ、これ? 虹色のクローバーよ。たまたま見つけたの。綺麗でしょ」


 ルシファーは嬉しそうに四葉を掲げた。彼女はまだ、クローバーに関する噂を知らない。本当にたまたま見つけて、珍しいから持っているだけだった。


「そんなのまで嬉しそうに持ってるなんて、あなた本当に変わってるのね」

「天使が不幸のシンボルだなんて」

「似合わないですよ」

「えっ!」

 

 再びクスクス笑われて、ルシファーは思わずクローバーから手を離した。メルルはすかさずクローバーを拾う。嘘や冗談ではない。天国では幸運のクローバーと呼ばれているこの虹色は、地獄では、不幸のクローバーと呼ばれているのだ。


「これ、不幸を呼ぶって噂なの。持ってない方がいいんじゃない?」

「そうですよ。不幸が降りかかるかも」

「そうなのね。わかったわ。あの……」

「いいわよ、もらっておくから」


 メルルはクローバーをひらひら振った。ルシファーは不幸を押し付けたようで申し訳ないと謝りながら、医療棟へと戻っていく。その遠ざかる白い翼を見ながら、メルルと後輩たちは嘲るように笑った。


「あはは。やっぱり天使ね。不幸が怖いだなんて」

「地獄のことも知らないで、よく住もうと思いますよね」

「ほんと。知らないんですかね」

「きっと知らないのよ」


 メルルは虹色のクローバーを大切そうにハンカチで包んだ。不幸は悪魔のエネルギー。地獄の発展を指す言葉だ。罪人の魂から出る悲痛な叫びや痛みが悪魔の力を高め、翼の艶を増す。


「『不幸』が嫌なら、地獄に来んな」


 最後に吐き捨てるようにそう言って、メルルたちは毒の沼へと戻っていった。

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