「第二の目覚め」とAI

 こんにちは、たてごと♪ です。

 某ライト君()って某ニア君()たちに打倒されて本当によかったよ、だってそんな名前で将来介護したりされたりすんの発狂ものじゃん。


 ……はい(

 いや、『長い文章哲学魔王の~()』のほうの執筆が止まっちゃってるのが、すでに発狂ものなんですが(

 その中で、「だいの目覚め」というものを紹介する一節がありまして。

 参照しなくてもわかるように簡単に説明しますと、これは


  〝知識をひたすら詰め込むと、ある時点を境にして突然、物事がりょうぜんと見れるようになる〟


 というものです。

 次のリンク先のエピソードの後半がその部分なので、もしご興味あればどうぞ(せんでーん())。


 ◦『哲学魔王と迷える天使』‐『20.過去・前 ゠ 冷房とかくせいの話』

  https://kakuyomu.jp/works/16816927860250215592/episodes/16817330650396632085


 実はこれ、ぼくの実体験に基づくお話なんです。

 いやまあ身の周りで、このような感覚を得たっていう人の話は聞かないので、書いた当時には「これ大間違いだったら超恥ずいな」とメッチャ怖かったんですが(

 ただ、これに近いことが語られてる漫画もみられますので、その作家さんからは共感が得れるんじゃないかなあ、とは思います。


 で、その後日談。

 当該部分はだいぶ前に書いたやつなんですけども、あとから衝撃的なことを知りまして。

 最近になって、高性能チャットAI『ChatGPTチャットジーピーティー』が登場してきまして、伴ってAIのしくみに関する情報もまた、たくさん出回り始めたわけですが。

 このAIは思考をするものではなくて、望まれる回答を既知のデータに基づいて予測するもので、その予測精度はあらかじめ蓄積されたデータの量に依存するんですが。

 これが不思議なことに、情報の量が十分でない場合にはほぼ役に立たないデタラメな結果が返ってくるのに、蓄積データがある一定量を超えたとたん、いきなり高精度の回答を返すようになるらしいんですね。

 いや思いましたよ、


  これ「だいの目覚め」とまったく同じこと起こってるじゃん‼ 


って。

 まあそもそも、AIのしくみは人の頭脳の「ニューロンれんもう型記憶(神経細胞があみ状の連携をして知恵が実現される記憶方式)」を模倣したものですから、同じような挙動をしても不思議は無いんですけども。

 あんまりピッタリ符合するのにはぎもを抜かれましたわ。

 盛大にビビリましたって。



     †



 ついでですが、考えるという行為のお話。

 あまり熟考をしないでサッサと行動に出てしまう短気な人って、やっぱり知識量にとぼしい傾向があるわけですけども。

 「知識量が少ない=判断精度が低い」という事なら、そういう人には「熟考によっていい結果にたどり着いた経験」がほとんど無いはず、という事にもなるわけで。

 それだと当然、熟考によるメリットを感じるのは難しいでしょうし、考えてばかりでなかなか行動しない人たちが、愚かであるようにも見えるかもしれません。

 確かに思考には際限がないですから、ある程度の見切り発車は必要になるでしょうけどね。


 でもやっぱり統計的には、短慮な人ほどだいたい何をやっても失敗に終わる、って事のほうが多いんですよ。

 やってみてから失敗の経験をかす、っていうのにも思考力が必要になるもので、起こした問題をきちんとぶんせきして対策を考えれなければ、失敗は繰り返されるものです。

 実際、〝ほとんど考えてないけど自分は成功できてるよ〟って奴の大半は、問題が認識できないゆえに周囲の人たちにしりぬぐいさせまくってるアレだったりしますし。

 いやぁ、しりを往復ビンタしてやりたい(

 もちろん、〝この場合は考えずに行動したほうがいいのだ〟みたいな経験則がある場合にはその限りじゃないんですが、それは物事の整理があらかじめ着いてるって事で。

 短慮行動の準備ができてない人がそれをマネても、いい結果につながるわけが無いでしょう。

 大胆であることと、おおざっであることは違います。


 おおざっと言えば、〝細かい事を考えてたらデカい事はできないぞ〟だなんて、のんな言葉も聞かれますけども。

 これについてはで、


  ◦ 事柄は基本的に、大規模であるほど細かい部分での狂いが無視できなくなる


んですわ。

 東京タワーや普通電車にくらべて、東京スカイツリーや新幹線のほうが、圧倒的に厳格な設計が必要になる。

 「」んですよ。

 当然、普段からおおざっな人が、微細なプロセスに取り組むのも至難でしょう。


 とはいえ、ぼくらの思考力にはやっぱり限界があります。

 たとえば国政にかかわる、議員や総理大臣あたりが、れつにバッシングされたりしてますけれどね。

 「1億人超の規模の集団をぬけ目なく管理する」だなんて、ふつう無理な事なんですよ。

 だってそうでしょう、自分1人の事だけを考えるのにくらべて、1億倍の注意を払わなきゃいけないんですから。

 とはいえ、膨大な量の判断を重ねていたら、確かにいつまでっても行動が開始できません。

 つまり、規模があまりに巨大な場合では、きょうも必要になってくるもの。

 もしかしたらそれらが行き過ぎて解釈されて、断定的に〝細かい事を考えてたら〜〟のようにわれるようになってしまったのかもしれません。

 でも実際、政治は「うまく行ってない」ようにしか見えないでしょう。

 細かい事ができてないと、かならずそういう事になるんです。

 でも結局そのてっていは無理なんですから、本当にきょうが必要なのは実施のされ方のほうじゃなくって、評価のされ方のほうなんですね。

 そう見ると日本の政治はむしろ、だいぶうまく行ってるほうだと思いますよ。


 1億倍の気遣いと、1億の事情の取捨選択。

 そんな気が狂いそうな無理難題に、果敢にもちょうせんしてくれるって言うんですから、政治家たちへはまず「やってくれてありがとう」っていう敬意が必要なんじゃないですか。

 敬意を失した人の意見なんて、だれだって耳をかたむけたくなんかないでしょう。

 これは本当に、「じゃあお前がやってみろ」って話です。

 まあ、そんな大規模な事柄をも運営できるっていう、超有能な人物もごくまれにいるんですけども、ぶっちゃけそういう人たちって自分で商売やったほうが、はるかにもうかるんですわ。

 〝政治家は給料が高すぎる〟なんてわれたりもしますけど、これもやっぱり完全に逆で、「」わけですね。

 どんなにスポーツカーが欲しくても、軽自動車にしか手が届かないならそれで運用するしか無いし、軽自動車は貧弱だと言ったところで何も変わらない。

 バッシングするだけとかあんまり意味ないんで、お控えになられたほうがよろしいかとおもいます、

 いつまで続くんでしょうね、このひどい「政治家差別」は。


 また、それはそれとして、反対の場合について言うなら


  ◦ デカい事する予定のない人には、熟考をする必要性は特段ない


って事でもありますし、要は「目的に応じて手法は変わる」って事で。

 人それぞれで、事情は異なるものです。

 なので、それを無視して自分のやり方を押し付けてしまっては、大抵の事はかえって立ち行かなくなるでしょう。

 もちろん強要なんかせずに、自分のやり方はこうだ、って事をただ提示するぶんには、大いに結構だと思いますよ。

 情報が多ければ多いほどいいのは、間違いのない事ですからね。

 というか、ここまで書いた事も全部、基本的にはぼくの考えを述べたもので、さすがにそのままこの世の真理ということは無いはずなので、くれぐれもみにはご注意ください。


 って、あれ。

 なんか『役に立つ創作論とか』の節での話と、ほとんど同じ結論になってしまいました。

 考えるまでもない事なのかもしれませんが、たくさんの考えを同時に持つっていうのはやっぱり、ぼくらには難しいのかもしれませんね。

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