08 本物と偽物

「シルフィール、我が娘よ!」


 ルイや公爵のそばにいたところ、着飾ったイヴェル侯爵と夫人、そしてシルヴィアが歩み寄って来た。思わず、げ、と口走りそうになったがなんとか呑み込んだ。そりゃそうなのだ、やって来るに決まっている。

 仮にも娘なのだ、シルフィールは。挨拶の一つでもしない方が不自然である。


「元気そうで何よりだ。何か困ったことはないかな?」


 親らしい表情を作って声を掛けてきているがシルフィールにとって、彼は「旦那様」でしかない。はあ、とため息にも似た相槌しか出てこなかった。

 というかあなたの後ろにいる娘や奥様は、シルフィールがとっくに死んでいるものと思っていたらしいので――まあ、イヴェル侯爵もおなじように思っていたのだろうけれど。


「ああ、良き夜ですなイヴェル侯爵」


 唖然としていたシルフィールの代わりに前に出たのはローズレイ公爵だった。

 不老不死の「薔薇の一族」という特殊な体質ではあるものの、黒髪長身の美丈夫にしか見えないが、やはり貫禄と妖しい魅力が備えている。びくびくおどおどしながら機嫌取りに参上したイヴェル侯爵とはくらべものにもならない。

 侯爵の矮小な人間性がその立ち居振る舞いにあらわれている、などというのは元の主人に対して無礼が過ぎるので言いはしないけれど。


「なにしろ娘ですから心配で……」

「そうでしょうね。シルフィール嬢ほど素敵な女性はなかなかいないでしょうから」


 反吐が出るような嘘が重ねられて辟易していたところで、イヴェル侯爵がすっとシルヴィアの背を押して前に出した。


「シルフィールの妹のシルヴィアです。ルイ公子――もしよろしければ、次のダンスはこの子とお願いできませんかな?」


 薄いピンクのドレスは、柔らかなシフォン素材を用いていて歩くたびにふわふわと揺れて美しい。

 薔薇でこそないが、可憐な一輪花の妖精を思わせる衣装ドレスではある。ただシルフィールの着ているものと並べてしまうとどうにも見劣りするので、決して隣にはやらないだろう。


「――……」


 どうするのだろう。隣にいたルイを見上げると、あのときミニュイの街で見たのとは違うよそ行きの表情を浮かべていた。


「――ええ、よろこんで」


 ルイはシルヴィアの恭しく手を取り、キスを落とした。

 ダンスホールの中心へと歩いていくふたりの姿を見送り、静かにシルフィールは息を吐いた。当然だ。こんなところで嫌悪感をあらわにすることもないし、あのは「本物」の四大侯爵家の娘であり――本来、【蕾姫】になるべきだった女性だ。


 ただ失望にも似た、この行き場のない感情をシルフィールは持て余していた。曲が切り替わりダンスが始まる瞬間――見ていられなくて、シルフィールは公爵に「外の空気を吸ってきますね」と断って、テラスに出た。


 どうやら下の王城庭園と繋がっているらしい。音楽が出来るだけ聞こえない場所まで歩いていきたくて、そのまま階段を降りて庭の奥深くへとシルフィールは歩んでいった。


 庭園は薔薇の芳香がふわりと漂っていた。

 思っていたよりも夜風が冷たい。薔薇の花がひらく季節だとはいえ、夜となればやはり肌寒いのだ。ドレス一枚でこんなところまで散歩しに来てしまったことをシルフィールはほんの少しだけ後悔した。


「……そのような薄着では風邪を引くぞ」

「え……?」


 ぱさ、と肩に何か厚みのあるものが掛けられた。よく見ればそれは男性者の式典服の上着だった。しかもなんだかやたら装飾が多く、高価そうだ。生地に触れただけで察せられる。

 慌てて振り向くと、思いもがけなかった人物が立っていた。


「……っ、へ、陛下、クロード陛下――にご挨拶申し上げます」


 聞きかじったような言葉を慌ててひねり出すと、かしこまらずともよい、とクロードは早々とシルフィールを牽制した。


「そなたがローズレイの【蕾姫】だな……ふむ、これといって変わったところがあるとは思えぬが」


 そりゃそうです、あなたの目の前にいるのは侯爵令嬢でもなくただのメイドなのですから、と言いたくもなる。美しい金髪と翠眼、高い鼻筋の持ち主である点からもクロード王は高貴な美しさと気品を併せ持っていた。

 メイド時代に読みかじったゴシップばかり載せる新聞では美しすぎる王、などと書かれていたことを思い出す。


 ――でも、私はルイの顔の方が綺麗だと思うけど。って何を考えているんだろう。


 慌てて頭に浮かんだ考えを打ち消していると、クロードは生垣の薔薇を指に挟んで言った。 


「ローズレイ家の花嫁探しは四大侯爵家と王家の間の古えからの取り決めでな――突然のことで驚いただろう、急きょイヴェル家の養女に迎えられたのだから」

「あ……」


 そうだ、国王は元々、イヴェル家の一人娘であるシルヴィアをローズレイ家の花嫁に差し出せと命じたのだ。それを横から出てきたシルフィールが何食わぬ顔で養女に収まり――ローズレイ家の【蕾姫】となったのだから。


 怪しまれている――?

 クロードの月光よりも醒めた眼差しが、シルフィールに据えられていた。

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