15 魔神城にて








 辿り着いたのは、魔界の第三魔神城。


 大勢の神が共に住まう天界の神殿とは違い、魔神たちはそれぞれ異なる城を拠点としている。


(もう二度とここに来ることはないと、思っていたけど……)


 メアリははるか昔に一度だけ、ディドウィルに騙されてここに連れ去られたことがあった。


 隙をついてなんとか逃げ出し、それ以来メアリはディドウィルを……というか、男の人自体を警戒するようになったのだ。


(ディドウィルの狙いは、わたしと水星の大地メルクリウス・ノアで間違いなさそうね……)


 城は、ひっそりとしていた。

 しずかすぎて、城内の闇の深さが際立つ。


 警備は手薄どころか、魔族の姿はほとんど見当たらない。

 恐らく、ディドウィルの部下は総出で水星の大地メルクリウス・ノアに攻撃をしかけているのだろう。


(早くコーザさんを連れ帰って、地上の様子を見にいかないと……!!)


 焦るこころを抑え、メアリはコーザの気配を探りながら奥へ奥へと進む。


 これほどメアリがすんなりと入城できたということは、と考えて間違いない。


(だけどやっぱり、わたしの神力はほとんど効きそうにない……)


 魔界の瘴気しょうきは、女神の神力を抑えこむ性質があるようだ。


 姉たちならまだしも、まだ神力がじゅうぶんでないメアリは、神杖を頼るしかなさそうだった。

 神杖に貯まった水星の力を利用すれば、おそらく数回は神力を使うことができるだろう。


 入り組んだ廊下や階段を進むうち、あかあかと灯りのともった広間に辿り着いた。

 その広間の中央で、倒れているコーザを見つけた。


「コーザさんっ!!!」


 周囲を警戒しながら、メアリはコーザに駆け寄った。


「メ……アリ……」


 大きな怪我はないようだが、あちこちに傷や内出血がある。息も絶え絶えで、意識は朦朧としている。


 それに、全身を纏う瘴気しょうき

 黒々とした闇のような瘴気が、コーザの全身をまだらに覆っている。


「巻き込んでしまってごめんなさい、すぐに瘴気を払うわ!」


 メアリは神杖を使い、コーザの瘴気を払った。

 すべての瘴気が取り払われたかのように見えたが、またじわじわと黒が蠢き、身体を包んでゆく。


「なんで……! 神力はちゃんと使えてるのに……」

「ムダだぜ、メアリ」


 声と気配は、ほぼ同時だった。


 メアリは反射的に神杖を振り上げ、氷の結界を張る。

 ディドウィルが操る魔界植物の蔓は、すんでのことろで弾き返された。


 ディドウィルは、フンと鼻を鳴らした。


「神杖を持ってきたのか。めんどくせエ」

「コーザさんになにをしたの!?」


 声を荒げるメアリに、ディドウィルは平然と答える。


「【瘴花しょうかの種】を呑ませてやった。

 腹をえぐってとりださねエかぎり、ソイツは瘴気しょうきに侵され続ける」

「そんな……!」


 【瘴花しょうかの種】。

 魔界植物の一種で、吞みこむと体内から瘴気を発し、いずれは全身が瘴気に取り込まれてしまう。


 怒りが、こみあげる。

 こんなことをして何になるのか。

 なんのために、コーザに手を出すのか。


「〖 水虎の輪舞 アクア・ティグリス・サルタ〗!!」


 気付けばメアリは神杖を振りかざし、ディドウィルに向かって攻撃を放っていた。

 数頭の虎が宙を蹴りながら襲い掛かるが、ディドウィルはその攻撃を軽々と避ける。


「オレを殺したって、ソイツはもう助からねエよ!!」

「〖 終末泡沫フィニス・スプマ 〗!」


 続けざまに神力を放つが、メアリの攻撃を読んでいるかのように逃げられてしまう。


「イイのかぁ~!? 神杖をそんなにムダ打ちしてよオ!」

「〖 飛泉の大渦ウォルテ・カタラクタ 〗!」


 コーザを護りながら神力の威力を上げるが、ディドウィルの簡易的な防御魔術にすら跳ね返されてしまう。


(やっぱり、魔界ココだと強い神力は使えない……)


 ディドウィルの言うように、無駄打ちをしているようなものだ。メアリはディドウィルと距離を取り、考えを巡らせる。


 ディドウィルはニヤけ顔のまま、空中をトントン跳ねた。


「なァ、メアリ!

 オレはお前を傷モノにはしたくねエ。とりあえずオレの話を、聞けよ?」

「いやよっ! あなたと話すこと、なん、て、な……」


 叫びながらメアリは、突如として急激な筋肉の弛緩を感じた。

 そしてその場に、ひざから崩れ落ちる。


 なにが起こったのか、一瞬、わからなかった。

 ゆがむ視界に耐えながら、メアリは必死に頭をはたらかせる。


(まさか、このにおいのせい……!?)


 周囲に漂う、甘い匂い。

 ディドウィルからいつも香っていた香油の匂いに、似ている。


 数秒もたたず眩暈がして、メアリは床に倒れこむ。


「ハハハッ、メアリ、お前にも効いてきたか?」

「なに、を、したの……」


 甘い匂いの発生源は、コーザだった。

 嫌な、予感がする。


「ソイツに呑ませたのは、快楽物質を放つ特殊な【瘴花しょうかの種】だ。

 胃の中で開花する頃には、苦痛も感じなくなってンだろ」


 ヘラヘラと笑いながら、ディドウィルはメアリに近づいてくる。

 メアリは神杖をもたげ、コーザと自身に護りの神力を放つのが、精一杯だった。


 ディドウィルは薄ら笑うと、メアリから神杖を取りあげた。


「さァ、メアリ。ドレスアップの時間だ」

「え……」


 ディドウィルは、朦朧とするメアリの身体を拘束し、大きな鏡の前に立たせる。


 そしてメアリの胸元に、人さし指のするどく尖った爪を突きつける。

 迷いのない手つきで、ディドウィルはメアリの身体の中心線をすっとなぞった。


「きゃあっ!」


 メアリの服が裂かれ、はらりと脱げ落ちた。

 メアリは、肌着姿となる。


 ディドウィルは鏡ごしに、メアリの肢体を舐めまわすように見遣った。

 そして、露わになったメアリの肩にひとつ、ふたつとキスを落とす。


「やっ……!」

「この日を何千年も待ってたンだぜ。少しくらい味わわせてくれ」

「ん、やめっ……」

「……と、先にドレスアップをしねェとな」


 ディドウィルは後ろからメアリを抱き締めたまま、ぱちんと指を鳴らす。

 すると鏡の前に、純白のドレスが現れた。


「ほら、足を通せ。

 ……あァ、イイね。サイズもぴったりじゃねェか、メアリ!」


 ディドウィルに抱え上げられながら、メアリは無理矢理にドレスを着せられる。


「……なに、するの……」

「ナニって、結婚式さ」

「け、こん……?」


 ディドウィルはふたたび、ぱちんと指を鳴らした。


 天井にはシャンデリアが吊るされ、床には真っ赤な絨毯が敷かれた。壁は、魔界の花飾りやタペストリーで装飾される。


「【婚姻の契約】。

 この契約をもって、お前とオレは正式な夫婦になるンだ」

「なっ……!」

「前回もこの契約のためにお前を攫ったのに、逃げられちまったからな」


 ようやく、ディドウィルの狙いがわかった。

 パイプオルガンがひとりでに、祝福の旋律を奏でる。


 ディドウィルは魔界で【婚姻の契約】を結ぶことで、つもりなのだ。


「誓いの言葉は省略だ。

 誓いのキスをもって、オレたちは正式な夫婦となる」


 とんでもない男だとわかっていたが、想像以上にとんでもなかった。

 メアリと結婚するためだけに、コーザを人質にとり、水星の大地メルクリウス・ノアを襲うなんて。


 メアリは、できうる限りの軽蔑の目を、ディドウィルに向ける。


「イイ、イイなァ、その表情ゥ!

 オレと結婚するのは、どんな気分だァ~!?」


 しかしその目はディドウィルにとって、ご褒美のようなものだった。

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