第13話虹色のクローバー

「何で俺たちがこんなとこ来なきゃならないんだよ!」


 天使の朝は早い。まだ多くの悪魔たちが寝ている早朝。地獄の上層に、二人の天使が降りてきた。一人は四角いフレームの眼鏡をかけた真面目そうな、もう一人は大きなピアスをつけた快活そうな天使である。彼らは友人でも、昔馴染みでもない。しかしある事件をきっかけに急激に仲良くなっていた。あの殺し屋事件である。


「仕方ないだろ。仕事クビになったなんて、誰にも言えなかったんだから」


 眼鏡の天使がそう言った。厳密にはクビではなく、煉獄での死者との接触禁止令で、しかも期間限定の話だ。


 しかし、煉獄にいて死者と接しない仕事などは掃除くらいしかないし、煉獄の仕事は一度失ったら再び就くのは至難の業。つまり、実質クビを言い渡されたのと同じ事なのだ。


「あーあ。せっかく煉獄勤務を勝ち取ったのに、あんな事でクビになるなんて思わねーじゃん。カッコ悪くて誰にも言えねーよ」


 大きなピアスの天使がため息をついた。資源豊富な天国には金銭の必要性がほとんどなく、仕事が無くても生きていける。しかし、死者を天国に連れていく事ができる煉獄勤務は天使の花形として人気の職業だ。あの仕事を失うのは、天使の誇りである翼を失うくらいに辛い。

 

「可哀想だと思って庇っただけなのにな」

「そうそう。殺し屋だなんて知らなかったし」

「あそこで黙って見てるなんて、そんな血も涙もない事出来るわけないだろ」


 サタンやミカエルが言った言葉は、彼らの納得出来るものではなかった。人を助けたいと思う気持ちこそが天使の本質。自分たちはそれに従っただけだ。たとえそれが地獄行きの死者であろうとも、あの泣き崩れた青年に非情な態度を取るなどはできやしない。失意に満ちたあの表情。追い打ちをかけるように地獄へ連れていくなんて、まさに悪魔の所業だ。

 

「ほんと悪魔ってやな感じだよな。魔王様出た途端にみんな黙っちゃってさ」

「ミカエル様もわかってねーし。あれ魔王様が怖くて従ってるだけじゃねーの?」

「後ろからの圧、凄かったもんな」


 実際は、サタンはただ立っていただけだしミカエルがサタンに臆することは無い。しかし二人の目にはそう見えた。背後からの威圧的なオーラが怖かったのだ。


「ほんとアレさえなければ、今頃煉獄だったのになー。つか地獄くさっ! 何、腐ってんの?」

「なんか声も聞こえるよな。苦しそうっていうか」


 二人は揃って鼻を摘んだ。彼らが地獄に来たのは初めてだ。煉獄勤務である程度魔のオーラに慣れているので来ることが出来るが、天国とは違いすぎる環境に早くも辛くなっている。しかし彼らは帰れない。ここ地獄で仕事をする予定なのだ。ずっと天国にいては仕事をクビになった事がバレてしまうし、煉獄にはもういられないからである。


「こんにちは!」


 不意に上の方から声がかかった。見上げると、栗色の髪の小柄な天使が降りてきた。両手に大きな籠を抱えている。彼女を見て、二人は顔を見合わせた。こんな場所に、他にも天使がいるとは思わなかったのだ。


「地獄で仕事を探してるっていうのはあなた達?」

「はい」

「あの、あなたは?」

「ルシファーよ! もうすぐ地獄に住む予定なの。ここには滅多に天使を見ないから、仲間ができて嬉しいわ!」


 ルシファーはにっこり笑う。しかし、釣られて笑った眼鏡の天使とピアスの天使の頬は引き攣っていた。こんな変わり者の仲間だなんてごめんだ。自分達はやむを得ず来ているのに。


「ちょっと事情があったんです」

「ええ。聞いてるわ。思い切ったわね、魔王様に逆らうだなんて」

「知ってるんですか?」

「もちろんよ。でも大丈夫よ、地獄も慣れれば天国と変わらないくらいに過ごしやすく感じるようになるわ」

「いやいいです!」

「俺ら住むわけじゃ無いんで!」


 一緒にされてはかなわないと、二人は揃って首を振った。ルシファーはそれを気にする素振りもなく、マイペースに二人に籠を差し出す。中身はこの地獄で採れる毒花のつぼみ。解毒剤を作るための工程で、地獄でしか出来ない作業があるのだ。


「これをこの蕾に一滴ずつ振りかけて、花が咲いたものだけを医療棟に持ってきてほしいの。最上階のシルバー様宛よ」

「わかりました」


 眼鏡の天使が籠を受け取る。お願いね、と短くいって、ルシファーは悪魔の住居エリアへと飛んで行った。どうやら本当に住むらしいと、二人の天使は信じられないといった表情で見送る。稀に見る変わり者だ。


「何でこんなとこ住むんだろ」

「ほんと、理解できないよな」


 二人は煉獄に続く階段の近くに座り込んだ。少しでも天国の近くにいたいという思いだ。少し慣れてきたとはいえ、腐った匂いはするし、苦しそうな呻き声も聞こえている。地獄の事を知れば知るほど、こんな場所に平気でいる悪魔という種族が、とても恐ろしいもののように感じるのだった。


「帰りたいな……」


 試薬の蓋を開けながら、ピアスの天使がぽつりと言った。しかし、帰るわけにはいかない理由もあった。


「彼女ができたばっかりなんだよ」

「最悪のタイミングだな」


 眼鏡の天使が眉を寄せる。まだ若い二人にとって、恋人という存在は大きい。幸せ絶頂のタイミングでの突然の失業。バレたら振られてしまうおそれもある。


「俺はさ、一家全員煉獄勤務を経験してんだ。親はもう引退したんだけど、昔から凄いプレッシャーかけられててさ。努力してやっとなれたのに……ばーちゃんにも何て言えば……」


「…………」


 眼鏡の天使が下を向いて言った。ピアスの天使は何も言えない。家族からの期待を乗せ、恋人や友人から羨望の眼差しを受け、純白の翼を広げて死者の手を取り天国へのぼる。それこそが天使の花形、煉獄勤務なのだ。


「俺たち、そんなに悪い事してないのにな」


 何をしたわけでもない。家族を殺され泣いていた地獄行きの青年に、死んでから天国でやり直すチャンスがあればと思ってしまっただけだ。しかも自分たちは騙された側だし、一方的に傷つけられた側だ。好きな仕事を取り上げられるような事をしたとは、彼らはやはり思っていないのだった。


「……そういえばさ」


 しばらく黙々と作業したあと、眼鏡の天使が蕾をひとつ取り出しながら、思い出した噂を口にした。


「幸運のクローバーって知ってるか?」

「クローバー? あの四葉の?」


 ピアスの天使が首を傾げる。天国のクローバーは全てが四葉だ。しかし、ありふれた四葉のクローバーに、特に幸運の意味はない。どちらかというと、その辺の雑草扱いだ。


「ただの四葉じゃないんだよ。葉が虹色に光る四葉ってのがあるらしいんだ」


 眼鏡の天使は続けた。彼も本物を見たわけではなく、噂で聞いただけだ。ピアスの天使は試薬を蕾に慎重に振りかけながら先を促す。


「それで、それ見つけるとなんかあんの?」

「願いが叶うらしい」

「よくある話じゃん。中心街の噴水と同じだろ」


 花が咲いた。これは医療棟に持って行く分だと、ピアスの天使は籠に入れる。例えに出したのは、天国の中心街にある大きな噴水だ。通りがかりに虹がかかると幸せになると昔から言われているが、彼はそんなの迷信か街を活気づけるための作り話だと思っている。

 

「それが違うんだよ。虹色のクローバーを見つけたって天使の願いが、本当に叶ってるんだって」

「どんな願いだよ?」

「振られた恋人と運命の再会をしてより戻せたって天使もいたし、あと折れた腕が元通りになったって」

「嘘だろ!?」


 ピアスの天使は驚いて、蕾を落としそうになった。恋人と再会したのは偶然かもしれないが、治療もなしで折れた腕が戻るのは普通ではない。しかし眼鏡の天使は自信たっぷりに頷いた。この前ルキウスが話しているのを偶然聞いたのだ、彼の情報に間違いはない。


「本当だよ。俺、これが終わったら探してみようと思うんだ」

「虹色のクローバーを?」

「そう。だって、願いが叶うかもしれないだろ?」

「願いって?」


 眼鏡の天使が蕾を差しだす。ピアスの天使が試薬を振りかけながら質問した。彼は今のところ、話半分に聞いているだけだ。考えている事も願い事がどうというよりは、試薬一本しか無いならこの作業一人で十分じゃね? とかそんなもんである。


 しかし、隣から聞こえた「お願い事」の内容に、ピアスの天使は手を止めた。

 

「煉獄勤務に戻れますようにって、お願いするんだよ」


「……まさか。叶うわけ」

「わかんないだろ。折れた腕戻ったんだし、失った仕事も戻るかも」

「本当に効果あるの?」

「あるって。なかったとしても、やらないよりましだ」


 二人は顔を見合わせ、頷きあった。そうと決まれば早く作業して天国に届けようと、二人は急いで手を動かした。

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