閑話 きっと私たちの子供は優秀に育つぞ

 公主様の瞳が左右に揺れている。

 彼女の視線は、麒翔きしょうの手元にあるボールへ注がれている。右へ左へ。手首のスナップを利かせて、同じ軌道をボールが往復する。


 このままボールを投げて「いけ!」と命じたら本当に取りに行きそうな気配がある。試してみたい気もするが、流石に不遜ふそんすぎて麒翔きしょうは秘かに却下した。


 これが桜華だったら、遠慮なく「いけ!」とやるところなのだが。


 公主様は桜華と同じように扱ってほしいというが、流石に犬扱いするのは気が引けた。婚約したことによって少しは二人の距離も縮まったような気はするが、それでもやはり、高貴な公主様に無礼を働くのは違う気がするのだ。


 そう、桜華は愛玩動物でありペットなのだ、と麒翔きしょうは己に言い聞かせる。だからこれは、桜華を優遇して公主様を蔑ろにしているわけではない。

 もしも、もしもである。このボールを投げて「いけ!」と命じたとして、公主様が本当に取りに行った場合、麒翔きしょうはどのようなリアクションをすれば良いというのか。桜華だったら、皮肉の利いた返しをしてくるだろうが、公主様の場合、そのビジョンが見えない。冗談抜きに素直に従いそうだから怖い。


 そうだそれが問題だ。公主様は一途で真っ直ぐな性格なのだ。

 桜華の言った「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉を真に受けて、未だに信じている節がある。冗談で迂闊なことを言うと、どこまで本気にされるかわかったものではない。などと麒翔きしょうは心の中で言い訳をし、ボールをぽーんと投げた。


 舞台はボロ小屋。桜華と二人で見つけた秘密基地である。

 狭い室内をコロコロとボールが転がっていく。


 すると、白いモフモフが猛然とボールを追いかけて、転がったそれへ「はむっ」と噛みつき、短い足をばたつかせて戻ってきた。そして献上するかのようにモフモフがボールを差し出してくる。その柔らかな頭を撫でてやると、そいつは「ぎゅううう!」と嬉しそうに鳴いた。


 ――殺人兎。

 獣王の森に生息する魔獣で、可愛らしい見た目に反して生態ピラミッドの上位に位置するほど、実は戦闘力が高い。普段は群れで行動し、敵対者を集団で捕食する。だが、義理堅い性格をしており、一度受けた恩は絶対に忘れない。敵と味方を明確に区別することを生存戦略としてきた魔獣であるらしい。


 と、そんな愛くるしくも物騒な魔獣がなぜ学園のそれも秘密基地にいるのかというと、いつの間にか帆馬車に一匹紛れ込んでいて、それを桜華が連れ帰ってきたからである。


「ふむ。ようやく麒翔きしょうを主人と認めたようだな。悪くない」


 公主様が乏しい顔を満足げに頷かせた。

 殺人兎は公主様に懐いていた。その後ろをぴょんぴょん跳ねて離れないほどに熱烈に慕われていた。だが、当の公主様本人は、


「主人は私ではない麒翔きしょうだ。いかに知能の低い魔獣とて、主を間違えることは許さんぞ。私たちの群れに入るつもりなら、そこはきちんとしてもらう」


 などと言って、頼んでもいないのに勝手に調教を始めたのだ。

 最終的に、彼女は調教師としても優秀だったようで、兎は麒翔きしょうを主人と認めた。


(いや、違うな。それは表面上、黒陽がそう命じるから従っているだけのこと。本当は黒陽を主だと思っているはずだ)


 現に、ボールを差し出してからは、チラチラと褒めてほしそうに公主様の方へ視線を向けているではないか。麒翔きしょうは思わず苦笑して、提案する。


「なぁ黒陽。おまえも褒めてやれよ」

「ああ、そうだな。ぎゅう太、よくやったな。褒めてやろう」


 ぎゅううう! と鳴くから「ぎゅう太」なのだと、桜華が名付けた。

 公主様の白い腕がすっと伸び、モフモフの頭を優しく撫でる。ぎゅう太はつぶらな黒目をパチクリさせて「ぎゅううう!」と嬉しそうに鳴いた。


 床の上で膨らむようにしてぎゅう太が喜んでいる。そのまん丸の体を公主様がむんずと掴み、自身の膝上へ置いた。椅子に腰かけたまま、公主様はぎゅう太の頭を撫でている。ピスピスと鼻を動かし、公主様の胸元へぎゅう太が顔を埋める。少し羨ましくもあるその微笑ましい光景に、麒翔きしょうは思ったままを口にした。


「こうして見ると赤子を抱いてるみたいだな」


 公主様はぎゅう太を撫でていた手を止めて、きょとんとして一言。


「子作りするなら次の春だな」

「いきなりなんの話だよ!?」

「発情期でないと子供は作れないだろう? 契るだけならいつでもいいが」

「詳しく説明しなくていいよ!? 子作りとか大声で言うもんじゃないだろ」


 公主様は乏しい顔を曇らせて、不満そうに口を尖らせた。


「嫌なのか?」

「嫌なわけねえだろ! むしろ大歓――ああ、いや。学生の身分でそういうことをするのはよくないだろ。学園規則的にも退学になっちまう」

「ならば私との子作りが嫌というわけではないのだな」

「あ、当たり前だろ。俺たち、い、一応は、こ、こ、婚約したんだぞ」


 平然と言い添える公主様に対し、麒翔きしょうの舌は恥ずかしさのあまり、もつれるように絡まった。それでも一応は伝わったようで、公主様の乏しい顔が和らぐ。彼女はそっと胸元に手を当てて、


「子の能力は親の血統に左右される。きっと私たちの子供は優秀に育つぞ」

「そうだな。黒陽に似れば容姿にも恵まれるだろうし、能力だって高そうだ」

「あなたに似れば、剣術の才に恵まれるだろう。私はむしろそちらを期待したい」


 目の前の婚約者は、キラキラと恋する乙女の目をしている。恋は盲目というが、やっぱり公主様の持つ麒翔きしょうへの信頼は、天元突破してどこまでも高く舞い上がっているように見える。その高すぎる期待に一抹の不安を感じないでもないが、麒翔きしょうは前向きに考えることにした。が、その出鼻を挫くように、


「桜華との子供も見てみたいな。きっと元気な子に育つのだろうな」


 ぶふぉー! と、麒翔きしょうは盛大に吹き出した。そして全力でツッコむ。


「なんでそこで桜華が出てくるんだよ!?」

「むしろなぜ桜華を省く必要がある」

「だーかーら! 俺と桜華はそんな関係じゃ――」


 と、そこでタイミングを計ったかのように、バタンッと勢いよくボロ小屋の扉が開かれた。


「おっはよー! わたしがいないからって、あんまり二人でイチャイチャしてたらダメだよー」

「イチャイチャなんかしてねえよ!」

「えー? 本当かなぁ?」

「ああ、それは本当だ。ちょうど今、真面目な話をしていた。桜華との子ど――むぐぐー!?」


 電光石火の身のこなしで公主様の口を塞ぐ。そのような爆弾を落とされては、桜華との関係に気まずい亀裂が入ってしまう。条件反射による行動だった。が、


「ぎゅううう!」


 突然、公主様の膝元で大人しくしていたぎゅう太がプルプルと震えだした。

 そして――ポンッという音を立てて、ぎゅう太が巨大化した。サメのようなギザギザの歯が並んだ大口を開けて、麒翔きしょうの方へと跳躍してくる。


「って、ちょっと待て! 巨大化すんな!?」

「わー、陽ちゃんがイジメられたと思って怒ったんだね」

「こら、ぎゅう太。主に向かって牙を剥くとはどういうつもりだ」

「ぎゅううう?」


 建っているのもやっとなボロ小屋が、大きな揺れに悲鳴をあげた。









 ――――――――――――――――――――――


 現在、第三章を執筆中です。

 完成次第、少しずつ投稿をしていきますのでしばらくお待ちください。

 その間、場つなぎを兼ねて週1ペースで閑話を投稿していきます。


 用意した閑話は全四話。目標は四月中の再開ですが、致命的な矛盾等が発見された場合は伸びる可能性があります。


 また、執筆のモチベーション向上に繋がりますので、フォローや評価(★)を頂けると嬉しいです。再開時には、近況ノートの方でもアナウンスさせて頂きます。

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