09 目覚め

 ぎぎ、と何かが軋む音で目が醒めた――のだが、瞼を持ち上げることさえできなかった。差し込んだ光が眼裏まなうらに沁みる。どうして、とぼやけた思考が答えを探す。

 昨夜、自分はどこにいたのだったっけ。イヴェル侯爵邸の、同僚と二人部屋の窮屈な寝台……ではない。ヴェリテ城の自室のふかふかおふとんの中、でもない。


 慈悲なく閉ざされた冷たい石棺の中で、シルフィールは目覚めた。

 目覚めた、ということは死んではいない、ということだ――賭けに勝った、のか? 私は、旦那様ルイに殺されなかったということになる。


 身体の節々が痛む。足腰が痺れていて身じろぎすることさえ億劫だった。


「ルイ様、おはようございます」


 開いた蓋から聞き覚えのある声が降り注いで来た。糸目――カトルの声だ。もぞもぞと隣で動く気配がした。ふあ、と気の抜けたような欠伸が聞こえてくる。


「ん……確かにこの子は俺の【蕾姫はなよめ】だよ――一晩掛けて堪能したけれど、間違えようがないほどにかぐわしい精気だった。いま欲に駆られて殺してしまうには惜しいほどに」

「お見事です。さすが四大侯爵家の血を引くご令嬢、ということですね」


 嬉しそうなカトルの声に、シルフィールはぴくりと眉を動かした。それを見咎められたらしい。


「お目覚めかなシルフィー、俺の【蕾姫】?」


 お砂糖に蜂蜜を掛けたような甘ったるい声音で呼びかけられ、ぞくりとした。抱きかかえられ身体を起こされる。渋々ゆっくりと目を開けば、血のように紅い眸と目が合った。


「……ルイ、様……」

「ああ、俺だよ。あんたの花婿、あんたを捕食するものだ――なんて、ね」


 に、と笑うと口元から鋭くとがった牙が見えた。びくっと肩を揺らすと、ルイはわざとらしく悲しそうな顔を作った。


「そんなに怖がらなくてもいいじゃないか、なにしろあんたがからっからに乾涸ひからびるまで血を吸い尽くすようなこともなかったし、精気を奪いすぎて衰弱死させてもいないじゃない? 愛の証とでも思ってほしいよね」

「愛……」


 あまりにも胡散臭い。表情に出ていたのか、ルイはからからと笑って見せた。


「そういえばあの変態はどこ? どうせ待ち構えているものだ、と思っていたのだけれど」

「ええ、公爵閣下もそうされたいのはやまやまだったのですが……セゾニアから使者が参りましてやむを得ずその対応を」

「ふうん、使者ね……」


 ルイとカトルの会話を聞いている間もまだふわふわしていた。ひどく頭がぼんやりしている。


「おっと……シルフィーはまだ眠そうだね、やっぱり調子に乗って精気を貰いすぎちゃったか――あの石棺コフィンは薔薇を活性化させる。だからこそ婚礼の儀で、【蕾姫】との相性を見るのに使われるんだけど」


 ルイの声を聞いていると、びくびくっと身体に甘い痺れが走る。

 何かがおかしい。たった一晩で自分が得体の知れない存在に作り替えられてしまったような心地がした。


「――気持ちがよかっただろう?」

「……っ⁉」


 カトルには聞こえないような小さな声で、ルイは囁いた。


「精気を吸収するにはぴったりと抱き合って互いの同調を高めないといけない。つまり、シルフィーの心音を俺が制御できるほどに、深く侵入してあんた自身を『感じる』んだ――しばしばそれは性的快感にもよく似ていると言われる。シルフィーの精神を犯しているようなものだ、とも……」


 ばちっと激しい破裂音が間近で鳴った。


「いっ……?」


 ルイは目を白黒させている。予想もしていなかったのだろう、気だるげに腕に抱かれている娘がいきなりをかましてくるだなんて。

 カトルがぎょっとした表情でシルフィールと真っ赤に腫れたルイの頬を見比べていた。


「いやらしいことを言わないでください。不潔です」

「……あのね、あんたと俺は夫婦っ、い⁉」


 ばちん、と反対側の頬にも一発かました。これで両頬が赤くなる。ふだんから血色が悪いのでこれぐらいでちょうどいいだろう。感謝してもらいたいくらいだ。


「夫婦だろうと、弁えてください。私はあなたにそこまで許していません」

「……いたた……近頃のご令嬢は野蛮だな。そういうのも淑女教育で習うのかな」

「っ、自衛できるぐらいには。淑女の嗜みですね」


 とりあえずしれっと嘘をいておいた。

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