第44話 Night

 まずは夜。月下の歩道にて。


「そういえば南くん。片足、大丈夫?」


「片足? ああ、別にもう大丈夫だ。この土日の間に痛みはほとんど引いてくれた。酷使すると若干痛いのが心残りだけど」


「そ。なら良かった。何せ今後は、働きアリの如く動いてもらうことになるかもしれないからね」


「なんだよ働きアリの如くって。忘れないように言っておくけどさ、俺一応生身の人間だからな。生身の人間ができる範囲の無理で頼むよ」


「難しい注文ね」


「お互い様、だ」




 次は夜。月下のビル街にて。


「そういえば冴島さん、化け物の潜伏場所って目星とか付いてるのか? 特に何言わずに俺は付いてってるけど、そこのところどうなんだ?」


「ああ、それね。心配はご無用。私、いつも明るい内にある程度は敵の居場所を調べているのです。魔術使ってね、事件のあった場所にある魔力の残滓を解析し、その中に紛れてる化け物の魔力を見つけて足跡のように辿って特定するの。うーん分かりやすく例えるなら、違法薬物の匂いとかを嗅いで追跡する警察犬みたいな感じ」


「なる、ほど......じゃあ、冴島さんは今、実質犬ってわけだ」


「言い方気になるなぁ。間違ってはいないけど間違ってるというか。そう例えてしまった私が悪いというか」


「じゃあ犬で。犬ってことで」





 やがて夜。月下の路地裏へ。


 足を踏み入れて進んでいく路地裏は、やっぱり暗かった。

 暗く、黒く、薄汚く。

 月が顔を出しているにも関わらず、ただただ暗闇と影の世界としてそこに存在していた。


 ......空気が悪い。大げさではあるが、長居していると気が狂いそうだ。

 こもってるとか、にごってるとか、そういうことではなくて。 

 なんか、なんというか......言葉にできない気持ちの悪さが路地裏全体を支配しているような感じだ。


「......」


 冴島さんは喋らない。

 ここに足を踏み入れてから、鉄のように表情を変えようとはしない。

 故に、今彼女は何を思って何を考えているのか。それらを読み取ることはできない。

 しかし、なんとなくだが。なんとなくではあるが、何かしらが彼女の目から読み取れる。


「–––––––」


 肌感で分かる。いや、分かってしまう。

 冴島さんは一言も喋ることはないが、それでも–––––––いやそれ故に–––––––多分、ここなんだ。


「止まって、南くん」


 冴島さんは俺の胸に片手を置き、歩みを制止させる。

 言われた通りに足を止め、ふと、彼女の表情をうかがってみると、そこからは静かな殺意が見受けられた。

 眼光鋭く呼吸は深く。どうやら彼女は、既にスタンバイに入っているらしい。


「物陰に身を潜めて待機してて。そうね、そこにあるステンレス製のゴミ箱でいいわ。そこで隠れて見てて」


「隠れて見ててって、なんで隠れなきゃなんだ? 俺は冴島さんを手伝いに」


「分かってる。でも君の役目は、私みたいに敵を蹂躙することじゃない。元よりそんなこと期待してないし、できるとも思ってない。だから、南くんの役目はあくまで私のサポート役。後ろから私の戦闘を注意深く観察し、広い視野で状況を確認していてもらう。滅多には無いと思うけど、もし私がヘマった時とか、危険になった時の為の保険。要は、。それが南くんの役割、分かった?」


 顔は向けず、視線だけ。

 声色は軽いが、表情はブレない。


 正直なところ俺の中には今、彼女の言葉に反対する心がある。

 俺は彼女の為にこの命を使うと言った。現に今もその思いは変わらない。囮になる覚悟でここまで来た。

 しかし、その為にその思いで来たというのに、保険として使われるのは少々腹が立ってしまった。

 だってほとんど意味が無い。俺がいる意味が無い。或って無いような存在だ。それは本当に、彼女の為に手伝えていると言えるのか? それで本当に、彼女にとってプラスなのか?

 ......けど、


「ああ、なら了解した。そこで隠れてるから、何かあったら呼んでくれ。俺も俺でやばそうになったら飛び込むから」


 俺は素直に頷いた。

 不満はあれど、不満はあらず。

 反対の心は所詮、俺の意志であり、考えであり、心だ。彼女のものは一切無い。

 それにそもそもの話、俺に何ができる? 能力を少し使うだけで頭を痛める俺に、一体何ができる?

 当然、何ができるのかを分かっているのは俺じゃなく、冴島さんだ。

 彼女は俺の扱い方を知っている。

 身体能力、反射能力、超能力–––––––俺よりも彼女の方が俺に行いてを熟知しているのだ。

 それは先週の繁華街での騒動で立証済みだ。彼女の考えた俺を利用した作戦によって、あの白い怪物を殺せることができたのだから。

 だから、反論する気は無い。彼女がそうしろというのなら、俺は従うのみだ。


 俺は言われた通りに道の端に合ったゴミ箱の傍でしゃがみ込み、身を隠す。

 そして首だけをヒョコッと出し、路地裏の道を1人佇む彼女を見る。


「......」


 彼女は何も口にすることなく、道先へゆっくりと歩き出す。

 恐らく俺との距離感の調整なのだろう。近すぎると、奴らに俺の潜伏がバレる。それは冴島さんと俺にとって避けなければならないことである。


 ......


 –––––––瞬間、空気が完全に凍りつく。

 冬の寒さとか雪とか、そういったものじゃなくて感覚的だ。

 野生的な本能、直感的な本能。自律神経は危険信号を発している。

 鳥肌が酷い。吐き気もするし、頭痛もするし、呼吸も荒い。

 こんな空気の中で、正気を保っていられるのが不思議なくらいだ。

 多分–––––––先週の白い怪物で少し馴れてしまったのだろう。あれに比べれば、まだ大丈夫だ。


「–––––––」


 –––––––そして、奴らが出た。

 道先。彼女の眼前。暗闇の中から、それらは躍り出てきた。


”アアぁぁぁぁ”


 喉を震わせ、身を震わせ、赤い化け物らは月下に身を晒す。

 数は5。後尻の赤ん坊を合わせると10。

 うめき声と、口元の涎と、長い黒髪を垂らしながら、奴らはゆっくりと冴島さんに迫る。

 その動き、まさに獲物を見つけた獣そのもの。

 人の姿だというのに、野生であった。


 対して、赤子はケラケラと笑っている。

 不敵な笑み。加えて嘲笑。あるいは勧笑。

 気味の悪い、性的に受け付けられない笑みだ。


”グ、あぁぁぁぁ!”


 瞬間、赤い影達が弾ける。

 コンクリートで出来た地面を脚で蹴りつけ、高速となって眼前の獲物目掛けて飛び掛かった。

 案の定、それはもはや人間の速さではない。正真正銘獣の速度だ。

 人の反射速度程度では1体避けて逃げ走るので精一杯。走って逃げても追いつかれて即KOである。

 –––––––しかし、


「–––––––ッ!」


 それは相手が普通の人間であったらの話である。冴島さんには通用しない。


 彼女は持っていた刀を瞬時に抜刀。刀身は、月明かりに照らされ煌めいた。

 そのままバッ、と。獣を凌駕するスピードで敵に向かって駆け出す。

 大気が揺れ動く。

 コンクリートにひびが入る。

 存在しなかった風が巻き起こる。


 そして、ざくん、と。


 迫る1体目をすれ違い様に刀身による横一線。

 流れるようなその剣撃は、女体の口元から後尻の赤ん坊まで。

 折れることなく、引っかかることなく、その肉を斬り裂いた。


「やった」


 俺はつい声を漏らしてしまう。


 スライスされた肉塊は断面から血を巻き散らすが、冴島さんは見向きもしない。

 次へ。次へ。次へ。

 眼光は既に後のルートを定め始めている。どうやら、彼女の脳内ではこの戦闘のある程度の終わりまでは既に決まってしまっているらしい。

 敵の数、陣形、速度、距離......それらを目にした瞬間から、彼女の脳内思考は体よりも先に動き出していた。

 どう奴らは来るか、どう奴らは動くか。

 技術と経験で、未来予知じみたことをしていたのだ。


「–––––––潰れろっ」


 加えて、その脳内イメージを再現することのできる彼女の肉体。

 彼女は今、飛び込んできた2体目の化け物の頭を片手で持ち上げ、軽々と握り潰している。

 ......情人では不可能な荒業。リンゴを片手で握りつぶせる人間はよくいるが、人の頭を片手で握りつぶせる人間を俺は知らない。

 しかも軽々と。まるで豆腐のように。

 グッシャリと頭を潰された女体の体はゴミ同然のように捨てられ、泥となって溶け出す。

 当然、彼女は見向きもしない。赤く長い髪は、無常にたなびいている。


 その後も、冴島さんと赤い化け物による戦闘–––––––いや、冴島さんによる一方的な蹂躙は続いた。

 彼女に襲い掛かった赤い化け物は計5体。

 1体目は、刀で横一線されたことによる斬死。

 2体目は、頭部を握り潰されたことによる圧死もしくは骨折死。

 3体目は、首を刎ねられたことによる刎死。

 4体目は、頭部を貫かれたことによる即死。

 5体目は、手足首胴をバラバラにされたことによる惨死。

 これらの時間、およそ1分。始まって終わるまでで1分だ。


「......」


 赤髪の女は敵のいなくなった路地裏で1人佇んだ。

 刀にこべり付いた血を払いながら、自身の周りで描かれている血と泥と肉のアートを見回す。

 もう敵はいないのか。殺し損ねた奴はいないか。

 鋭く落ち着いた眼光は、そう言っているように思えた。


「–––––––」


 ......そんな一連の流れを、俺はゴミ箱の影から終始見ていた。

 蹂躙する冴島さんの姿と、

 惨たらしく絶命していく化け物達の末路と、

 流れて弾けて異臭を放つ血と肉の有様を。

 正直、見ていて気分の良いものではなかった。むしろ悪い。いや、もう吐き気がする。きっと、今の俺の顔は血の気の無い青白いものになっているのだろう。


 ていうか、とうとう俺って必要なのか?

 蹂躙し無双する冴島さんの姿を見ていると、嫌でも勝手に無意識で考えてしまっていたことを本気で思ってしまう。

 本当にこれは、彼女にとっての手助けになっているのか?

 眺めて状況を見ていることが、サポートになっているのか?

 あんな後ろにも目が付いているような人の、手伝いができているのか?


「これだとここにただいるだけじゃないか、俺」


 溜息交じりの言葉。自身への落胆。あまりにも自分にがっかり。

 冴島さんに対する文句は無いが、自身の非力さで涙が出そうだ。


「こういう時は、一回空でも–––––––」


 空を仰ぐ。

 今日も綺麗な月だ。明日からは確か、曇り出すんだっけな? そして週の後半は雪模様。

 夜空の感想を胸に秘めながら、少しだけ胸を落ち着かせる。

 けど–––––––


「–––––––ん?」


 そこに、


「あ–––––––」


 いてはいけない、


「–––––––」


 赤い影が、あった。

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