第43話 得物

 夜の町は、やはり静まり返っていた。

 時刻はもう夜7時を回っている。にもかかわらず、外を出歩く人は少ない。

 連続で起こってる殺人事件、行方不明事件、加えて先週の騒動。それによる夜間職務の制限、繁華街の封鎖。

 悪いことと悪いことが重なり、町の住民は夜の世界へ出ることを忘れてしまった。

 故に、町にはかつての賑わいは無く、異様なまでに静かである。


「はぁ、はぁ、はぁ–––––––」


 静寂という名の町を、ただ1人走り抜ける。

 疲れを忘れ、息継ぎを忘れ。

 目的地–––––––約束の場所へと一直線。

 夜空の月は、そんな俺を傍観していた。




 そして、空の主権が暗闇と月に完全に奪われた頃。

 俺は約束の場所である公園に到着した。


「はぁ、はぁ、はぁぁぁぁ」


 公園に入るや否や、膝に手を付き、顔を下に向けて荒い呼吸を繰り返す。

 肺が冷たい。運動により上昇する体温とは真逆だ。冷たい空気の出し入れによって、内臓器官の中では唯一の極寒である。

 顔は疲労のせいか痙攣し、しびれている。唾液を飲み込むことですら精一杯。思考もままならない。

 でも内心は到着できてホっとしている。

 そんな時、


「ふーん、集合時間7時30分なのに20分も早い時間に来るなんて。意識高いんだね。結構意外」


 頭上から彼女の声が聞こえた。言うまでもなく、冴島さんのものだ。


「......そのお言葉そっくりそのまま返させていただきますよ。冴島さん、俺よりも早いじゃないか」


 俺は疲れで乱れた顔を上げ、目の前で仁王立ちする彼女を視界に入れる。

 立っている彼女の表情に色は無かったが、その澄んだ目からは驚きの感情が垣間見えた。


「–––––––」


 俺の言葉を耳にした冴島さんはムッと表情を歪める。


「南くんと私は馬力が違うからね、馬力が。だから時間に余裕を持って来れるのよ。......まあ結果として、私の方が早すぎたんだけど」


 言いながら気まずく視線を泳がせる冴島さん。

 ......でしょうね。

 何せ俺は一般人。対して彼女は魔術師。

 生きてきた世界が違えば、肉体の作りや使い方も違っておかしくないだろう。

 冴島さんは紛らわすかのように「コホン」と咳込むと、話を変えた。


「それよりも南くん、学校の荷物はどうしたのかな? 制服姿から見るに、まだ屋敷には寄ってないみたいだけど?」


「ああ、それなら問題ない。道中のコインロッカーに入れてきた。金は掛かるけどってなると、邪魔になるだろう?」


「それはそうだね。うん、いいセンス《判断》だ」


 どこかの特殊部隊の人間が言いそうなセリフを口にし、彼女は満足に頷く。


「じゃあ、早速行くのか? 行動は早い方がいいだろ? 俺もさっさと馴れておきたいし」


「あ、ちょっと待って。その前に渡すものがある」


「渡すもの?」


 うん、と彼女は頷くと、自身の羽織るジャケットのポケットに手を突っ込んだ。

 そして、引き抜く。

 抜かれた手には、何か細い物が掴んであった。


「これこれ。はい、贈呈」


 差し出される細い何か。

 俺は渡されたその何かを手に乗せると、疑うような目でそれを凝視した。


「これ......カッターナイフ、か?」


 疑ってはみたが、疑う余地のない見慣れた造形。

 コンパクトにまとまった赤細いライン。

 その中からは、キラリと輝く薄くて小さな刃。

 そう。見間違えることのないその名はカッターナイフ。イメージ的には、小学生が授業でたまーに使う感じのする簡単で比較的安全な刃物だ。

 ......何故、こんなものを渡してきた?


 しかし、渡してきた本人はえらく満足げな顔をしている。

 いいものを渡した。いいことをした。自身の行動を疑うことすらしていない。まさに鉄壁。


「–––––––」


 ......よし、一旦整理してみよう。

 まず言うまでもなく、俺達はこれから夜の町へ化け物退治へと向かう。

 で、今はまだ活動を始める直前である。戦闘前と言っても過言ではない。

 そこで彼女は今、このタイミングで謎にこんな刃物を渡してきた。

 ......嘘だとは思いたい。思いたいのだが、この彼女の顔を見るに無視してはいけない。

 故に、確認が必要だ。


「冴島さん。まさかとは思うけど、これ、俺の武器だったりする?」


「うん、そうだよ。それが君の得物。私の刀みたいな感じ。英語だとウェポンだよウェポン」


「は、はぁ......」


 困惑の表情が止まらない。

 武器? 得物? ウェポン? これが? 噓でしょ?

 ......ああ一瞬、眩暈がした。


「? どうしたの南くん?」


 悪びれる様子もなく、彼女は困り果てている俺の顔を覗いてくる。しかも割と真剣だ。

 いたずら、じゃない? 馬鹿にしてる、わけでもない?

 もしかしてこれ、ガチか?


「うん、あの、うん。冗談じゃないっていうのは分かった。でも、分かったうえで聞きたい......これで奴らと戦えって、冗談でしょ?」


 敵は化け物だ。魔術が関係してるにせよ、人知の外。異形の存在だ。

 その肉体的な力は人間を優に超えている。走る速度にせよ、肉体の強度にせよ、何もかもが上位の領域。普通の人間では太刀打ち不可能である。

 なのに、それを一番分かっている人間が急に–––––––言ってしまえば、ふざけたものを渡してきた。まったく、意図が見えない。


 冴島さんは俺の問いを聞くや否や、一瞬だけ表情を固めた。

 しかし、やがて観念したかのようにその表情を崩しだした。


「......マジだよマジ。大マジ。残念だけど、君にそれで戦ってもらうことになるわ」


「なんで? こんなので戦えって、新手の拷問か?」


 さらに問いで畳みかける。理由が無ければ納得もできない。当然だ。


「し、仕方なかったのよ。だって、南くんが持ち運ぶのにちょうど良い刃物がそれしかなかったんだもん」


 悔しむように、恥ずかしむように。彼女は白状する。


「いやでも、わざわざ武器なんて用意しなくても。俺の能力なら、素手で殴っちゃえば」


「それがダメなの。たとえ能力を使ったとしても、素手で奴らを殴りつけるっていうのは、魔術的にも君の脳への負荷的にもリスクが大きい。魔術的リスクは色々と複雑だから今度説明するけど、脳への負荷に関してはちょっと分かるでしょ? 。だから、殴って広範囲の空間に干渉するよりは、少しの範囲だけに干渉して、負荷を抑える必要があるの。もしこのまま殴りでの干渉を続けたら、。それは、お互い避けたいでしょ?」


 ......言われてみれば、だ。

 前の交差点での騒動の時を思い出してみると、空間を殴ったり、捻ったり、掴んだりするよりも、怪物の首をはねた時の方が感覚としては楽だった。

 極限状態だったから確かなものかと言われれば微妙なところだが、そんな感覚はあった気がする。

 でも–––––––


「言ってることは分かるけど、なんでよりによってこんなものに」


「今言ったでしょ? 南くんが持ち運ぶのにちょうど良いものだって。包丁とかサバイバルナイフはポケットサイズじゃないし。それ以外ってなると取り寄せるにも時間が掛かるし、何よりも高いし。だから仕方なくよ、仕方なく」


 腕を組み、気まずそうに視線を逸らすか冴島さん。


「仕方なく、か......」


 天を仰ぎ、呟く。

 確かにこればかりはしょうがない。

 けどしょうがないが故に、少し悲しい。

 何せ、こんな刃物でも別に問題ないことが何よりも悲しい。


 空間干渉の能力発動に必要なのは強いイメージだ。得物なんてものは、あくまそのイメージを補完するものに過ぎない。切れ味だったり、強度だったりという性能は、俺の能力の中では一切関係が無いのだ。だって殴るにも斬りつけるにも、結果である事象を引き起こすのは道具ではなくあくまで能力。得物は接触しているように見えて、厳密にはしてはいないのだ。


 ......けどやっぱり、その得物が安いカッターナイフというのは悲しい。

 たとえ得物自体の性能は関係無いにしても、こう、なんというか、心もとないというか。安心感というものが欠ける。


「でも、やむ無しか」


 自己の考えを一旦否定。いや、プライド的な感情として割り切る。


 ジリリリリ


 試しに柄から刃を伸ばし、月明かりに晒して眺めてみる。

 刀を思わせるように、思わせないように、片刃として形作られた尖った刃。

 区画ごとに線で区切られおり、敢えて折れやすいように工夫されている。

 故に、強度は無いが、殺傷性はある。これ1つで人の皮膚を傷つけ、血を流させることは可能だ。

 ......忘れてはならない。これも立派な凶器なんだ。

 斬れる、刺せる、傷つけられる、殺せる。その規模は違うが、冴島さんの持つ刀と性質上は同じだ。だって、両者ともに刃物であることに変わりはないのだから。


「......分かったよ。ありがたく貰うし、使わせてもらう。サバイバルナイフだろうが、カッターナイフだろうが、能力上の結果は変わらないし。まあ、多分大丈夫だ、問題無い」


 ジリリと刃を戻し、制服のポケットに突っ込む。

 流石はカッターナイフ。コンパクトさに関しては文句が無い。ポケットにすっぽりだ。


「そ。なら大丈夫ね。じゃあ行きましょ。早めに初めて、たくさん殺しましょ」


 正面にいた彼女は、すれ違うように俺の背後–––––––公園の出口へと向かって歩き出す。

 そして最後に少しだけ振り返り、一言。


「化け物狩りの始まり、ね」

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