第15話午後十時のシンデレラ

 天国から遥か雲の下、人間界の空は暗く月が仄かに家路を照らす。大半の人間は自宅に帰りほどなく眠りにつくだろうが、一部の店ではこれからが盛りあがる時間だ。


「なぁ、お前ドラゴン倒したってマジ!?」

「私も聞いたわ! この前凶暴化した熊を倒して街を救ったばっかりなのに」

「おぉ、みんな俺に任せとけよ」


 盛り上がりの中心はいつも一人の青年だ。燃えるような赤い髪は集団の中にいても一際目立つ。腰から下げた自慢の大剣を振り下ろしどんな強敵をも薙ぎ払う様は他の追随を許さず、細かい事を気にしない豪快な性格とその人のよさで誰からも慕われるこの男をこの国で知らない者はいない。


「カイル、これ飲めよ! 俺の奢りだ」

「やりぃ! おっさん悪いな」

「いいって事よ。お前のおかげで店も大盛況だ」


 酒場の店主が自ら大きな酒瓶を持ってカイルを労う。それを笑顔で受け取って、カイルは店をぐるりと見回した。毎晩常連で賑わうこの酒場は、飲みに来る者全てが顔見知りだ。特に今日はカイルを労うため、店は大勢の客で溢れかえっていた。


「それでは、ドラゴンを倒した男カイルの成功を祝して」

「乾杯っ!!」


 カイルはグラスを持ち上げて、中身を一気に飲み干した。すぐに二杯目をオーダーし、串に刺さった肉を豪快に噛みちぎる。彼の周囲の若者たちが、興味津々に身を乗り出した。


「なぁ、ドラゴンってどんなの?」

「やっぱ火ぃ吹くのか?」

「お城みたいに大きいって聞いたわよ!」

 

「まぁな。でも俺の剣があれば楽勝よ。島より大きいドラゴンだって倒して見せるぜ!」


 カイルは剣を高く掲げた。以前隣国との戦争に参加した際にこの国の王から賜った剣が彼の自慢だ。

 

 カイルは騎士団には所属していないが、その腕前から有事の際には真っ先に声がかかる。討伐に参加する度に出る多額の褒賞金で生活をし、飽きたらあっさり他国へ渡る。


 この国最強と謳われながら誰も縛る事ができない彼を少しでも長く国に留めるため、どの国も彼を国宝のように扱っているのだ。


「でもいいのかい? こんな小さな酒場で飲んでて。城では大きなパーティーが開かれてるんだろ?」

「良いんだよ。あんなの肩凝るだけだし、おっさん達のつまんねー話聞きながら飲む酒なんか美味くねーしさ」

「姫様と婚約するんじゃなかったっけ?」

「ねーよ。ダンスとかわかんねー。剣舞じゃねーなら覚えたくもねーしな」

「でも超美人だって聞いたぜ」

「あー……見たけどそんな。化粧濃いし香水キツいし。あと喋り方もなんかまどろっこしくて、何が言いたいのかよくわかんねーし」

「うわ厳しっ」

「るせ」


 カイルは顔を顰めてグラスを傾けた。彼は酒豪だ。こんな飲み方も、あの気取った王城のパーティーでは出来やしない。誰よりも強くて誰よりも自由。そんなこの生活を、カイルはとても気に入っていた。


「……ん?」


 宴も中盤、盛りあがりも最高潮の騒がしい店内で、カイルはふと見慣れない女性がカウンターに座っているのを見かけた。藤色の長い髪、座っていてもわかるスタイルの良さ、ひとりグラスを持ちあげ憂げに溜息をつきながら静かに飲んでいる様子は、遠目からでも印象に残る。


「なぁ……あいつ誰? 見た事ねーけど」


 カイルは厚切り肉を運んできた店主に聞いた。常連ばかりの小さな酒場で新参者はとても目立つ。カイルのその質問も当然だと、店主は頷いて答えた。


「あぁ。さっきふらっとひとりで入ってきたんだよ。すごい美女でさ。酒を出す手が震えちまった」

「へぇ……この辺のやつ?」

「たぶん違うな。どっから来たのか聞いてみるか?」

「いや。俺が行くわ」


 飲みかけのグラスを持って席を立ったカイルに、同じテーブルに座っていた仲間から野次が飛ぶ。


「うわっ。あいつマジで行ったぞ」

「姫より美人ってか?」

「うまくいったら連れて来いよー」

「るっせ! 黙ってろって!」


 仲間の声で一気に注目を浴びてしまった。気恥ずかしさを不機嫌そうな声色で隠し、カイルはカウンターの隅へと歩き出したのだった。

 


          ◇



(倒しちゃったのかぁー)


 魔王からドラゴンの偵察命令を受け、ミアは酒場へやって来た。ミアの魅了は魔物相手にも使えるので、三名のリーダーの中で最も平和的にドラゴンを元の場所に帰すことができる。


 そのために選ばれて来たのだが、どうやらサタンの期待には応えられなかったようだ。ミアは溜息をつきながらグラスを持ちあげた。こういう時は飲むに限る。


(お酒の匂いさえ消せば、ちょっとくらいバレないよね……)


 実はミアはこの後地獄での夜勤が控えている。勤務前の飲酒は良い顔はされないが、法律違反ではないのでバレても多少は目を瞑ってもらえるだろう。サタンとクロム相手に残念な報告をしないといけないプレッシャーをアルコールで少しでも和らげようと、ミアはグラスを一気に呷った。


「……そんな飲み方してっと、身体壊すぞ」


 不意に話しかけられ、ミアは隣を見上げた。燃えるような赤髪の青年が、すぐ隣にグラスを置いてうかがうようにこちらを見ている。無傷で帰すはずだったドラゴンを殺した男だ、と反射的に思った。


「……そんなにらまなくてもいいだろ」

「え? あ……ごめん」


 睨んだつもりはなかったのだと、ミアは慌てて謝った。ドラゴンのことを思って、つい男を見る目が厳しくなってしまったのだ。男は軽く息を吐いて隣に座った。今は人間と飲むような気分ではないのに。


「カイル」

「……そう」


 ミアはもう隣を見なかった。声をかけられて応じなかったのは初めてのことだ。男の名前なんかよりも、今はサタンから聞いたクロムのドラゴンとの契約理由がミアの頭の大半を占めていたのだ。


 使い魔契約はどんな悪魔でも一生に一度しか使うことのできない特別な契約。あの顔に似合わず心優しい同僚悪魔は自らのたった一度のチャンスを、見知らぬドラゴンのためだけに使ったのだ。それなのにこの人間は何の躊躇ためらいもなくドラゴンを殺し、あまつさえ宴まで開いている。


「せんぱいに、なんて言ったらいいのよぉ……」


 小さく呟き項垂うなだれたミア。その手に握られたままのグラスに、カイルは自分のグラスを合わせた。コン、と軽い音が響き、ミアはカイルに目を向ける。


「お。やっとこっち見た」

「……なんの用ですか」

「落ち込んだ時は飲むに限るって?」

「ほっといてよ」

「そう言うなって。ほら、酒だけじゃなんだろ? 肉も食えよ」


 カイルは串焼きの載った皿をミアの前へと差し出した。ミアはやけになって串を一本取り、豪快に肉を口いっぱいに詰め込む。どうせ魅了をかける相手もいないし、今は男をひっかけて遊ぶ気分でもない。


 しかし、美女には似合わないその仕草はカイルの興味を大いに惹いた。


「話くらい聞いてやるよ。何があってそんな落ち込んで……」

「ふぁーふぁあほらおんふぉおったほあ」

「わかったわかった。食い終わったらもっかい聞くわ」


 肉を口に入れたまま喋ろうとしたミアに、カイルは笑った。その優し気に細められた目元を見て、ミアの顔から少し毒気が抜ける。肉を噛んで酒で流し込み、少し落ち着いてから、ミアは改めてカイルへの恨み言をぽつりと口にした。


「……あなたがドラゴンを殺したから」

「ドラゴンを?」


 カイルは驚いた。今まで彼は数えきれないほどの討伐に参加してきたが、褒められこそすれ、文句を言われたことは一度もなかったのだ。


「何でドラゴン殺したらいけねーんだよ」

「かわいそうでしょ」

「かわいそうだって? はっ!」


 カイルはミアを馬鹿にしたように鼻で笑った。いかにもお嬢様の考えだ。ドラゴンがどれだけ恐ろしい生き物なのか知りもしないで、生きものを殺すというだけで野蛮だというのだ。


「女はすぐこれだもんな。ドラゴンを知りもしねぇでよく言うよ」

「どうしてドラゴンを知らないって決めつけるの? 乗ったことあるかもしれないじゃん」

「乗る? 馬じゃねぇんだぞ! 乗れるわけ……」

「額の鱗を撫でると大人しくなるんだよ」

「鱗……? いや、てきとーなことばっか……」

「炎は一度噴いたら魔力が溜まるまでしばらくは噴けないの。その間に飛び乗って鱗を撫でれば、戦う必要なんてなかったのに」

「炎……それは……」


 カイルは言葉に詰まった。炎を噴いたあとに溜めの時間があるのは、実際に戦ったカイルも知っていることだ。それに、額の鱗。確かに討伐したドラゴンの額の鱗は、そこだけ色が違っていた。ドラゴンは討伐されたばかりで、絵姿もまだ描かれていないし正確な情報も回っていないはず。


「お前……何者だ」


 もしやドラゴンの化身かと、カイルは眼光鋭くミアを見た。そして、好意に満ちた視線ばかりを当たり前に受けているミアにとって、そんなカイルの反応は少し刺激的に映った。


「ふふっ。教えない」


 魅惑の悪魔の血が騒ぐ。ケルベスのアドバイス通りの不意打ち、左下からの上目遣い。クロムのアドバイス通り、メイクは少し薄めにしてある。最後に指先でトン、と軽くカイルの胸を叩いて、ミアは席を立った。振り返らないのが男の心に残るコツだと、彼女は知っている。


「……あっ! 待て、名前を……」

「何だよカイル」

「フラれてやんの」

「ダセぇ」

 

 我に返ったカイルが言った時には、もうミアは酒場のドアを閉めていた。フラれたカイルに遠くから仲間たちの野次が飛ぶ。


 人間界の夜は、ふらりと現れ消えていった一人の美女の話で、それからも大いに盛り上がったのだった。

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