前日譚⑤

「誰が漢女だって?」


 部室棟から少し離れたとき、華月が凛太郎を小突いた。


「あ……聞こえてた?」


 彼はまだ少し震える声でおどける。


「当たり前でしょ。あんた、本当にあいつらの弱み握ってんの?」


 ドア前で待機していた彼女には会話は筒抜けだったようだ。


「んなわけない。ハッタリにきまってんじゃん」


 彼らの個人情報は全て康二経由のものだ。メッセージアプリで公開している内容や履歴も含めて拾い上げた。山崎は口が堅く、個人情報をあまり外に出していないためプライベートがほとんどわからない。康二があのピッチャーの一軒家をしばらく張っていたが、昨日の今日で大した情報が得られるわけでもない。たまたま今日は父親が頻繁に家を出たり入ったりしているので、適当に週末の父親が怪しいとでっちあげたのだ。毎週そうなのかは分からないが、土日に野球部の練習があるからそのあたりは誤魔化せるだろうと割り切った。


「……だろうとは思ったけど」まだ緊張が解けていない弟を見て眉を寄せる。

「あんた弱いんだからあんまり威勢いいこと言わない方がいいよ」


 今の華月は凛太郎の用心棒である。狭い部室で乱闘になった時には助けに飛び込んでくる予定だった。


 凛太郎自身も少しは心得があるが、彼女のように専門的に鍛錬を積んでいるわけでもない。どちらかというと姉のサンドバッグとしての経験が長い。今回の『タマ潰し』は見様見真似みようみまねだ。昼間に見たものと同じシチュエーションだったから模倣できたものの、危ない橋を渡っていた。


「知ってるよ」何度も大きく息を吐いて緊張を逃す。

「でもしょうがないだろ。ああでも言っとかないと康二が狙われる。さくらちゃんも顔を覚えられてたらまずいし。ヘイトを俺に向けるしかないんだよ」


 せっかく康二を野球部から解放したのに、学校の中で絡まれたら意味がない。さくらも、あの騒動を無難に切り抜けられれば問題なかったが、「お姉ちゃんのフリでもして穏便に彼女を連れ出してくれ」という凛太郎の頼みが拡大解釈されて「お姉ちゃんのフリして相手の急所を潰した」になった今では放っておくわけにもいかない。


「ずいぶんと男らしいこと言うね」


「怖いお姉さんに鍛えられたんで」また小突かれた。

「……まぁ、あとは晶たちがうまいことあの顧問を追い出してくれれば、ハッタリにも信憑性が出るんだけど。それは明日次第だな……どうなることやら」


 流石の凛太郎も不安気にグラウンドを振り返った。

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