08 成れの果て(✦ルイ視点)

✦·⋆⋆·✦


 シルフィールの姿が消えた――しかも一瞬のうちに。滅多なことでは驚かないルイ・ローズレイ公子もさすがに肝が冷えた。


「青光石の件は父上にも話を通しておく」

「ありがとうございます、ルイ様――では、失礼いたします」


 平然とした態度を取っていたつもりだったが、苛立ちがかすかにあらわれていたらしい。採掘場の管理者はルイから逃げるように離れていった。彼のせいではないのは理解しているが結果として油断が生まれたのは事実だ。

 完全に、ルイの失態である。


 青光石はローズレイ領【真実の城シャトー・ヴェリテ】の貴重な資源であり、他領土の交易に際しても高い価値で取引される。島は農耕には不向きな土壌であることもあり、領民が生活していくに足る野菜や果実を得るには豊富な海産物だけではなく青光石の融通が不可避だった。


 百年前よりも、状況は悪化していた。むしろ公子であるルイが不在の隙を狙って、青光を盗掘し、その発光原理を解明しようとする者があらわれるとは――違う、いまはこんなことを考えている場合ではない。


「……シルフィール」


 精神を集中させ、シルフィールの気配を探った。

 外出前に血を分け与えてもらったおかげで感知能力は冴えわたっている。すぐに見つかるだろう。

 ただでさえ不慣れな土地で迷っているだけならいいが――この神からも見放された地には、どこにも行く当てもなく漂い渦巻いた怨念が巣食い、吹き溜まりのようになっている。


 を閉じて、気配を追う。


 探すのは、この島では珍しい甘い花の香り。【蕾姫】――シルフィールが婚礼の儀を終えたことによりその体臭はかなり甘く、の者たちにはたまらない極上の香へと変質した。

 贄姫、と嘲るようにいう者もいるが少なくとも現在のローズレイ家ではルイの花嫁である【蕾姫】は丁重に扱われる。それを知らない者は【真実の城シャトー・ヴェリテ】にはいない筈なのに。



「……見つけた」


 集落の外れ、誰も居住していない地区のあたりから彼女のにおいが漂っている。

 偶然迷い込んだにしては不自然な場所だ。おそらく何者かに誘い込まれたのだろう。当たって欲しいとは思っていなかったが、嫌な予感は見事的中した。


 舌打ちすると、彼女のもとへとルイは走り出した。廂から建物の平たい屋根に飛び乗りそのまま疾駆する。その姿を見た幼子からは「薔薇様すごい!」と歓声が上がる。

 領民たちはローズレイ公爵家の者を「薔薇」様と呼び、まるで神のように信仰している。本来はその真逆で、神に見放された存在であるのに。


 シルフィールの甘い香りと共に腐敗した肉の凄まじい異臭が漂っていた。悪しきモノが屍人に取り憑いたのだとすぐにルイは察した。

 間違いない、【】の仕業だ。



 この島にローズレイ公爵家が追いやられた五百年前から既に、【成れの果て】は存在していた。場所が悪いのか、此処にはよくないものが吹き溜まると昔から言われていたいわくつきの島だった。


 呪われた薔薇の一族と共喰いさせてどちらが生き残るか試してやるとしよう。

 そんなふうに試みたのはアルテュール・ローズレイの兄であった当時のセゾニア国王で、ひどく悪趣味な人間だった。


 そしてその結果、数百年にもわたる共存関係が成立している。


 追い払っても何度も湧いてくる蛆のような悪霊たちから領民を守るためにローズレイ家は人々に「加護」を与えた。

 彼らが活性化する夜、白い石で築かれた家に青の光を灯すと【成れの果て】を遠ざける――そんな知識を授け、彼らの生活を昼夜逆転させたのだ。

 迷信のようなものではあるが、暗いところを好む者たちは明るい場所や人が多く集う場所に近寄りたがらない。

 また可能な限り民を守るべく、薔薇の眷属であるカトルが毎夜見回りをしていた。


 そのおかげである程度の被害を食い止めることが出来ているのだが、亡くした家族の躯や、死んだばかりの幼い子供を巣にした【成れの果て】に誘われると、ふらふらと人気ひとけのない暗闇へと誘いだされてしまう者が後を絶たなかった。



 禍々しい気配と混ざり合うように花の香が立ちのぼっている。

 ルイが足を向けたその一角には、ぞっと肌が粟立つような感覚があった。


「酷い臭気だな……」


 明かりが消えた住居の暗闇へと立ち入れば、思わず鼻を覆いたくなるような異臭が漂っていた。けたけたと笑う子供の声が闇の中に響く。

 来たよ、薔薇の公子が来たと、と囁き合う。おぞましさに眉を顰めると、心を読んだかのようにそれらは言った。


『オマエダッテ、同類ナノニ』


 目を凝らせば、ちいさな屍が二体、シルフィールに群がっているのが見えた。


「おい――それは、俺のだよ。おまえらごときが触れていいものじゃない」

『ふふふ、きゃはははははっ! 化物公子ガ来タぞっ』


 そのとき、シルフィールの声が聞こえた。

 掠れてはいたが確かに彼女は「ルイ」と呼んだ。ルイにとってはそれだけで、じゅうぶんだった。


「――消えろ、目障りだ」


 奇声を上げ続ける【成れの果て】に向かって、手をかざす――すると、躯の中心からぼうっと青き焔が燃え上がった。


 ぎいぃと悲鳴を上げながら屍のみが燃える。シルフィールには傷ひとつつかなかった。入り込んでいた肉が消えると、黒い影のようなものがずるりと炭の中から這い出てきた。


 芋虫のようなそれに近づくと、ルイは高く足を上げ――勢いよく下ろした。


 ぎりぎりと靴裏で踏みにじりながら、ルイは力なく横たわるシルフィールを見た。死んでしまっただろうか。もしそうなら新しい【蕾姫】が必要だ。

 また百年、眠りに就くにはまだ早いのだから。


 はあ、と息を吐いてシルフィールを抱え上げる。ひどく弱っていた。あんな触れれば汚れるゴミみたいなやつらに精気を吸われている。


「可哀想に」


 このままでは死んでしまうかもしれない。わずかに、シルフィールの乾いた唇が揺れ動く。ありがとう、そう言ったようにも見えた。ものすごく嫌な気分だった。どうして俺がこんなことをしないといけないんだ、そう思いながらも身体が勝手に動いていた。

 勝手に死ぬな。俺の目の前で死ぬな。

 俺の見ていないところでしにそうになるな、馬鹿。


「っ、ん……」


 身体から失われかけていた精気を吹き込んだ。ふだんはルイがもらう側だというのにこれではあべこべだ。


 精気を失えばひとは死ぬ――ルイは死人のようなものだから、自らの身体では精気を作り出すことは出来ない。だから糧として精気が多く含まれる血を【蕾姫】から分けてもらう必要があった。


 いつもはシルフィールから分けてもらったものを、返す。

 そのせいで、どっと疲れが身体に蓄積した。このまま横になれば数時間は眠ったままになってしまうかもしれない。こんな【成れの果て】の巣で。それだけは御免だった。

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