04 墜落――着地

 着地したのは鬱蒼とした森の中だった。


 背後には先ほど降りてきた崖とその上にヴェリテ城が見える。ようやく足が震えなくなったので、ルイと共にシルフィールは歩き始めた。


「っわ……!」

「おっと。危ない危ない、そこ木の根が出ているからね――お手をお貸ししましょうか、【蕾姫】?」


 躓いたシルフィールをルイがさっと引き寄せて支えたのだが、シルフィールは勢いよく振り払って距離を取った。


「――あーあ、嫌われちゃったかな? そんなにかっかしないで。領民たちに俺たちの睦まじい姿を見せてあげたいだろう?」

「心の準備をするいとまさえ与えず、いきなりあんな目に遭わされて怒らない者は螺子ネジがどこか飛んでいるんですよっ!」


 う、まだ考えただけで吐き気がこみ上げてくる。

 シルフィールは自らの脚で歩けている現実に深く感謝した。それでもまだ眩暈があるしふらついてもいる。

 と、次の瞬間、地面のくぼみに気付かずに片足がずるりと落ちてしまった。今度こそ転ぶ――そう思った瞬間に、横からさっと伸びてきた手がシルフィールを捕まえた。


「だから危ない、って。悪いこと言わないから俺の手に掴まりなさい」

「……う」


 こんなにふらふらの状態であっては、さすがに言い返すこともできない。ルイの申し出に甘えて腕を貸してもらいながらゆっくりと歩いていくことにした。

 周りはほとんど得られない陽光を得ようと枝葉を伸ばす背が高い木ばかりだ。ようやく出られた外ではあるのだけれど、ヴェリテ城とおなじで薄暗い。ちょっとだけがっかりしていると、木々の切れ目が見えた。

 その先に集落のようなものが見える。


「あれがローズレイの領民たちが暮らしている地区だよ」


 漆黒の石で築かれたヴェリテ城とは対照的にどの建物も白い石が建材として用いられている。それゆえに、そこはひどく白い街並みを描いていた。あまり高い建物もなく、住居や小さな商店がほとんどのようだ。それにしても――。


「静か……ですね」

「ああ、そうだねえ。領民たちかれらも薔薇の時間に合わせて過ごしているから」


 薔薇の時間――どういう意味だろうか。

 考えているうちに、曇っているからわかりづらいが陽が落ちてきた。分厚い雲の裏にある太陽が空を薄紅に染めていく。そういえばこうして「時間」を体感するのも久しぶりだった。


「あぁ……」


 あまりにも短い散策にあからさまにがっかりしているシルフィールを見て、ルイは「どうしたの」と平然と声を掛けてきた。


「いや……もう日が沈みますし、そろそろ戻らないとな、と?」

「どうして?」


 ルイは首を傾げる。しゃら、とさらさらの黒髪が揺れ動いた。


「これからローズレイ領の案内が始まるっていうのに」

「でも、これから暗くなりますし――」


 言いかけた瞬間に息を呑んだ。

 ぱっとあたりに青い炎が灯り始めた――いや違う、これは青光石だ。

 家々の窓、道端に置かれた石の彫像だと思っていたものもおもむろに発光し始める。町の明かりで白い家々が一斉に青く染まっていく。

 まるで水底にいるような、青の揺らめきが視界全体に広がっていく。


「すご……い」

「うん。だよねぇ、俺も好きだよこの光景は……」


 ぱたぱたとひとが動く気配がある。閉ざされていた店の扉が開いて看板を出す者もいたし、窓辺に置かれた植木鉢に水をやるものもいる。

 日中は息を潜めているかのようだったローズレイ領に暮らすひとびとが、日没と同時に活発に動き出したのだ。


「あ、公子様だ」

「公子様、ごきげんよう。良い夜ですわね」

「そうだねえ、みんなこんばんは。元気そうでよかった」


 ルイはにこやかに手を振る。意地悪な雰囲気はなりを潜め、立派な公爵子息らしい対応ぶりにシルフィールは内心舌を巻いた。


「公子様、もしかして隣の方は……」

「そうだよ。俺の【蕾姫はなよめ】――ほらシルフィー、ご挨拶して」


 ルイに注目していた領民たちの視線が、シルフィールに移った。ざわめいている。


「なんか思ってたより、こう……」

「イヴェル侯爵家から来たお嬢様って聞いてたけどなぁ」


 まずい――領民たちの目の方が確かだ。

 なんだかんだシルフィールが本物の令嬢、シルヴィアの「身代わり」であることに気付かれずに来たが、急に粗が見出されそうになっている。


 よく考えてみたら今日は、さほど気合を入れた化粧をしてもらっていないし――どうせ城から出ないし十分だと思ったのだ――着飾ってもいない、普段着だ。とはいえメイド服を主に着ていたシルフィールからすれば随分上等な生地を使ったドレスではあったが。


 そうなの、ヴェリテ城の人々の方が浮世離れしている感があるのよ――。焦りながら精一杯シルフィールは挨拶をした。


「皆さま、ごきげんよう。シルフィールと申しますわ」

「ぶっ……」


 よりにもよってすぐ横にいたルイがふきだした。こみ上げる笑いを押さえられないとばかりに、肩を揺らし始める。


「ちょっと、どうして笑うんですか⁉」

「いや……いつものあんたらしくないな、と思って。ふは、みんなー、こいつ俺のだから意地悪しちゃだめだからねえ。シルフィールに意地悪していいのは俺だけ」


 背後からぎゅっと抱きしめられたせいで、ルイの表情はよく見えなかったが領民たちがわずかに後退あとずさった。


「いい、わかった?」


 ルイの問いかけに、領民は勢いよく首を縦に振ったのだった。

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