08 夕方の食事会
翌日の夕、イヴェル侯爵邸ではささやかな夕食会が開かれた。
訪問者であるローズレイ公爵家をもてなすための宴である。紅き血のような色をした葡萄酒を注ぎ、柔らかな仔羊の肉を供した食事は悪くはないものだった。
食器も繊細な彫刻や文様が入った美しいものばかりで料理そのものを芸術作品のように仕上げるのに役立っていた。
「どれも美味しかったですが、スープだけは残念ながら我が家のものの方が美味しいと自負していますよ」
「ほう、それはどのような味か気になりますな」
ただ話を合わせたにすぎなかったのだが、ローズレイ公爵は大いに喜んで彼のスープについて語り始めた。
めずらしくローズレイ領でも生育できる根菜を使ったスープであり、そのままではひどい渋みで食べられたものではないところを丁寧にあく抜きを繰り返し旨味を引き出すのだ、と。
「干し肉や香辛料、島の香草などを確か使っていて……それはもう絶品なのですよ」
「羨ましいものですなぁ、そのような料理人がいるとは」
わざとらしい追従を受け、ローズレイ公爵は笑みを深くした。
「そちらにおられるシルヴィア嬢も、おつくりになられるのではないですか?」
「……は? いいえ、まさか! 私はそんな料理など、下々の者がやるようなことはいたしませんわ」
「おや、おかしいですねえ。うちのシルフィール……【蕾姫】が件のスープを作ってくれたのだというのに――あなたは何も出来ないのですか?」
ぴし、と薄氷が割れた音が聞こえた。青い顔でイヴェル侯爵は「冗談がすぎます」と抗議した。
「書面でも申し上げた通り、シルフィールはただのメイドです。料理が出来てもおかしくありません、うちのシルヴィアのような淑女にそんなことをさせるわけがないじゃありませんか」
「おや、それは失礼しました。私は覚えておいてしかるべき淑女教育の一つだと考えたのですが――シルフィール嬢は、ここにおられる彼女よりも品がよく、理知的だったものですから」
シルヴィアは顔を真っ赤にしながら怒りを押し殺しているようだった。いますぐにも怒鳴りたいのを必死で耐えている。
「……お怒りはごもっともですわ、ローズレイ公爵。世間の噂に踊らされて、本当に【蕾姫】になるべきだったシルヴィアを差し出さなかったこと、申し訳なく思っております」
すこしでも殊勝に聞こえるよう、必死でイヴェル侯爵夫人は冷え切った空気の中取り繕ってみせ「ですから」と声を張り上げた。
「今度こそシルヴィアを、ルイ公子様の妻としてお連れください。偽物のシルフィールは此方で処分させていただきます」
「……処分?」
ルイの言葉に、侯爵夫人は「ええ」と大きく頷いた。
「たかがメイドひとりぐらい消えたところで、誰も悲しむ者はおりません。早くに親を亡くしたあの子は天涯孤独の身ですから」
「シルフィールを連れてきてください」
言い終わる前にルイは声を上げていた。
きょとんとしたようすで夫人は首を傾げる。この場にいるイヴェル侯爵家の面々は、現在の状況をなにひとつわかっていなかった。とんでもない窮地に彼らが陥りかけているということを。
「早く」
俺が正気を保っている間に――そう付け加えたルイの声は、おそらく誰の耳にも届いていなかったことだろう。
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