第28話 死闘(後編)

 ――ギャリギャリギャリギャリ!

 小石を多く含む地面をえぐり、巨大なコマが縦横無尽じゅうおうむじんに暴れまわる。

 その動きが止まる瞬間を見計らって斬撃を叩き込もうと画策するも、なかなかうまくタイミングが合わない。止まったのを見てから動くのでは遅いのだ。駆け付ける前に再びスピンが始まり、カウンターを食らうハメになった。左腕が軽く接触し、龍衣の袖と皮膚をえぐり取るように持っていく。麒翔きしょうは悪態をついた。


「どこで止まるのか完全にランダム。奴の気分次第ってところが厄介だ。結局、運に頼るしかないのかよ。やってらんねーな」


 麒翔きしょうの位置を確認するため、巨大亀は一瞬だけ動きを止めて顔を出す。その隙をうまく突くことができれば、勝算は十分にあった。しかし、その隙にうまくタイミングを合わせることが至難の業。何百と試行を繰り返せばいつかは捉えられるのかもしれないが、その前に麒翔きしょうの体力が尽きる可能性のほうが高い。運が良かれば次の一瞬で勝負が決まるが、運が悪ければその時は永遠に訪れない。現在の麒翔きしょうの心境は後者である。


 幾度も突進が繰り返され。その度に回避しながらチャンスをうかがう。

 猛烈な特攻が通り過ぎた後も、足を止めずに追いかける。すぐそこで回転が停止する可能性があるからだ。

 そして高速で移り変わる景色の中、見えてはならないものが一瞬だけ視界の端に映った。麒翔きしょうは絶望に目をこすり、もう一度そちらを見る。そして大声で怒鳴った。


「桜華。てめえ何やってんだ。冗談抜きに死ぬぞ」


 先行きの見えない戦闘に苛立っていたというのもある。しかし何よりも彼が苛立ったのは、公主様の犠牲を無駄にするその浅慮せんりょな行動である。黒陽あいつが誰を庇ってああなったと思っている――その言葉が喉元まで出かかり必死に耐えた。


 しかし、麒翔きしょうの怒鳴り声に負けないぐらい大きな声で桜華も叫んだ。彼女は泣いていた。


「陽ちゃんからの伝言! 倒す算段はあるのかって!」

黒陽あいつは無事なのか!?」


 桜華はコクリと頷いた。麒翔きしょうの胸に泣きたくなるぐらいの安堵が広がった。桜華が催促するように叫ぶ。


「いいから答えて! 時間がないの!」


 巨大亀の突進が、わずかに桜華を避けて麒翔きしょうに迫る。

 突風が吹き、きゃっと短い悲鳴。その突風に負けないように麒翔きしょうも怒鳴り返す。


「ある! だが、隙がなくて困ってる」


 次の攻撃軌道が桜華から逸れるように計算して、横へ跳ぶ。回避成功。

 何を思ったのか、桜華が天へてのひらを伸ばすように突き出した。


「陽ちゃんに届いて。灼閃シャセン!」


 掌から射出された光の線が夜空を切り裂いて天へ昇ってゆく。そして彼女はその拳を胸の前でぎゅっと握りしめ、


「次の攻撃が終わったら、動きが止まるからそこを叩いて!」

「止まるってなんで」

「いいから! 陽ちゃんを信じて!」

「なんだかよくわかんねーけど、わかった」


 信じてくれと言われたら信じるしかない。

 おそらく最後になるであろう巨大亀の高速スピンが再び眼前に迫っていた。




 ◇◇◇◇◇


 白い光の帯が天へ続いている。


吐息ブレスか。流石は麒翔きしょうだ」


 森を見下ろすことのできる高台。崖の上に立ち尽くす黒陽は、生気のない青白い顔に笑みを浮かべた。月光に照らされる幽鬼の如きその顔は、ぞっとするほど美しい。


 倒す算段があるのなら吐息ブレス、ないのなら魔術を空に打ち上げる段取りとなっていた。今のは光属性の吐息ブレスで桜華の放ったものに間違いない。

 すでに千里眼を使用し、二人の場所は把握している。巨大亀に至ってはわざわざ使用するまでもなく、その所在は一目瞭然であった。


 巨大亀が粉塵を巻き上げ、麒翔きしょうに向かって突進していく。

 フィナーレは近い。


「亀はどんくさいものだという認識は改めねばなるまい」


 立っているのもやっとな黒陽であるが、その漆黒の瞳は絶対強者たらん鋭い光を失っていない。折れて使い物にならない右腕に見切りをつけ、比較的軽度な骨折で済んでいる左腕を前方へかざす。


「桜華のおかげでここまで来れた。そして桜華が危険を承知で動いてくれたから、適切に処理することができる。ありがとう」


 巨大亀の攻撃を麒翔きしょうが真横へ回避する。

 その後もその猛進は止まらず、木々を押し倒して森に傷跡を作る。

 そうして新たな道が創造された所で、ようやく巨大亀の動きが停止した。ひょこっと顔を出す。


「終わりだ。[闇の鎖の束縛]」


 黒陽は最後の魔術を唱えた。


「この鎖は《気》を吸い取る。もう大技は出せな――ああっ」


 普段は無視できる小さな魔術負荷が瀕死の体に重たくのしかかる。全身の骨格、各部位の中で無事な箇所は一つとしてない。腕を少し動かしただけで全身の骨が軋むように痛む。両足は骨折こそしていないものの、大腿骨だいたいこつから足の指先までひびが入っており、立っているだけでも相当辛い。内臓は損傷し、口の中は血の味がする。

 そして拘束対象が強力であればあるほど、その出力は必要で、体への負担も増す。泣き叫びたくなるようなその負荷に、黒陽は唇をぎゅっと噛んで耐える。


「うっ、ぐ……くっ……はっ……あっ……んぁ」


 巨大亀が力任せに暴れようとする。その度に雷に打たれたような激痛が走る。


「くはっ……うあああああ、ああああっ!」


 だが、これしきの事で泣き言を言っているようでは麒翔きしょうの側近は務まらない。それは幼少の頃より叩き込まれた帝王学。夫の覇道を支えるための覚悟である。


「大丈夫だ。私は強い。絶対にやれる」




 ◇◇◇◇◇


 巨大亀に寄り添う黒い影。その黒に更なる深みが加わった。闇より深い陰影が円を描くように巨大亀を取り囲む。瞬間、何十ものおびただしい黒い鎖が陰影から勢いよく射出された。蛇のように波打つ黒い鎖は大きな甲羅を縛り拘束していく。先刻とは条件が違う。完全に静止したタイミングで魔術が発動した。高速回転による摩擦は存在しない。黒い鎖は千切れることなく見事にその役目を果たしている。


「翔くん!」

「わかってる!」


 すでに《剣気》の錬成は完了している。足の裏にありったけの力を込めて、地面を踏みしめ蹴り上げる。ぐんと加速する。景色が一瞬で後方へと流れていく。


「ゲキャアアアアアアアアアアアァァ!」


 甲羅にこもったまま、巨大亀が咆哮ほうこうを上げた。それは動きを封じられたことへの怒りによるものか、あるいは焦りからなのか。どちらにせよ。


「てめえはここで終わりだ。死ね」


 全力疾走からの跳躍。十メートル強の大ジャンプ。

 全力を蓄えた紫炎の《剣気》が躍動やくどうする。狙うは一度目と同じ場所。甲羅の裏側に隠された魔核である。すでに深い斬撃跡とそれに伴う亀裂が入っている。二度目は絶対に耐えられない。


 刹那、模擬刀の先端が魔核を捉えた。


「グギャアアアアアアアアアアアァァ!」


 汚い断末魔を残して巨大亀の肉体は跡形もなく霧散する。


 ――ごう

 残留する《妖気》を洗い流すかのような強い風が吹いた。

 後には何も残らなかった。禍々しく漂っていた《妖気》も何もかもが綺麗に消え去っている。


 夜の静寂を乱す者はもうどこにもいない。




 ◇◇◇◇◇


「くっ……うぅ……」


 満身創痍まんしんそういの黒陽が膝から崩れ落ちる。

 もう立つ力さえ残されていない。

 胸に左手を当てて荒い呼吸を整える。首だけで背後の暗闇を振り返り、キッと睨みを利かせる。月明りに薄っすら照らされる金髪は闇に同化しきれていない。


「狙い通りという訳か」

「そういうことですわ。遠慮なく頂いていきたいと思います」


 最後まで黒陽が警戒を怠ることのなかったその人物は、満足そうに口角を吊り上げたのだった。

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