ヴィラン逆転 〜 物語を渡った先は悪役令嬢でした。断罪されると思ったけど、滅びたのは世界の方で 〜

十三番目

永遠の契約


 私はこれから、死ぬのだろうか。


 目が覚めたある日、ここがいつか読んでいた本の中だと気がついた。

 平民だったヒロインが実は貴族の婚外子で、社交界デビューの場で王子と出会う物語。


 二人は恋に落ちるが、王子には既に婚約者がおり、ヒロインのことを知った婚約者は怒り狂うことになる。

 悪行に手を染めることもいとわず、まさに悪役と呼ばれるに相応しい人物となっていくのだ。


 そう。それが私。

 この物語、「運命の導き」に出てくる悪役令嬢──。


「聞いているのかリリー!」


 リリー・フォレスト。

 それがここで与えられた私の役割であり、名前なのだ。


「返事もないとはな。君にはほとほと愛想が尽きたよ。連れて行け」


 リリーは他の貴族の前で己の罪を断罪され、このまま城の地下牢へと連れていかれる。

 そして、処刑の時まで短い余生を過ごすのだ。


 王子の後ろに庇われたヒロインは、うるうるとした目でこちらを見ている。


 本に出てくるリリーのような悪行を、私は一切しなかった。

 それにも関わらず、私はこうして崖の方へと進んでいく。

 これが運命とでも言うのだろうか。


 ああ、なんてつまらない物語だろう。

 結末を何一つ変えられない上、こうして後味の悪い最後を迎えるのだから。

 私にとっては最悪の物語だ。


 周りに集まってきた兵士に腕を掴まれる。

 でももういい。

 もう、疲れた……。


 こんな世界に、これ以上いたくはない。

 そう心の中で呟きながら、私は最後にもう一度、王子とヒロインの方へと目を向けた。


 笑っていた。


 王子の後ろに隠れたヒロインは、醜悪しゅうあくな顔で私の方を見ながら、見下すようにわらっていた。


 あんな女がヒロイン……?

 本では全く語られなかったヒロインの一面に、いまさらながら乾いた笑みがこぼれてくる。


 ──滅びてしまえ、こんな世界。


 本は本のままであれば良かったのだ。

 そうすれば、ただ素敵な物語にひたりながら、美しい世界の余韻よいんだけを楽しんでいられたのに。


 誰か、助けて。


 誰でもいい。


 抜け出したいのだ。

 終わらない物語の中から。


 帰りたいのだ。

 私が本来居るべき場所へと。


 とうに帰り道を忘れてしまった、私の元いた世界へと──。



 ブシャリ。


 まるで肉の潰れるような音がした。

 目の前で飛び散る赤はあまりにも鮮やかで。


「ローズ!」


 王子の悲痛な叫び声と、周囲にたたずんでいた貴族達の甲高い悲鳴が聞こえる。


 ローズはヒロインの名だ。

 そう、ヒロインの……。

 彼女の胸に、大きな穴が空いていた。


 吹き出した鮮血は、辺りを一瞬で赤に染め上げていく。

 まるで心臓ごとくり抜かれたように空いた穴は、向こうの景色が見えるほどだ。


 ほんの瞬き一つの間に、ヒロインの命が消え去っていた。

 呆然と眺める私の方に、誰かが勢いよく駆け寄ってくる。


「やっと見つけた!」


 喜色満面きしょくまんめんの青年は、私に飛びつくと、ぎゅうぎゅうと強く抱きしめてきた。


「ずっと探してたんだよ。色んな物語を追いかけてきたけど、その度に君はもう死んでて、次の物語に渡った後だって分かるし……」


 私を見つめる血のように紅い瞳と、輝く銀色の髪。

 口元から見える尖った犬歯が、やけに鋭く感じられる。

 同じ人間かと疑うかのような絶世の美貌びぼうには、どこかあやしい雰囲気も混じっていた。


「リリー! そいつはいったい誰なんだ!」

 

 王子の声で、ふと我に返ってくる。

 辺りは血まみれの惨状さんじょうで、地面には事切れたヒロインが転がっていた。


 その側でひざまずく王子の白い服は、今や真っ赤に染まっている。

 血走った目でこちらを見る王子の顔は、理解できない現実と恐怖に歪み、錯乱さくらんしているようにも見えた。


「うるさいな」


 隣で呟かれた言葉に、思わず青年の方へと視線を向ける。

 王子を見つめる目は仄暗ほのぐらく沈み、まるで汚物でも見ているかのように重い。


「ねえ、咲藍さらん。消してもいい?」


「え……?」


 咲藍というのは、私の名前なのだろうか。


「いいよね? だって言ってたじゃないか。こんな世界、滅びてしまえばいいって」


「それは……!」


 咄嗟とっさに止めようとした言葉が、喉の奥でき止められる。


 そうだ。本当は思ってた。

 こんな理不尽な世界、滅びてしまえばいいって。


「よくもローズを……! 答えないかリリー!」


 黙り込む私に向けて、王子がさらに何かを叫ぶ声がする。


 うるさい。


 何一つしていないことをでっちあげ、人の命を軽々と奪おうとしたやつらが、どうしてこうもわめいているのか。

 自分達は良くて、他は駄目だとでも?


 ──ああほんと、耳障りなやつらだ。


「いいよ、消しても」


 私の言葉を聞いた青年の目に、狂気に近い喜びが灯る。


「その言葉を待ってた」


 ひどく嬉しそう笑った青年の表情があまりにも綺麗で。

 自然と見惚れてしまう。


「おいリ──」

「汚い口で、何度も僕の主を呼ぶなよクソ野郎」


 王子の頭が、破裂した。


 パンッと弾ける風船のように、飛び散った血液が雨のように降り注いでくる。

 いつのまにか静まり返った広間には、石化した貴族達の像が立ち並んでいた。


「咲藍、終わったよ。綺麗に片付いたでしょ? だからね、褒めて?」


 目の前に差し出された銀色に、戸惑いつつも手を伸ばす。

 恍惚こうこつとした表情で受け入れた青年は、見れば見るほどあまりにも異質で、あまりにも魅力的だった。


 少しの間撫で続けていた手をゆっくりと離す。

 名残惜しげに手の方を見た青年だったが、すぐに表情を変えると、にこにこと私の方を見つめてきた。


「じゃあ行こっか」


「行くって、どこへ……?」


「それは勿論、次の物語へだよ」


 困惑する私の手を取ると、青年は城の出口に向かって歩いていく。


「でも私、まだ生きてるから無理だと思う」


 次の物語へ渡るには、この世界で死を迎えなければならない。


 どんな最後でもいい。

 とにかく命を終えない限り、私が次の物語せかいへ行くことはできないのだ。


「大丈夫。咲藍にはもう、僕がいるから」


「貴方はいったい……何者なの?」


 どうして私を探していたの?

 なんで名前を、知っているの?


「覚えてないのも無理ないよね。ひとまず僕のことは、朱華しゅかって呼んで」


 青年の手が頬に添えられる。

 知らずについていた血のあとを、そっと指でぬぐってくれた。


「朱華……」


 名前を呟くと、朱華はにこりと笑顔をみせてくる。


「僕はね、咲藍を元いた世界に戻してあげたいんだ」


「元いた世界に帰れるの?」


 信じられない。

 私が忘れてしまった帰り道を、朱華は知っているというのだろうか。


「うん。少し時間はかかるけど、必ず帰してあげる」


 思わずこぼれた涙が、頬を伝って落ちていく。

 視界が歪み、次から次へと涙があふれてきた。


「でも、一つだけ約束して欲しいことがあるんだ。僕を手放さないと……そう約束して」


「手放さないって、約束すればいいのね?」


 元いた場所へ帰れるなら、何だっていい。

 むしろ帰れないと思っていた世界に帰るためには、朱華の存在が必要不可欠だろう。


 言われなくとも、手放すつもりなんてなかった。


「分かった。約束する」


 今までで一番美しく微笑んだ朱華は、「ありがとう」と言いながら、私を抱きしめてくる。

 そしてそのまま、私の首に噛みついてきた。


「はい、これで契約成立。末永くよろしくね咲藍」


 ポカンとした顔で立ちすくむ私を見て、朱華は幸せそうに笑っている。


「噛んだ……」


 プルプルと震え出す身体と、驚きから浮かんでくる涙。

 朱華はその様子を見て、少し目を見開いている。

 心なしか、紅が深みを増し、瞳孔が縦に伸びているような気がした。


「あ。勿体無いよ、咲藍」


 頬をつたい落ちかけた涙を、朱華の唇が吸い取っていく。



 あまりのことに、私のキャパはとうとう限界を迎えた。


 暗くなっていく意識の中、最後に見た光景は、朱華の口元から覗く犬歯……ではなく、鋭く尖った牙だった。


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