14 メアリ、立ち上がる






 ずくずくと、胃が痛む。

 





 ディドウィルが姿を消すと、魔界植物からの拘束がゆっくりと解かれた。

 メアリのからだは、地面に崩れ落ちる。






 ふたたび、大地のよどみが、ひとびとの悲鳴が、聞こえた。


 ディドウィルは、国中の街や村に魔族を解き放たったようだ。


 大地全体に、黒いもやがたちこめる。

 夜の闇はいっそう暗く落ち、空気が冷たく皮膚をさす。





 ディドウィルは本気で、を手中におさめるつもりなんだろう。

 水星の大地メルクリウス・ノアも、メアリ自身も、すべてを。


(泣いちゃいけない)


 ディドウィルの言ったことは、間違っていない。


 この地上を荒廃させたのは、数千年かけても恋を知らぬままだった、メアリ自身の責任。

 魔族たちがいいように暴れるのも、水星の大地メルクリウス・ノアの加護が弱いせい。


 わかっている。

 自分で壊しておきながら、立て直そうとするのも、ひとびとを助けようとするのも、ほんとうに滑稽なことだと。


(それでも、やらなきゃいけない)


 コーザのことばを思い出す。


―――命さえあれば、ひとはどうにかして生きていける。


―――暮らしの豊かさを決めるのは、他人じゃなく自分なんだ。


―――そもそもひとは、加護なんかに頼らず、自分たちで生きる道を探さなきゃいけない。


 思い返すと、こらえていた涙が、自然と零れ落ちてきた。




 この大地を捨ててくれたらだなんて、どれだけ身勝手なことを考えていたのだろう。


 この大地には、多くのひとびとの命が、想いがあった。

 ひとびとはこの大地で懸命に、生きようとしていたのに。


(この地のひとびとには、どれだけ謝っても、許されるはずがない)


 それでも。


 メアリはからだを起こし、ひざをたてた。

 足の底で大地を踏みしめると、土の中から植物が芽をだす。


(護る。わたしが、この大地を、護る)


 自身の想い。そして、コーザの想い。

 ふたつの想いを信じることで、ようやく得られた神力。


 それは、護るための、ちから。

 生かすための、ちから。


 でも、まだ足りない。

 もっと、もっと、ちからが必要だ。


(罪とか、責任とか、いまは考えない。


 メアリは、凛と前を見据え、立ちあがった。


 足元にリンドウの花が咲き、瞬く間にあたり一面に広がった。

 その青のじゅうたんの上を、ひかる蝶の群れが舞い踊る。


「〖 流星の揺り籠インク・イグニ・メテオロ 〗」


 メアリは水星の大地メルクリウス・ノア全体に、護りの星の光を降らせた。


 群青の空を、流星が駆け巡る。わずかばかり、黒い靄が薄まる。

 完全ではないものの、魔族の足止め程度にはなるはずだ。


水華竜メルクリウス・ドラゴン!」

「キュウィ!」


 メアリは、名付けたばかりの竜の背中に飛び乗った。

 ことばを発さずとも、竜はメアリがどうしたいのか、理解していた。


 竜は、村人とともに避難していた輝夜かぐやのもとへまっすぐ飛んでゆく。

 おどろく村人を気にかけながらも、メアリは声を張り上げた。


「輝夜さん! 一度天界へ戻りましょう!!」

「わ、わかりました! きゃっ」


 竜は青い鼻先で、輝夜のからだをひょいと持ち上げた。

 竜の背に乗ったメアリが輝夜を抱きとめる。竜は、天界にむけて飛翔した。







「メアリ!!」


 天界では、姉たちがほっとした様子でメアリを出迎えた。

 天界から、地上の状況を見守ってくれていたらしい。金星の女神 ヴィオラ がメアリを、抱き締める。


「あぁ、心配したのよ! 戻ってきてくれて、よかった」

「ヴィオラ姉さん、心配かけてごめんなさい」


 姉妹といえど、ほかの女神が守護する大地には、無断で手を出すことはできない。

 だからこそ皆、メアリが戻るのをやきもきしながら待っていたのだろう。


「神杖をとりにきたの。コーザさんを助けに、魔界に行ってくる」

「メアリ、正気か!? そんなの罠に決まってんだろ!!」


 五女の火星の女神 マルティナ は、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「でも、行かなきゃ。コーザさんは、わたしのせいで攫われたんだもの」


 姉たちに心配をかけることは心苦しいけれど、メアリのこころは決まっていた。

 くちびるを噛みしめ、神殿に保管されている水星の神杖を手にとる。


「メアリ、駄目だ! いくら神杖があっても、神力が魔界で通用するかは……!」

「そーそーっ!

 メアリの恋は応援してるケドさっ、メアリになんかあったらウチら、マジ泣くよ?!」


 土星の女神サトゥリーナ天王星の女神  ウラノ  も、必死の形相だった。

 皆、こころからメアリを心配してくれている。


 それでも。


水星の大地メルクリウス・ノアを護るためなの。お願い、行かせて」


 メアリのこころは、揺るがなかった。

 ヴィオラはメアリの目をじっと見つめ、それからゆっくり頷いた。


「……わかった。

 方法を考える。あなたは先に魔界に行って、ディドウィルを足止めしておいて」

「ヴィオラ姉さん!!」


 火星の女神 マルティナ が声を荒らげたが、土星の女神サトゥリーナがそれをそっと制した。


「約束して。第一に守るべきは、あなたの身。彼の命は、そのつぎよ。

 あなたが囚われの身となってしまったら、大地そのものが消えてしまう。わかっているわね?」

「……約束するわ」


 女神が死ぬことは、ない。

 避けるべきは、『魔界に永久に囚われること』。

 それは結局のところ、ともいえる。


 本来なら、命に順番など、つけられない。

 それをわかっていて、あえてヴィオラは念押ししてメアリに伝えた。


「メアリ。危なくなる前に、この鈴を鳴らして」

「これは……」


 ヴィオラはメアリに、オーロラ色にひかる鈴をみせた。ルリン、と軽やかな音がひとつ鳴る。


「この鈴の音は、聖なる者にしか聴こえないものよ。

 あなたが何処にいても、この鈴の音があなたの居場所を示してくれる」


 ヴィオラは、鈴のついたペンダントをメアリの首に掛ける。


 メアリは決意を固めて顔を上げた。

 そして、ともに天界に帰ってきた輝夜の手をとる。


「輝夜さん。

 月姫様に、水星の大地メルクリウス・ノアの加護を……一緒に頼んでほしいの」

「えっ」


 輝夜はおどろいて、声を上擦らせる。

 輝夜は母の言いつけでコーザを奪おうとしたのに、メアリはそんなことは気にしていないようすだった。


「わたしが頼める立場じゃないけれど、月姫様になんとか……」

「呼んだかしら」


 するどく、力強い声が、神殿の廊下に響いた。

 うつくしい袖を翻し宙を舞いながら、月姫が姿を見せた。


「わたくしを誰だと思っていますの? もうすでに加護の段取りは、ついていますわよ」

「月姫様……!!」


 メアリはきらきらと目を輝かせる。

 潤んだ瞳で見つめられ、月姫は気まずそうに袖口で口元を隠した。


「……先ほどは、言いすぎましたわ。

 あなたは、あなたにしかできないことを、おやりなさい」

「はいっ! 月姫様、ありがとうございますっ」


 メアリは、両のこぶしをぎゅっと握った。


「メアリ。

 お父様とお母様も、空と海から大地を護ってるの。きっと、大丈夫なの!」

「ユピ姉さん、ありがとう!」


 メアリは姉たちとハグを交わすと、神杖を手に神殿をあとにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る