西海中学校⑤

「お前……! ……誰から聞いたんだ、そんなこと。買えるわけねーだろ」


「そうだよな。中学生が煙草なんて買えるわけねえ。家族のタスポでも持ってないとな」


「……」


 相手は何者だろう。どうして康二が家族のタスポを盗み持っていることを知っているのだろう。心当たりはあったが、確証がない。これ以上何かを言うのは得ではない、と理性的に判断したのではなく、怖くて何も喋れなかった。


 康二が黙っていると、相手はバツが悪そうに首の後ろをきながら口を開いた。


「悪りぃな。この前のことでわかってるだろうけど、ちょっと性格がひねくれちまって、素直になれねーんだよ。まぁ、こないだ俺のツレを悪く言った仕返しだと思ってくれ。これでおあいこだぜ。……煙草を買ってくれってのは、もちろん嘘だ。本当はな、お前を助けに来た」


 驚いた。意外な言葉だった。助けに来た……最悪の初対面と脅迫の再会のあとの生徒から出てくる言葉とは思えなかったが、さっきの言葉で確信を持った。タスポ。煙草。助けに来る。別に頼んでもないのに、勝手に助けに来る。


「……いらねえ」


「へぇ。なんでだ? 困ってないのか?」


「これ以上混ぜっ返されると俺が、もっと困るんだ」顔をそむけた。「タスポのこと知ってるってことはお前、三井の差金さしがねだろ」


「ああ、ばれてたか。俺は三井健流の友達だよ。黒川凛太郎だ。よろしく」


 当たりだった。人騒がせでお人好しな奇人。勝手に暴走する困った友人。


「あいつに悪気がなかったのはわかってる。ちゃんと自分から名乗り出てくれたし、あのあとは俺は何も言われなかった。それはもういいから、ほっといてくれ。俺が我慢すれば丸くおさまるんだ」


「いや、まるくは治まらない。まず俺たちの腹が治まらないからな」


 康二は再び凛太郎を見た。意味がわからない。


「なんだそりゃ……俺を助けるって、部活を辞めさせようってことだろ? 助けるって……いや待て、俺たち? ……お前と誰だ? 三井か? それとも、こないだ一緒にいた奴か」


「いや。お前は会ったことがない。塾の友達でさ、少々感情豊かな女の子がいて、その子がお前らの監督と先輩にえらく腹を立ててるんだ。まぁ、俺と健流もムカッ腹立ってるのは同じだけど」


「……わけわかんねぇ」


 康二に会ったことはないのに監督や先輩に腹を立てている。そんな女の子には当然心当たりはない。何にしても、彼とは無関係なはずだ。


「まぁ、あんまりその辺りは気にしないでくれ。お前は俺たちに脅迫されて、言うことを聞かされたって寸法だ。構わないだろ?」


「構う。俺は野球やりたいし、辞めるつもりもない」


「散々コケにされて、仲間外れにされて、いびられて、練習にすら参加できてないのにか?」


「……我慢してりゃあそのうちおさまる」


「本気で思ってんのか?」


「……」


「あの顧問がいる限り、このくだらないシゴキは無くならないぜ。もしもお前がこれから3年が引退するまでの半年を耐えきっても、今度は下の代で誰かが同じことをさせられる。本当はこんなことは、大人が止めなきゃいけないんだ。教師の仕事、大人の仕事だ。今の3年や、お前だけの問題じゃない。わかってるだろ?」


「……」


「これはな、教師公認のいじめだ。誰かが止めなきゃならない」


「俺じゃない」


「ああ、お前じゃない。俺たちだ」


「……」


「だからお前を脅迫する。協力しろ。言うこと聞かないと、この動画をばら撒くぜ。大丈夫、大したことはしねーよ。ちょっとばかり3年の引退を早めて、出来ることなら顧問には退場してもらうってだけさ。中体連には出れなくなるかも知れねーけど、お前は少しだけ部活をやりやすくなるし、俺たちは悪いやつを退治できて気分が良い。そう言う意味で助けるんだ。一石二鳥じゃん」


 健流とのつながりで何かやっている連中なのだろうか。話があまりに突飛で急で、頭が追いつかない。現実ではないような気さえする。そのせいか、薄明かりの中、笑顔で自分を脅迫する凛太郎にあまり恐怖も嫌悪もない。


「……なんなんだよお前ら」


 むしろ興味が湧いた。久しぶりの気持ちだった。


「俺たちか。……ああ、そういや名前はとくにないな、塾の友達で作った即席の少年探偵団さ」


「なんだそりゃ。そのまんま少年探偵団って名前か?江戸川乱歩オマージュかよ」


「お、なんだお前も詳しいのか?俺はよく知らねーけど、その江戸川乱歩って名前は聞いたことあるな」


「探偵団やってるのに知らないのかよ。三井とはミステリーの趣味で気があったんだ。あいつ、シャーロックの煙草研究の日本版を作るなんて、アホだぜ」


 今日初めて笑った。もう自分の負けなんだろうな、と康二は思った。それに、自分で感じていたよりもずっと疲れていたみたいだ。


「大雑把だな。名無しの探偵団かよ」にやけ顔が止められない。「楽しそうなことしやがって」


「お、いいなそれ。『名無しの探偵団』。悪くない、今度からそれで名乗ろうかな。お前、センスあるぜ」


 顎に手を当てて名前を吟味している凛太郎を見ているうちに、もっと話したくなってきた。二人を隔てるこの薄い金網が妙に面倒に思える。頑張って入った私立中学校も、期待して始めた野球部も、なんだかこの金網みたいに薄っぺらく、煩わしく思えてきた。


「ちょっとそこで待っててくれ」


 鞄を肩にかけ、金網を掴んだ。ひんやりとした鉄の線が手に食い込んだが、痛くもなんともなかった。足をかけると、がしゃんと鳴った。ここを乗り越えていくことを小さな声で非難するように感じたが、まぁ、気のせいだ。そんなものはないのだ。続けてもう片方の足。手をもっと高いところへ掛けて。足を引き寄せる。繰り返したら、すぐに一番上に来た。大した高さでもないなと思った。暗いし、街路樹や電柱で周りからも想像していたより目立たない。凛太郎はいったいどれくらいここで康二を待ってたのだろう。


 乗り越えた。


 半分くらいまでフェンスをくだって、飛び降りた。簡単だった。


「もういいや。お前らのがわに付くよ」


 康二はさっき自分が歩道に捨てた吸い殻を探した。


「三井が俺のために事件まで起こして停学になったもんだから、意地でも部活を続けねーとって思ってた。俺はイジメになんか負けねーぞって」


 見つけて、拾った。


「でもあいつ、探偵団とつるんでるなんてさ。そこまでやるか? なんかもう、馬鹿馬鹿しくなってきた。俺の負けだ。まぁどうせ、煙草吸ってる奴らなんか、中体連に行っても一回戦負けだ」


 吸い殻を持った手を金網の向こうへ入れた。


「本当のこと言うと、あいつが火事を起こす前から、いつ辞めようか、ずっと考えてた。たった3ヶ月で辞めるなんて根性がないとか、注文したユニフォームやら道具やらが勿体無いとか、もしかしたら何か俺が生意気なこと言ったんじゃねーかとか、色々考えたけど」


 自分へ言い聞かせるように続ける。


「硬式の中学生チームだって、市内にいくつかある。中学校だけが野球をやる場所じゃねえ。こんなキモい部活なんて、こっちから辞めてやるぜ」


 吸い殻を離した。


 強い風が吹いた。心地よい、それでいて嵐を思わせるような風だった。


「お前、なかなかかっこいいじゃねーか」凛太郎が彼特有の優しい口調で茶化した。「そんなしょぼい金網の向こうでボス猿にいじめられてるよりか、よっぽどかっこいいぜ」


「俺はもともとかっこいいんだよ」康二は鼻で笑った。

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