第三章 薔薇の行進
01 甘い誘惑
「外に出てみたいんだって?」
ルイがにこやかに言い放ったので、シルフィールは茫然としてしまった。シルフィールの部屋を訪ねてきた夫はいつになく機嫌がよかった。
百年の眠りから覚めた彼は、このヴェリテ城で公子としての仕事をしているようなのだが、その姿をシルフィールが見たことは一度もない。出くわさないように注意しているからだった。
眠っている最中はルイの私室に入り浸っていたシルフィールだが、その習慣はすっかりなくなった。図書室から本を持ち出して自室に戻って読む。やれることといえばそれくらいで、あとは運動不足にならないように迷宮のような城内を歩いて最適なルート探索をするぐらいだ。
アンに望まれれば一緒に料理もするのだが――薔薇の一族であるローズレイ公爵とルイは食事は必ずしも必要ではない。彼らの眷属であるカトルとアンもそうなのだ、と婚礼の儀のあとで知った。
ただ食事をとること自体は彼らにとって娯楽のひとつのようなものなので、気が向けば食事会のようなものが開かれる。そうしたときの手伝いをシルフィールが頼まれるのだ。
ここのところ食事会の予定はないので、若干暇を持て余していたところに夫の来訪である。普段はごはん(血と精気)ちょーだい、と
にやつきながら近づいて来るルイから距離を取ろうとじりじりと後退していると、ぱっと腕を掴まれ彼の方へと引き寄せられた。
「なんだよ、無視しないでよ……俺の可愛い奥さん」
ちゅ、とわざとらしく音を立ててシルフィールの頬に口づけた。
その瞬間、身体からがくっと力が抜ける。結果としてそのままルイの胸に顔を埋めるような格好になってしまう……屈辱だ。香水でもつけているのか、いいにおいがするところもまた腹立たしい。
「あは。怒ってる怒ってる、可愛いねえシルフィーは。で、ちょっとお外をお散歩してみない? っていう提案なんだけど――どう?」
「外……?」
「聞けばあんた、ヴェリテ城に来てから一歩も外に出ていないんだって? この城は窓もない要塞みたいな場所だし、古くて黴臭い……若い娘には気の毒すぎる環境だよねえ。たまには、奥さんのご機嫌取りでもしようかなって思ったのさ」
なんかいちいち引っかかる物言いではあったのだが、外に出てみたかったのは事実だった。公爵に頼んだときも「ルイが目覚めてから」ときっぱり断られてしまったし――そういえばすっかりそんなふうに思ったことを忘れるほどに、夫との濃厚すぎる
まあ、そういう夫婦でしないといけないことというのが「精気を分け与えること」と「吸血行為」、この二点だけなのが救いだ。
子供を作れ、とは言われていないのである意味ではシルフィールの身体は未だ清らかだった。抱き合ったりキスしたりしたぐらいで子供が出来ないことぐらい、シルフィールだって知っている。
勿論、求められれば応えなければならないだろうが――いまのところ、そんな気配は微塵も感じられない。
「ねえねえ、どーするの?」
少々飽きっぽいところがあるので、ルイはシルフィールを待っていてはくれない。彼の気分が変わってしまえばおしまいだ――せっかく外出が出来るのに、断る理由などなかった。
「行き、ますっ!」
「うん、いい返事だね。素直な子は好きだよ? ……計算高い子も嫌いじゃないけどね」
ルイはシルフィールの手を取る。
優雅な仕草ではあったが、このあとどうなるかは薄々予想がついていた。ぴりっと指先に鋭い痛みが走る――牙が皮膚を貫いたのだ。
「んっ」
「じゃあ、先にお礼代わりにひとくち貰っておこうかな……はぁ、甘い」
指から滴る血をぱくりと口内に含んで吸い上げるさまを、ただ睨むことしかできないシルフィールはひたすら無力だった。
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