第26話 正体を現した殺人鬼

「言葉じゃ伝わらないと思うから。行動で示してあげて」


 あの日、噴水広場ですべてを語り尽くした桜華は、そのようにアドバイスをしてくれた。

 元より、口下手な黒陽のことである。言葉で説得するよりも、自分がどれだけ有能で、群れに尽くすことのできる人材なのか。体を張ってアピールする方が性に合っていた。それは桜華の意図とは少しズレた解釈だったが、黒陽はただ愚直にそれを実行した。


 多彩な魔術で麒翔きしょうを支援できるのだとアピールしたかった。

 自分は群れを第一に考え、主に尽くすことのできる女だと知ってほしかった。

 生まれて初めて感じた「好き」という感情を少しでも伝えたかった。


 ボディタッチを自分から要求するなんて恥ずかしい真似は、公主である彼女にとって、とても勇気のいる決断だったが、どうもそれさえもうまく伝わっていないようだった。


 獣王の森でのサバイバル。三日目を終えての感想は「空回りしている」である。

 うまくアピールできていないことは黒陽にも実感としてあったが、どう改善したら良いのかがわからなかった。彼女は内心で焦っていた。


 そんな時である。

 息を潜めた殺人鬼が笑顔のまま握手を求めて近づいて来たのは。


 黒陽は群れを守るために行動した。

 常にアリスの行動には目を光らせていたし、誰かがアリスと二人きりにならないように常に気を配っていた。桜華には嫉妬していると誤解されていた節があるが、幼少の頃より「嫉妬は群れの足並みを乱す悪」と教え込まれた黒陽は、あの程度のことで嫉妬したりはしない。そして千里眼を使えなかったのは、アリスという脅威が近くにいたため。殺人鬼アレを前に意識を切り離せば、その間に何が起きるかわからない。危険すぎたのだ。


 すべては麒翔きしょうと桜華の安全を守るための行動である。


「最初から気に入らなかった。その目もそうだ。例え朗らかに笑ってはいても、瞳の奥底に灯る殺意を隠しきれていない。殺人鬼特有の光をな!」


 群青色の《剣気》が唸る。

 深く踏み込み、模擬刀の一閃を振り下ろす。

 迷いは一切ない。群れへの脅威は排除するように教育が施されている。

 だが、その必殺の一撃は。


「あらあら。怖いですわ」


 ふわり。

 人間とは思えない跳躍力でアリスの体が後方へ流れる。

 模擬刀の切っ先が虚しく空を斬る。


「口調まで変わっているぞ。このペテン師め」


 返す刀での追撃に、再び夜闇に銀閃ぎんせんきらめいた。

 打ち込んだ模擬刀が強く弾かれ、手にしびれが走る。


「あははは。《剣気》を使えるのは龍人族だけ。あなた方の常識ではそうなんでしょうけれど」


 アリスの右手にはいつの間にか銀のナイフではなく、銀のレイピアが握られている。そしてその銀光する剣身には緑色の《剣気》が薄っすら宿っている。黒陽はその美しい顔を歪める。


錬金術れんきんじゅつか。厄介だな」


 錬金術。それはある特定の物質を全く別の物質へと変換する秘術。

 例えば、大気中の極微小の物質を集めて変換し、銀のレイピアを作り出すことも可能。更にそこへ《剣気》が加われば、その戦力は一気に跳ね上がる。


 見たところ《剣気》の練度自体は、黒陽のものより遥かに劣る。だが、銀と一体となった未熟な《剣気》の総エネルギー量は、黒陽の操る模擬刀のものより上。斬撃の威力は[《気》の練度×武器の品質]で決まるからである。


 アリスがふわりと跳躍する。

 緑の残滓ざんしを夜空に引いて、鋭い突きの連撃が打ち込まれる。


「ぐっ……」


 防戦一方。麒翔きしょうとの決闘が思い出される。

 違いがあるとすれば、黒陽の得物えものが模擬刀なのと、アリスの剣技が思いの外、しっかり積まれた鍛錬たんれんの上に成り立っているところだろうか。

 突き一辺倒なので攻撃を読みやすい反面、突きに特化して進化した剣撃は防ぐのも容易ではない。


「あはははは。その程度なんですか。龍人族の公主様!」


 しなるように打ち込まれた一本の銀閃は、途上で剣身が上方へ跳ね、迎撃に回した模擬刀を巧みに避けて、黒陽の鼻先へ迫る。

 やられる! と黒陽が思った瞬間、人影が割り込んでくるのが視界の端に見えた。


 ――ガキンッ!


 下方から噴火するような模擬刀の一撃が打ち込まれ、レイピアが真上に跳ね返される。即時に劣勢を感じ取ったアリスが後方へふわりと跳んで距離を取る。割り込んできた影。その横顔を認めた黒陽の胸はドキリと跳ねた。


麒翔きしょう!」

「おい、一応確認しとくけどあいつは敵ってことでいいんだよな」

「ああ。私たちの敵だ」

「わかった。るつもりでいく」


 麒翔きしょうの内から凄まじい《剣気》の波動が湧き上がる。その練度は模擬刀というハンデを背負っていてもアリスのものより数段上である。その頼もしい背中に黒陽は見惚れ、一瞬本気で戦闘中であることを忘れかけた。


 麒翔きしょうが地を蹴り、アリスへ突っかける。


「ちょ、ちょっと。なんですのあなた。この《剣気》は異常ですわ」


 津波のように襲い掛かる《剣気》の斬撃をバックステップで躱し、アリスが悲鳴に近い声を上げた。驚くのも無理はない。恋を知らなかった黒陽に一目惚れさせた程の威力がそこには詰まっている。

 打ち合えば、細身のレイピアなど一刀の元に断ち切るだろう。それがわかっているのか、アリスは打ち合わず、回避に徹し逃げ回っている。その進路を読んで挟み込むように回り込み、黒陽も援護の斬撃を浴びせかける。


「!? 二対一とは、恥知らずではなくて!?」

「知らんな。決闘でもなし、殺人鬼に遠慮はいらないだろう」


 敵は速やかに排除する。同情や哀れみは不要。人的被害が出てからでは遅い。

 それが群れを束ねる者の責任。


 麒翔きしょうの攻撃は回避し、黒陽からの攻撃はレイピアで受ける。それがアリスの取った対応であり、それ自体は正しい選択だった。だが、上院も含めた全学年における剣術の一番と二番が繰り出す波状攻撃に、いつまでも防御が間に合うはずもない。追い込まれたアリスは空へ三メートルばかり跳躍した。


「愚かな。自由の効かぬ空へ逃げるとは」


 落下地点を前後に挟むように麒翔きしょうとアイコンタクトで位置を調整する。

 が、自由落下が始まるタイミングで、アリスの体は空中でもう一段跳躍した。

 まるで見えない床を蹴るように空中を走り抜ける。


「逃がすものか! 拘束せよ[闇の鎖の束縛]」


 空中に異次元空間へ繋がる黒い穴のような影が浮かび上がる。二次元の陰影から無数の黒い鎖が射出された。一直線にアリスへ迫る。


「ああ、もう! 小賢しいですわ。の者を遠ざけよ[重力制御]」


 アリスは不可視の重力場を展開。勢い良く射出された鎖たちは、見えない壁に阻まれて失速。その効力を失って鎖は空中で消えた。が、


「下ばかり見てんなよ。頭上がお留守だぜ」

「――――――――っ!?」


 龍人の跳躍力は垂直跳びで十メートルを軽く超える。

 夜空いっぱいに跳躍した麒翔きしょうが上空から叩きつけるように模擬刀を振るった。


「我を守る盾となれ[魔法障壁バリア]」


 魔法障壁バリアが五重に連なって展開される。

 その全てを瓦割かわらわりのようにぶち破る。アリスは威力の落ちたその斬撃に辛うじてレイピアによる防御を挟み込む。


 大気を震わせる凄まじい衝撃。

 アリスの小さな体が地面へ激しく叩きつけられる。

 立ち上がるのを待ったりはしない。黒陽は猛然もうぜんと追撃を入れる。

 が、どこにそんな力があるのか、アリスは地面へついた両手をバネに上体を起こすと、レイピアを構えて迎撃態勢を取る。


 ニヤリ、と黒陽は笑んだ。


 無詠唱むえいしょう――脳内に構築する魔術式を複雑化することで、口頭での詠唱を省略することが可能――による魔術を発動。アリスの足元に直径二メートルほどの陰影が出現。ぽっかり空いた穴のような黒から何本もの漆黒の鎖が射出される。蛇のようにうねり、不規則な軌道を描いたそれはアリスの手足に巻き付き、完全に拘束する。


「終わりだ。己の罪を悔いて死ね」


 真横に振るった斬撃がアリスの胴を横一文字に両断する。更にそこへ空中から着地、麒翔きしょうが脳天へ模擬刀を振り落とした。アリスの体は十字に切断される。


「ぎゃあああああああああああああああああああ」


 みにく断末魔だんまつまを残してアリスの体が黒い霧となりその場で爆散した。


「やったのか?」


 手応えに違和感を覚え、黒陽がぽつりとこぼす。

 戦闘に未参加だった桜華は、複雑な表情でアリスの消えた跡を見つめている。

 首の骨をゴキリと鳴らし、麒翔きしょうが応じる。


「いや、流石にアレは死ぬだろ。っつっても、人間じゃねえなありゃ」

「だが――」


 最初の一撃。アリスを確実に捉えていた斬撃が不発に終わったことが気掛かりだった。あの時も手応えはなかった。見間違えでなければ、切断面には黒い何かが帯同していた。丁度今、アリスが爆散した際の黒い霧のようなものが。

 その疑問を黒陽が口にしようとすると、麒翔きしょうがシッと人差し指を立てるジェスチャーをした。考え事をしていたので今まで気付かなかったが。


「これは――」


 地面に微細な振動を感知。揺れはだんだん大きくなっていき、そして一拍いっぱく遅れて「ゴゴゴ」という地鳴りが耳に届く。地震と呼べるほど大きな揺れではない。が、地鳴りの大きさがその振動に見合っていない。


「――なんだ」


 振動と地鳴りがどんどん大きくなっていく。黒陽は嫌な予感がした。腰を低くし、臨戦態勢を取る。何かが近づいて来る。


「おい、なんかやべえぞ。気を付けろ」


 麒翔きしょうが警告を発すると同時、何かが空から飛来した。


 ――ドスンッ!


 野営地から少し離れた位置に縦に突き刺さったそれは、根に近い腹の部分からへし折られた樹木だった。墓標のように突き刺さったそれを前に桜華が動揺を見せる。首を左右。周囲を忙しなく見回しながら、


「え? え? なになになになに!?」


 彼女が混乱するのも無理はない。黒陽にも状況がわからない。


 実はアリスが生きていてどこかから攻撃をしてきた?

 あるいは、魔獣による攻撃か?

 しかしそれにしては、狙いは大分逸れている。適当に放り投げたという印象のほうが強い。


 千里眼を使用することも可能だが、この状況で使用するのは大変な危険が伴う。あれは視点と意識を切り離し、上空から見下ろす神の視点を作り上げる術式のため、術の起動中は完全無防備となってしまう。

 と、


 ――バキッバキッバキッバキン。ゴリン、ガリガリガリガリ。


 音の質が変わった。まるで障害物となる木々や岩をぎ倒し、強引に突き進んでいるような。それも大質量の物体が。


麒翔きしょう! 桜華を頼む。私が対応する」

「わかった」

「え? ちょ、わっ!?」


 麒翔きしょうは迷うことなく真っすぐに桜華へ突進、その小さな体を抱きあげた。同時、前方の森が弾け飛んだ。まさに文字通り、木々が爆発するように吹き飛んだのである。大小様々な木々の破片が襲い掛かる。

 黒陽は大きく跳躍していた。龍人の跳躍力は女性でも優に十メートルを超える。その足元を巨大な木々の暴力が通り過ぎる。

 空中。

 まだ真新しい土煙を上げるそこへ黒陽はてのひらで狙いを定め吐息ブレス放った。


「消え失せろ。呪蝕ジュショク!」


 掌から射出された闇の波動が一直線に土煙の中へ突入する。だが――


「――――っ!?」


 黒陽の撃ち込んだ吐息ブレスの射角とは別の角度で闇の波動が跳ね返され、夜空の星の海へ吸い込まれるように消えた。


「馬鹿な。跳ね返しただと。ならばこれで[残虐の断頭台]」


 中空に巨大なギロチンの刃が出現する。大質量の鉄の刃が自由落下を開始。土煙の中への落下と、黒陽の着地はほぼ同時だった。数瞬すうしゅん遅れて、桜華を抱いた麒翔きしょうも着地。直後、


 ――ギギギギギィ、ガギン!


 金属音の擦れ合う不愉快な音が夜の森に響いた。確実に直撃している。だが、黒陽が気を緩めることはなかった。手応えを感じなかったし、魔術を破られた感触があったためだ。


 土煙が晴れていく。月光を受けて七光りする鋭角なフォルム――その全体像が次第に明らかとなっていく。六角形の鏡面が角度をつけて繋ぎ合わさり、横に広い楕円状の半球を作り出している。半球からは平べったい手足が愚鈍に伸び、半球の中央部からは鱗に覆われた頭部が突き出ている。その形状を目の当たりにした誰かがもっともな疑問を口にした。


「なんで亀が森に?」

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