役に立つ創作論とか ⦇長⦈

 こんにちは、たてごと♪ です。

 〝さんぼん〟とは「一人では大した力にならなくても、三人寄れば大きな力になる」って事なので、つまり一流の人間が三人寄れば三流になれるって事ですね。


 ……はい(

 だれかの論に振り回される、なんて事は創作に限らず、しょっちゅう有るわけですが。

 いい加減、振り回されすぎて疲れた感も、そろそろ出てきましたよね。

 でも、それ以前に


  ◦ 創作方法論っていう物の存在自体が、そもそもどうなの?


って話が有ったりしましてね。

 たとえば「おかねかせぐ方法」「モテる方法」「ダイエットする方法」とか、そういう鉄板の手法って、ほぼ決まりきってるもので。

 なのにみんな、何だかんだでその方法を実行できない、って場合が多々あったりするじゃないですか。

 それは、人それぞれで特性が異なる以上、「手法に対する相性」ってものが必ず出てくるからで、つまり絶対的な手法なんて結局、この世には存在しやしないと。

 そう考えるわけですね。



     †



 ま、「特性」とってしまうと妙にふわっとぼやけるので、「体質」ってい換えたほうが適切かもしれません。

 体質とうのはつまり、胃腸強度や風邪かぜ耐性、アレルギーとかのそれと同じだって事です。

 精神ってやつが脳といういち体器官によって実現されてる以上、そうならざるを得ないはずでしょう。


 で、そういう体質に起因する問題って、そもそも自分の何がどういけないのか、言葉で説明できない部類の物じゃないですか。

 胃が弱かったとして、なぜ弱くなるかという原因は遺伝とかが挙げれるにしても、なぜ弱いのかという理由は皆目わかってなくて、胃が弱いのは「胃が弱い体質」としか言いようが無いと。

 で、言葉で説明できない問題にはふつう、解法も存在しません。

 だから、「何でお前はこの程度で胃を壊すんだ」なんてしっせきに、実効性なんか有るはずが無く。

 同様に、「何でお前はこんな事もできないんだ」とかしかってみても、それだけで〝できない〟問題が解決することは基本無いんです。

 もっと言えばそれは、「達成不能なことを達成させようとするヴァカ()がそこにいてしんい」という、別の問題ですらありまして。

 かつ、それすらもがおそらく体質で、やめさせることが〝できない〟問題なんで、いやその……世の中面倒くさいっすね(


 そういう体質的な問題には、〝それが正しい〟とわれてる手法であっても、適応しなかったりするんですね。

 常識と考えられてる学問においてすら、人それぞれで適不適が出るものです。

 特に西洋からの医学や栄養学、経済学やりん学に至っては、特に日本人には部分が結構多いので、みにするとを見ることにもなります。

 たとえば『ISOアイエスオー 9001きゅうまるまるいち』とか、マネジメントを円滑にするという触れ込みで、実際のはずの規格なんですが、日本ではグダグダな事になってますよね。

 つまりこの規格、くつのうえではどれだけ正しかろうとも、日本人には合わないんですよ。

 そんなわけで〝人類みな兄弟〟とはいえ、思ったよりも大きい体質的な差異が存在するので、「しゅとして一律にホモ・サピエンスなのだ」という認識のしかたをするのはやめといたほうがよろしいかとおもいます、

 ってか、知れば知るほど日本人、頭脳も肉体も世界標準からはずれるHENTAIな件……こんなの絶対おかしいよ(

 現在のところ生物のしゅって、遺伝子構造的ないしせいしょく機能的な観点から識別されるらしいですが、その分類法って限界あるんじゃないすかね。

 親兄弟ですら、別種のイキモノ()としか思えなかったりするでしょ。


 余談としてことばの説明になりますが、ホモ・サピエンスの「homoホモ」は〈人〉という意味のラテン語で、英語の「humanヒューマン」の原語。

 一方で、ホモ・セクシャルとかの「homoホモ-」はそれと別語で、〈同類の〉という意味のギリシア語の接頭辞です。

 非常に紛らわしいので、前者は{homoヒューモ}とでも発音させたらいいんじゃないですか。

 あと「sapiensサピエンス」は〈えいを持つ〉という意味で、しめて「homoホモ sapiensサピエンス」あるいは「homoヒューモ sapiensサピエンス」、これは〈賢い人〉になるわけですね。

 ちなみに「えい」だけだと〈sapioサピオ〉になるんですが、これがギリシア語だと「sophiaソフィア」になります、なんか聞いたこと有る単語が出てくると安心しますよね安心(

 そしてどうやら、賢い相手にしか欲情できない〝sapioサピオ-sexualセクシャル〟なんて性的指向も有るそうで、もしかしたらぼくもそれ……なのか……?(



     †



 かん休題。

 「〝できない〟ものは〝できない〟」の例を挙げるとすれば、せっさくの『哲学魔王と迷える天使』とその派生シリーズ。

 ぶっちゃけ「読み通せば人としての格が、すげえレベルアップしますよ」と。

 そんな保証すらできるって、自分では思っちゃいますがね。

 でも、内容のレベルとしてはたぶん大学講義に匹敵するやつで、自己啓発にどんよくな人でもない限りはまったく適応しない、とも感じられまして。

 そんなもん、ただ「読め」とだけ言われたって、まあ素直に読めたりはしないかもしれません。


 あとあれ、お茶ですね。

 緑茶って、高温でれるとしぶみとかが強く出ますけど、それに対して〝ややぬるい湯でじっくりれるのが正しいれ方だ〟とか、物言いがくじゃないですか。

 で、普段しぶい茶を飲んでる人にそう紹介して、飲んでもらってみれば「うわぁ甘い! 全然違う〜!」みたいに感動するでしょうし、しばらくハマったりするかもしれません。

 でも大抵は、そのうちしぶい茶に回帰するんですよ。

 何でかって、そのしぶい茶こそが「その人が飲んできた茶」だから。

 ずっと甘い茶飲んでる人には、しぶにがみがクドイんでしょうけど、しぶい茶飲んでた人としては、それが無ければ物足りないと。

 そして人って結構、習慣を崩すと調子出なくなるものですから、新しいれ方の作業自体にもどこか、妙ないやが差してきたりする。

 つまり〝慣れ〟ってものが、有るわけですね。

 そういう人たちにとっては〝「正しい方法」なんてむしろ邪魔〟、つまり〝邪道〟なんじゃないでしょうか。


 うまい説明になったかはわからんですが、「〝できない〟ものは〝できない〟」って大まかに、そんな感じのものです。

 同時に、〝何事も我流で始めてしまうと、変なクセが抜けなくなる〟っていうのもまあ、似たような成り立ちをしてるからこそなんですけども。

 でも、何かの手法に対して体質的な相性がある以上、結局は「〝できない〟ものは〝できない〟」なんですよねえ。



     †



 そういうわけで、最近流行の〝オンラインサロン〟ってやつ。

 創作分野のものに限らず、それが成功者による談話だとしたら、そこで語られてるのは基本その成功者本人にしか通用しない、「狭い手法」なんですわ。

 〝劇的、感動的な武勇伝ほど、役に立たない物は無い〟んで、娯楽のひとつとして話半分に聴いておくが吉でしょう。

 まあまあ、体質的に合う手法に、偶然めぐり合うかもしれませんし。

 あるいは活用できなくとも、ほかの何かの参考にはなるかもしれません。

 なので「聞くだけ損」という事は、たぶん無いとも思いますけれどね。

 こうして書いてるこの文章すらもが、あるしゅオンラインサロンのひとつの形、かもしれませんし。


 あと、そういう問題をはらんでることを認識した上でなら、あえてそれに乗っってちょうせんしてみる、というのはアリだと思います。

 逆に言うと、この認識をしないままに乗っってしまうのは、ちょいとマズイかも。

 なぜなら強要でもされてない限り、その選択自体は自己責任であるはずで。

 なのに後で失敗したとき、〝お前の言う通りにやったらこのザマだ、一体どうしてくれるんだ〟とか、相手を不当に責めてしまいがちになるからですね。

 そうしてきらわれ者の一丁あがり、と。


 一方で、そのきらわれ者の話もそうですが、ほぼ確実に役立つのは〝失敗談〟。

 つまり「これをやるとこんないい事があるよ」じゃなくて、「これをやるとこんな無残な事になってしまうよ」という部類のやつですね。

 それをやると、大体の人がだいたい本当に失敗するんですが、これはただ知って意識しているだけで、回避行動をこころみることができます。

 で、失敗談は基本的に「それをやらない」って方向で活用する物なので、「やりたいけど〝できない〟」って事があんまり起こってこないんですね。

 だから比較的、活用しやすい。

 まあ「知ってはみたけど意識が〝できない〟」とか、あと「やめたいけど〝やめれない〟」とか、そういう事は少なからず有りますけども。

 それでも「利益にならない行き先を知っていること」は、大きなアドバンテージになるわけですよ。

 創作論どころか各種法令すらもが、人類がかさねてきた失敗をちくする目的で策定されてますからね。


 そんなわけで、失敗談はお宝。

 とはいえ、それ自体はなかなか世には、出回りません。

 自身の失敗を語るなんて、当たり前に恥ずかしいですし。

 すぐ問題修正するゆえに、忘れ去ってることも多いですし。

 なので、経験者のだれかからアドバイスを受けたいという場合には、成功したその手段よりも、失敗してしまった事を中心に根掘り葉掘りと吐か


 ……。

 たった今、気づいてしまいました。

 いやその、〝知ってしまったら不幸になる事もある〟とはわれてやまないことばですが、


  ◦ ぼくくろれきを知られたら、ぼくが確実に不幸になる


という真理……っ!

 不可避……っ!

 世には夢も希望も無い……っ‼(


 あのね!

 ここにね! こうしてね! 書いてある文章もですね!

 ただキレイなね! カタチにね! まとめてあるだけでしてね!

 大体がね! 自分のやらかした失敗をね! 積み上げたものなんですよォ‼

 ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン!!(


 ……もしかして〝しかばねを越えてゆけ〟って、そういう意味のことばなんだろうか。

 そう思ったら、ちょっとかなしくなってきましたね。

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