10 宴の終わり


 帰りの馬車の中、ローズレイ家一行の間に会話はなかった。

 狭い車内に重苦しい空気が漂っている。そして王都の邸宅に着くや否や、挨拶もそこそこに各自部屋へと戻っていったのだった。


 シルフィールは気まずさにひとりになるなりほっと息を吐いた。

 ただ自分に後ろめたいことがある一方で他のひとも何か抱えているのでは、と勘繰ってしまいたくもなる。それぐらい冷え切っていたのだ、ローズレイ公爵家の空気が。


 ローズレイ公爵は戻るなり、待っていたセトと手短に言葉を交わして書斎に消えて言ったし、ルイはいつもなら血か精気を強請ねだって来るところだが目さえ合わせずに自室に引っ込んでいった。

 違和感しかないのだけれど、あれは構ってくれるなのしるしだと心得てはいた。そこをむやみにつついたところで被害を被るのは間違いなくシルフィールのほうだろう。


 メイドに部屋着へ着替えさせてもらって(本当は自分で着替えられるので大丈夫なのだが)ぽふん、と寝台に倒れ込んだ。なんだか疲れた。ひどく疲れた。


 クロード国王に言われた言葉を、やわらかな枕に顔を埋めながらシルフィールは思い出していた。


『そなたは、本当にあのイヴェル家の娘なのか――?』


 疑念がクロードの端正な顔にひろがっていた。

 何がいけなかったのだろう。やはり冴えない子の容姿か、おぼつかないダンスのステップなのか。それとも最初から……疑っていたのか。何も答えられずにいたシルフィールが後退ると、王は逃すまいと腕を掴んだ。


 そのとき、しゅるりと手首に結ばれた青のリボンがほどけた。


「何だこれは……リボン?」


 いましかなかった。

 足早にその場を離れ、式典の会場へと戻る。クロード王も強引に追ってくるつもりはなかったようで、そのままホールで公爵の近くで時間を過ごした。ぎゅっとリボンが消えた腕を掴み続けていたせいで、真っ赤に跡がついていた。


「ルイ、怒るかな……」


 いや、どうだろう。あれはシルフィールがなんとなく思い出した恋のおまじないのようなもので……ルイがそれを試してみたがったのは単なる気まぐれだ。特に何か意味があったわけではない。


 いまさらそれを引っ張り出して謝罪したとことで「は? なんのこと」なんて言われでもしたらへこむ。


 ルイにとって【蕾姫】である自分は、ただの餌でしかなく――取るに足らない身であることは重々承知だけれど、面と向かって突きつけられたときのダメージは大きい。


 悶々としながら眠りに就いたが、今日は何の夢も見なかった。


 よほど疲れていたのだろう――シルフィールが目覚めたのは昼過ぎだった。この時間帯だと夜行性のルイは間違いなく眠っている。

 外は久しぶりに見る晴天で、なんとなく外に出てみたくなった。行動するにも日没後が主で、陽光の下に出るのは久しぶりだ。メイドを呼ばずに普段着のドレスに袖を通すと、喜び勇んで階段を駆け下りた。


 太陽の下、散歩でもしたらどんな気持ちがするだろう。気持ちがいいだろうか。


「お待ちください――【蕾姫】様」


 そんなふうに考えながら、シルフィールはドアを開けようとした腕をセトが掴んだ。いつのまに背後にいたのだろう、まったく気づかなかった。


「何をなさるおつもりですか」

「え……いい天気だったので、ちょっと庭に出てみようかと」

「おやめください。お怪我をなさったら大変です」


 そんな大げさな。庭先で転ぶとでも思われているのだろうか、それはさすがに過保護がすぎる。


「大丈夫ですよ」

「なりません!」


 強い制止の言葉にびくっとしたときだった。


「――何の騒ぎかな、セト」

「旦那様」


 ローズレイ公爵が階段の上からシルフィールとセトを見下ろしていた。

 その冷ややかな眼差しにぞくりと背筋が寒くなる。


「【蕾姫】様が――薄着で外出なさろうとしたのでお止めしたのです」

「……薄着?」


 半袖ではあるが、薄着というほどでもない。部屋着のまま、また寝間着のまま外出しようとしたわけでもないのだが――シルフィールの恰好を見て、ローズレイ公爵も頷いた。


「確かにそうだな。【蕾姫】、外出するなら手袋と、日傘、それから長袖のドレスに着替えるように――それ以前に誰かに断ってからにしなさい」

「は、はい……」


 腑に落ちないまま頷くと、公爵は「例の件で話がある」とセトを呼んでまた部屋に引きこもってしまった。


 シルフィールは閉ざされたままの扉を睨み――嘆息した。

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