第45話 俺の役目

「あ–––––––」


 一瞬、目を疑った。

 幻かと思って目を擦りたかったけど、そんな動作なんて忘れてしまうくらい。

 俺は建物の屋上の壁に引っ付いて路地裏を–––––––いや、冴島さんを見下ろす1匹の赤い化け物の存在に目が釘付けになった。


 途端、理解する。

 脳が理解する。

 赤い奴の行動を。これから起こることを。その結末を。


「......」


 冴島さんは気づく素振りを見せていない。

 自身の頭上にまだ獲物が残されていることに、一切の反応を示していない。

 分かっているのか、分かっていないのか。その真意は不明だ。

 でも......考えてみろ? 冴島さんの性格的に、考えてみろ?

 もし冴島さんが存在に気付いていたら、もう行動を起こしてる筈だ。敢えて隙を見せる、っていうのもあるかもしれないけど、今まで見てきた彼女の動きから考えてみると、そんな相手を試すような回りくどいことはしない。敵がいるなら、容赦なく殺していた。

 それに、彼女と初めて会った日–––––––主に、公園でのことを思い出してみろ?

 そこからも考えてみるに–––––––間違いない–––––––冴島さんは–––––––


「冴島さんのことだ。絶対に気が付いてない!」


 結論が出た瞬間、俺は物陰から顔を出し、


「冴島さん! 上だ!」


 叫び、彼女に知らせる。

 路地裏で轟く俺の声。木霊は一瞬。

 でも、彼女に聞こえない筈ない。


「え?」


 声に反応し、視線が俺へと向けられる。

 驚愕と奇妙。彼女の目は、そう言っていた。


 同時に、上の壁に張り付いて待機していた化け物が動き出す。

 壁に固定していた体を沈め、脚に力を貯め、そのままロケットの如く下にいる冴島さんに向けて高速落下を始めた。

 やはり予想道理の奇襲。上空からの落下攻撃。自身の体を弾丸とする捨て身の特攻。


「–––––––!」


 俺の叫びの意図を汲み取った冴島さんは、視線を俺から上空へと向ける。

 そして、残されていた敵を目にする。


 敵を確認した冴島さんは即座に戦闘態勢に移行。

 下ろしていた刀を握り直し、落下に応戦しようとした。

 –––––––しかし、反応と行動はコンマ秒程遅い。故に、


「–––––––キャッ!」


 応戦かなわず刀は弾かれ、落下してきた化け物が彼女の足元に着弾。

 揺れる地面。舞う砂埃。砕けるコンクリート。

 着弾の衝撃によって冴島さんは道先へと吹き飛ばされ、荒いコンクリートの地面に身を転がせる。


「ウグッ」


 絞り出されるうめき声。

 弾かれた刀は冴島さんから離れた地面に転がっている。

 冴島さんは表情を険しくしながら、打ち身により痛む自身の体を抱えた。


”–––––––”


 対して、化け物の方は元気だ。

 高速で落下したのにも関わらず、痛がる素振りをせずに倒れる彼女を睨みつけて構えている。


 戦闘は不可–––––––というまでではないが厳しい状況。

 たったの一撃。

 たったの一瞬。

 それだけで、形勢は変化してしまった。

 ......そうだよ。忘れていた。

 俺達は今、少数対多数。パワーバランスの天秤が少数の方に傾いていたとしても、所詮は少数。多数による暴力は侮ってはいけない。

 それがたとえ彼女に比べて小さい力の集合なのだとしても–––––––ましてや、相手は異形と言う名の人外だ。余計に力の天秤は不安定となる。


「つっ–––––––」


 彼女は険しい表情と鋭い視線を化け物に向ける。

 当然、これで彼女は諦める人間ではない。心が敗北することは決してない。殺意による抵抗で、赤い化け物を威嚇する。


”ヒャハハ!”


 しかし、女体は怯まない。赤ん坊も笑いを止めない。

 着実に、ゆっくりと、冴島さんとの間合いを詰めていっている。

 獲物がいる、と。

 食料だ、と。

 治まらない飢えの為に、彼女を狙っている。


 このままでは–––––––

 このままでは–––––––

 このままでは–––––––






 しかし、当然。

 俺の我慢は、聞かず–––––––


「ッ!」


 ゴミ箱から身を晒し、駆け出す。

 一心不乱に敵目掛け、固くて重い大地を蹴る。


「はぁ、ふぅ、はぁ–––––––」


 恐怖心理性はいらない。この際邪魔だ。ただ障害だ。動きの妨げだ。そんなものより大事なものが今、目の前で危機に瀕している。

 なら、この身なんてどうでもいいだろう?

 大事なものが消えるより、自分が消えた方がよっぽどマシだろう?


 幸いにも、今奴は俺に気づいていない。赤くて無防備な赤子の背中を俺に向け、獲物にのそのそと近づいている。

 ならば殺れる。確実に殺れる。死なないし、救えるし、殺せるし、切れる!


 ジリリ


 懐からとり出した柄から刃を解放する。

 強度やら切れ味やらリーチやらと、先程までこれに対して散々な文句を言っていたくせして、今は手元にあることに安心感を覚えている。

 得物がある。武器がある。この手の中にある。

 ならば確実な筈だ。絶対に仕留められる。


「–––––––」


 敵との距離、残り10m。

 息を止めて集中し、神経を研ぎ澄ます。

 イメージするのは、空間の斬撃。

 イメージするのは、空間の切断。

 狙うは、赤い赤ん坊の首。不気味に笑う赤い顔面の切除。

 干渉は、その一瞬のみ!


 そして、俺は攻撃範囲に達する。

 迷いは無く、恐怖も無く、狂いも無い。

 俺は手にする刃を、後頭部を向ける赤ん坊の首元目掛けて伸ばし、そのまま振り払った。


 ざしゅり


 鈍く、弾ける音。

 肉の硬さは無く、肉の抵抗も感じられず。カッターナイフの刃は–––––––いや、俺の能力は、さも当然のように赤ん坊の頸動脈を切り裂いた。


”ぎゃあああああああああ”


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。

 自転車の急ブレーキの如く、甲高い異音。キーンと、耳鳴りが襲い掛かる。でもそれよりも、アタマガイタイ。


「つっ! ク、ガアアアア!」


 しかし、止まるわけにはいかない。

 赤ん坊は仕留めた。首を刎ねることは叶わなかったが、頸動脈からの大量出血ではもう助からない。

 ならば次だ。今度は女体。その首を狙う!


 俺は動きを止めた化け物をそのまま通り過ぎ、その正面に立つ。

 背後には倒れる冴島さん。未だに体が痛むのか、そこから動き出そうとしない。


 ......先程はイメージがまだ弱かった。斬首まではいき足りない。

 次は確実に。着実に。徹底的に。悲鳴を上げることさえさせずに仕留める。


 そして俺は動きを止めることなく、


「–––––––殺させる、ものか!」


 力強く握った刃物で赤い女体の首を横一線に切り裂いた。

 同時に、脳内イメージを強く確立させる。

 切れる空間。

 切れる首。

 弾ける鮮血。

 落ちる頭。

 –––––––このイメージのままに、空間へと干渉する!


 ......すると、


 ざしゅん

     ボトッ

        ブシャー


 肉々しく、硬く、重く、生々しい音が路地裏に響き渡った。

 瞬間、また変な頭痛が頭を襲ったが、正直今はどうでもよかった。


 切り込まれた女体の首は綺麗に切断され、その断面を晒してしまっている。また、切られた頭は地面に転がり、血の水たまりを作り出している。

 後尻の赤ん坊の命は既に無く、悲鳴はもう聴こえない。あるのは、ぐったりと頭を傾けている肉塊のみ。

 汚く、醜く、惨く、グロく、気持ちが悪い光景。まさに惨劇。俺による殺しの現場だ。

 だがしかし、そんな現場も長くは残らない。絶命した肉塊は自身の肉体を泥に変化させ、そのまま消滅していく。証拠は跡形も残らない。殺したという実感もやがて記憶の底へと消えていくのだろう。

 かくして、惨劇は消える。一方的な奇襲、そして背後からの暗殺。一連の出来事も、過去の幻想として抹消されるのだ。


「ッ! 冴島さん!」


 けどそんなことはどうでもいい。

 俺は手に持つ得物をしまい、背後で倒れる冴島さんに身を寄せる。


「–––––––ッ」


 しかし冴島さんは顔を見せない。顔面を地面に伏せ、小さく震えている。


「だ、大丈夫なのかよ⁈ なんとか言ってくれ! と、とりあえず、ここから–––––––」


 俺はしゃがみ込み、倒れる彼女の肩を掴んで少し強引に起き上がらせる。

 無理矢理なのは仕方がない。けど、動けないのならばこのままにしているわけにもいかない。背負ってでも安全な所へ–––––––

 ......と、思っていたらだった。


「–––––––フフ、フフフフ」


 それは彼女の表情を確認した瞬間。

 その爆笑寸前の笑みを目にした瞬間。


「フッ、フフフ、あはははははは! 南くんったら、必死すぎ! まさか、そんなに、ねぇ。フフフ」


 加えて我慢しきれず笑い出した瞬間。

 俺は全てを理解した。


「......冴島さん、あんたまさか」


 顔を見せなかったのは、笑いを堪えていたから。

 体が震えていたのも、笑いを堪えていたから。

 身を起こさなかったのも、笑いを堪えていたから。

 つまり–––––––


「俺の必死さを見て終始笑ってたな?」


 と、いうことである。

 冴島さんは否定しない。というかしないどころか、笑顔のままうんうんと頷く。


「うん、ごめん。でも、あんなに必死になってくれたのがなんか嬉しくて、なんかおかしくて、不思議と頬が緩んじゃった。まさか、あんなに必死になってくれるなんてって」


「......ふざけるな、ていうか当たり前だろ? 何の為の手伝いだと思ってるんだ? というかそれを笑いの種にするな。......ってそうなると、あんたほとんど無傷だよな? 笑い堪える余裕があるなら」


 ギュッと。肩を掴む手に力がこもる。


「あ~、うん。正直な話、南くんが走り出した瞬間にはもう動けた」


「......」


 泳ぐ彼女の目線。

 俺は掴んでいた彼女の肩を離す。

 ......呆れた。自身の身より俺の動きに夢中になるなんて。なんというか、何考えてるのかっていうか。

 まあ、でも–––––––


「......無事で良かった」


 安心。そして安堵。

 俺は顔をがっくりと下に向け、その感情を噛み締めた。


「あ、その......ね。なんか、ごめん。笑ったのもそうだけど、私にしては珍しく油断してた。今後はちゃんと気を付けるからさ、その–––––––ありがとう」


 戸惑う冴島さんは、自身の否を謝罪し、感謝を口にする。

 当然に言うまでもなく、感謝の言葉は嬉しい。何せ言葉の主は冴島さんだ。嫌な筈がない。


「......頼むから、今度は動けたら自分から動き出してくれ。どうしても無理そうな時は俺がどうにかするから、マジで、頼むよ。–––––––どういたしまして」


 下を向きながら、最後は上げながら。

 俺は座る彼女にそう告げた。

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