第38話 雨夜の帰宅

 教会を後にした俺達は、そのまま車に乗り、山中の屋敷への帰路を辿っていた。

 空は真っ暗色に染まっていたが、朝の予報通り、酸性の涙を溢している。

 大雨......とまではいかないが、傘をさしていなければずぶ濡れになる大粒の雫。

 車の窓にぶち当たる音は心地よく聞こえはするものの、後のことを考えればうっとおしく思えた。


 そんなことを思い、感じ、考えている中。気が付けば、車は屋敷に到着していた。

 窓越しで見る夜の屋敷はやはり妙な不気味さを身にまとっており、こう言ってはなんだが、やはり心霊スポットと言われてもおかしくない感じであった。


 車は屋敷の扉前まで走り、停車する。

 パッと一時的に光る車内ランプ。暗闇に支配されていた世界は、一気に黄色く照らされた。


「お嬢様、南様。まこと申し訳ございませんが、今晩の食事は今から準備しても、恐らく9時頃になりそうです。ですので、あと1時間ほどのお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 助手席に座る冴島さんと後部座席に座る俺に体を向け、とても申し訳なさそうに謝罪と願いを口にする真矢さん。

 頭を下げるしぐさは車内であっても一級品。先程まで目にしていた神父の礼よりも、断然心がこもっているように見えた。


「そうね。予想以上に時間押しちゃったし–––––––はい、今回は許可します。でもなるべく急いで。もうお腹ペコペコだから」


 そう言いながら腹部をさする冴島さんに対し、真矢さんは「本当に申し訳ございません」と再び謝罪する。


 ......いや、これ真矢さん悪いか?

 実際こんな時間になっちゃったのは、誰がどうしようが避けられようのない時間の流れ故であって、彼女に責任なんてあるわけがない–––––––


「–––––––」


 そう–––––––口にしようとしてやめた。

 言ったところで、恐らく真矢さんにとってはそういう問題ではないのだろう。

 それに多分、言ったらまた睨まれる気がするし......ここは、黙秘が吉だ。


「じゃ、私達は先に中入ってるから。真矢はささっと車置いて、夕食の準備頼むわね。南くん、走るよっ」


 冴島さんはそう言い残すと、助手席の扉をバッと開け、手で頭上を庇いながら屋敷のロビーへと一直線に走り出した。


「あっ、ちょっと待てって!」


 咄嗟に叫び、彼女を呼び止めようとしたが時すでに遅し。彼女は俺の声なんか気にも止めずに、扉の先へと消えてしまった。


「……」


 車内に取り残される俺、南 弘一。

 片脚を負傷しているにも関わらず、濡れないように手助けすらされない俺、南 弘一。


「不憫だ......」


 自分で自分を憐れむ。

 がっくしと肩を落とし、「はぁ」と溜め息を吐き捨てる。

 そんな中、


「南様。必要でしたら、お手をお貸ししましょうか?」


 真矢さんがそう尋ねてきた。

 表情はいつものように無。しかし、それでも心配そうな雰囲気。

 ここはありがたく彼女の厚意に甘えよう......一瞬そんなことを思ってしまったものの、そういうわけにもいかない。これ以上は真矢さんにも負担だ。


「いや、大丈夫です。俺には松葉杖これがあります。用意してくださっただけで十分ですよ」


 手元の松葉杖を持ち上げ、心配無用であることを伝える。

 それに対し、彼女は「かしこまりました」と礼儀良く答えた。

 なんだかんだで、真矢さんの方が人情あるのではないか……そう思えた。


「それじゃ–––––––行くか」


 そして意を決した俺は、松葉杖を片手に車内から雨の中へと身を乗り出した。

 ちょうど、雨が完全なドシャ降りと化した瞬間である......







 結果–––––––案の定–––––––俺は、ずぶ濡れになった。

 ロビーに足を踏み入れる頃には、カラッと乾いていた衣服が十分以上の水分を吸ってしまい、それが冷えて体の熱を奪っていた。


「寒い......」


 ポロっと漏れる心を経由した体の悲鳴。

 何故–––––––何故、俺が車から降りるのと同時に空模様がさらに悪化してしまったのか。

 それに何故、俺の服はよりにもよってこんなに水の吸収性能が高いのか。

 まさに悪運。一周回って幸運とさえ思えてくるほどの凶運。


「全く。よりにもよってこんなかよ」


 体に張り付く水滴を振り落としながら、ぶつけることのできない怒りを吐き捨てる。

 

 ロビーのシャンデリアには既に明かりが点けられており、黄色くまばゆい光を発している。

 話を聞く限りだと、この明かりは夜になると自動的に点火する仕組みだそうな。

 まさに貴族、金持ちといった感じである。


 パッパッパっと体にこべりつく水滴を払っていると、視界端から「南くーん」といった声が聞こえてきた。


「うん?」


 視界をずらす。

 ずらした先では、雨の被害皆無の冴島さんが、折りたたまれた綺麗なタオルを手に佇んでいた。


「はいこれ」


 ヒョイッと。

 冴島さんは自身の手に持っていたタオルを俺に放り投げた。


「おっ」


 俺は空いている片手で難なくそのタオルをキャッチする。鷲掴んだタオルは、その瞬間に”折りたたまれていた”という名の美を失った。


「ずぶ濡れでしょ? それで拭きなさい。あと、それだと普通に風邪ひくから、すぐに着替えも済ませること。分かった?」


 優しい音色での命令口調。

 その雰囲気から察するに、これは彼女なりの厚意なのだということが分かった。

 ......当然、先程俺を置いてけぼりにしたというのは少々心に引っかかるものがあるが、この厚意をないがしろにして文句を口にできるほど、俺も落ちぶれちゃいない。

 故に、ここは素直に心からの感謝だ。何せ……冴島さんからの厚意なのだから。


「分かったよ。タオルサンキュー」


 承諾と感謝を口にし、俺は濡れた体をタオルで拭う。

 既に体は冷え切ってしまっているが、拭くと拭かないとでは大違い。風邪を引いたりするのはごめんだ。


 そんな中、体を拭く俺に冴島さんが話を切り出す。


「着替え終わったら、ちょっとだけ私に付き合ってくれない? そうだなぁ......あっちにある居間でさ」


 彼女は親指で背後に伸びる通路を刺す。


「ちょっとだけ付き合えって......まだ何か話でもあるのか?」


 俺は首を傾け、頭上にクエスチョンを浮かべる。

 ついさっき、教会であらかたの話は済ませた筈だ。(正確には半ば強引な話の切り上げなのだが)

 だというのに、これ以上まだ何か話さなくてはいけないことがあるのか? 単純に疑問だ。


「まあ、うん、ちょっとだけ簡単な話というか......いや、簡単じゃないか。むしろ重要な確認というか......とにかく、そういうことだから」


 目を泳がせながら気難しそうに冴島さんはそう口にする。

 重要な確認? いや本当に、何かあったっけ?

 まあでも、重要というのなら断るわけにもいかない。


「ああ、そういうことなら分かったよ。そこの居間だな? すぐに着替えてくるから、気長に少し待っててくれ」


 矛盾したようなことを口にし、俺は彼女に背を向ける。

 そして、カッカッカッと松葉杖の音を鳴らしながら、ロビーから立ち去った。

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