07 初めてのダンス

 

「る、ルイ……あの、ですね」


 音楽に掻き消されそうなほどの小声で、正面に立つ夫にシルフィールは声を掛けた。すると瞬きをしてほぼ声には出さずに「どうしたの」とルイは応じる。始まらないダンスを不審に思われないうちに、シルフィールは意を決して声をかけた。


「私、ダンスが……ド下手なのですがっ」

「……は?」


 いちおう言葉を選んだつもりだった。侯爵令嬢ともあろう者がダンスは出来ません、などというとさすがに違和感がありすぎる。

 習ったことがないので出来ない、が正解であるし、正直言うとダンスを見たことはない。知識としてあるのは、せいぜい町の酒場で酔っ払いがやるような優雅さとは無縁な踊りだけだ。

 夜会などでイヴェル家にてダンスパーティーが開催されていたとしても、メイドたちは忙しくてそんなものを注視している余裕などない。


 なんとか逃れる方法などないか、と相談しようと思っていたところでルイがぱっとシルフィールの手を取ってしまった。

 え、え、と戸惑うシルフィールにルイは「あんたは運動神経だけが取り柄なんだから、即興でなんとかなるもんだよ」とひどく投げやりなことを言い放った。


「そ、そんな馬鹿な……っ、あ」


 す、とルイの足が動いてそれにつられてシルフィールも足が動いた。手足を操られているかのように、音楽に合わせた自然なステップが生まれる。


「わ、わわ……」

「そうそう、上手」


 くる、とターンまで入れて来たのに不思議とシルフィールの足はついていく。次にどう動くのかが事前にわかっているかのように、次にどう動くのかがわかるのだ。まさか――ルイを見上げると、片目を瞑った。


 おそらくルイは何らかの能力で、言葉にせずにシルフィールの身体にどう動くべきか教えているのだ。だから、それなりに見えるダンスに傍からは見える。

 いまだって後ろに二歩、と知らない筈のステップを踏めているのだ。運動神経さえよければ、出来る――確かにそのとおりだった。


 管弦楽の演奏が終わり――広間は静寂に包まれた。緊張していたせいもあり、すっかりシルフィールは息が上がっていたがルイは涼しい顔をしていた。

 次の瞬間、割れんばかりの拍手が響き渡った。


「……まあまあ、悪くなかったんじゃないの。それなりに見ごたえがあったってことで――まあ、ドレスのおかげもあるかもだなあ」


 そう言ってルイはわざとシルフィールをくるりと一回転させる。

 するとひらひらふわふわとスカート部分が円を描き、まさしく赤薔薇が花開いたかのように見えた。

 ルイの思い付きでしかなかった余興に、またしても拍手が上がった。

 でも先にこういうダンスがあるけど大丈夫だよ、などと簡単にでも教えてくれていればこんなに焦ることもなかったのだが――恨みを込めて見上げれば、素知らぬ顔でルイはシルフィールの手の甲にくちづけを落とした。


「今日も俺の奥さんは可愛いね」


 なんて、心にもない台詞を吐いて。

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