第25話 悪役を演じる公主様

「きゃああああああああああああ」


 アリスが悲鳴を上げて前屈みに身体からだを倒す。両手で顔を覆うようにして恐怖に肩を震わせている。

 得意げな顔で公主様が「どうだ」と言わんばかりに視線を寄越した。言いたいことはわかる。麒翔きしょうも同じことを感じたから。


 模擬刀に宿った《剣気》を避けるように体を倒した――ように見えたのである。


 確かにそうは見えた。見えたのだがしかし、普通に考えて、模擬刀の切っ先を突き付けられた上で「首をねる」などと脅されては、このような反応になるのは至って自然なこと。むしろ異常なのは公主様の方だと断言できる。

 そもそも仮に《剣気》が見えたとして、このような暴挙に及ぶ必要性がどこにある。激動げきどうする情勢について行くことができず、麒翔きしょうは頭を抱えたくなる。


「陽ちゃん。少し落ち着こ。そんなことしても解決にならないよ」


 アリスの隣。亀のように背中を丸めたアリスを気遣うように桜華が言った。その茶色の瞳は困惑に揺れている。街道へ向かう道中、アリスと一番多くの会話を交わしたのは彼女である。

 しかし、そんな桜華の声すらも届かなかったのか、公主様がゆるりと首を振る。


「今、ここで解決する必要がある。これ以上、先延ばしにはできない」

「先延ばしにできないって……そんなことしたら余計に話がこじれちゃうよ」


 おそらく桜華はこの暴挙を嫉妬によるものだと考えているのだろう。だが、公主様の態度は明らかに嫉妬に狂う女のそれではない。むしろ冷静で落ち着いており、超然ちょうぜんと構えるその姿は普段の才色兼備な公主様そのものである。


 だから、なおさらに混乱する。彼女の意図がどこにあるのか、その真意を測りかねて麒翔きしょうは口を開けない。


「どうして意地悪するんですか。私があなたに何かしましたか!?」


 両手で顔を覆ったまま、アリスが悲鳴のような叫び声を上げた。

 対して、公主様はその美しい顔に薄っすら笑みを浮かべて、


「いいや。何もさせるつもりはない」

「意味がわかりません! 嫉妬ですか? 私が麒翔きしょうくんに近づいたから?」

「違うな。最初から気に喰わなかった」

「そんな……ひどい! あなたも人間を差別する一人なんですね」


 ズキリ、と麒翔きしょうの胸が痛んだ。

 嫉妬ではないのだとしたら。

 やっぱりそうなのか? 諦めにも近い感情が一瞬だけ浮かんだ。

 が、次の公主様の一言で現実へ引き戻される。


「では問おう。おまえが採ってきたそのキノコの山。毒キノコが多く混ざっているようだが、私たちを毒殺でもするつもりか?」


 龍人を毒殺することは不可能である。

 だから毒キノコが混じっていても問題はない。

 つまり、公主様が問題としているのはそこではない。


「え……毒? あ……いえ、これは……毒キノコとは知らなくて」


 狼狽ろうばいを見せるアリスを目の当たりにして、麒翔きしょうの中で何かがカチリと繋がった。それは先ほど感じた違和感、その正体である。毒キノコを食べても問題がない。そこに心理的な死角があったのだ。

 その奥底に隠された見えない悪意を感じ取り、麒翔きしょうは人知れず戦慄せんりつする。


「いや、それはおかしい。アリスさん。君は言ったよね。猛毒のトロピカルテングタケを見て喜ぶ桜華に『おいしいですよ』って。トロピカルテングタケを知らなかったのなら、どうしておいしいだなんて言えたんだい」


 龍人は毒を調味料と同じ感覚で楽しむことができる。しかし、人間は違う。毒に対する味覚など存在しないし、猛毒を食せば一口で絶命するはずである。そんな人間であるアリスが故意に毒キノコを採取するのは不自然であるし、毒キノコと知らずに誤って採ったというのならば、「おいしいですよ」などという言葉が出てくるはずもない。それが違和感の正体だったのだ。


 笑顔の裏で殺意を燃やしていたというのだろうか。

 あるいは――


「君は知っていたんじゃないか。俺たちが毒キノコを食べられると。だから、おいしいと言った。でもそれだとどうしても解せないんだ。人間である君はトロピカルテングタケを食べることができない。鍋に入れれば君は食事を取れなくなってしまうはずだ。それに毒キノコだと知らなかったなんて嘘をつく必要もない」


 うつむき両手に顔を埋めたまま、アリスは涙声で答える。


「ごめんなさい。首を刎ねるだなんて言われたもので動揺して嘘をついてしまいました。本当は知っていたんです。龍人の方が毒を好む種族だって。私は戦うことのできないお荷物ですから、みなさんに栄養をつけて貰いたくて……」


 筋は通っているように感じた。そこで麒翔きしょうは一つ質問を投げかける。


「毒を好む種族だっていうのは、どこで聞いたんだい」

「アルガントです」


 その即答に麒翔きしょうは唸る。

 龍人が毒を好むというのは龍人族の領土では常識である。


 他種族の営む飲食店でさえ、龍人用の猛毒料理が用意されているぐらいその認識は普及している。ただし、他種族の国となると話は別である。毒料理をメニューに加える危険性を考えれば当然で、誤食による死人を出さないためにも、毒料理を提供する店など存在しない。

 そのため、龍人は毒を好むという常識は、龍人の領土を離れれば離れるほど知る者が少なくなっていく。


 もしもアリスが西端に位置する故郷・ウエスポートで聞いたと答えれば、彼女は嘘をついていると断じることができた。だが結果は「アルガント」だった。アルガントはここから目と鼻の先――龍人族の領土と隣接する都市なので、龍人の好みを知る人間もそれなりにいる。旅の道中、アルガントに滞在したアリスがその話を聞いていても不自然ではない。


 麒翔きしょうは判断に迷った。

 アリスを信じるべきか疑うべきか。

 能天気な桜華は迷うことなく前者を選択。


「みんな考えすぎだよ。せっかくの好意を悪意に受け取っちゃ可哀そうでしょ」

麒翔きしょうくんまで疑っているんですか。私のこと」


 心底悲しそうに震える涙声がそう言った。

 麒翔きしょうは罪悪感に顔をしかめる。確かに確証は何もない。全ては推測の域を出ず、桜華の言う通り冤罪えんざいだったとしたら、取り返しのつかない事態となる。

 そして何より、自分のことを好きだと言ってくれたアリスの好意を疑いたくないという気持ちが強く働いた。


「なぁ黒陽。もういいんじゃないか。俺たちにとってそれは些細な問題だ。そんなんじゃ死人どころか怪我人だって出やしない。不確定な疑心を育てるより、確実な信頼関係を築き上げる方が有意義だと思うんだ」


 桜華は何度も頷き同意の姿勢。アリスは顔を覆ったまま泣いている。

 ただ一人、我が道をゆく公主様は静かに笑むだけ。


「最初からその女が気に入らなかった。怯えて隠れていたというその女の事がな」

「それは無茶だろ。何の力も持たない商人の娘が森の中に一人。怯えて当然だ」

「違うな。その女は商人の娘などではない」


 麒翔きしょうだけでなく桜華までもが一緒に驚きの声を上げた。


「ちょっと待て。どうしてその結論に至ったのかは知らないが、アリスさんは間違いなく商人の娘だろ。忘れたのか、馬車の中にあった写真。少し幼かったけど、あそこに映っていたのは間違いなくアリスさんだった」


 アリスの頭上に油断なく置かれた模擬刀に群青色の《剣気》が再び宿り、ボワッと燃え上がるように唸る。


「思い出してくれ。その女は昨夜、なんと言っていた。どこへ行く途中、魔獣に襲われたと言っていた?」


 ――私たちはラクレの街へ向かう途中、森へと迷い込み魔獣に襲われました。


「そしてもう一つ思い出してほしい。馬車に積まれた荷を。そしてラクレの特産品が何であったのかを」


 横転して打ち捨てられた帆馬車。

 荷台にはベルトでしっかり固定された木箱がたくさん積まれていた。

 木箱の中には絹織物と陶器の類が入っていた。

 横転の衝撃からか陶器にはひびが入っていて、それを見た公主様は「見事な青白磁せいはくじが台無しだな」と小声で呟いていた。


 獣王の森への道中。馬車内での会話を思い出す。

 龍聖・羅呉らくれの話が出た時に、ラクレの街の話にも少し触れた。その時の会話で、


「ねえ、ラクレの特産品ってなんなの?」との桜華の問いに、


絹織物きぬおりもの青白磁せいはくじの陶器だな。もっとも絹織物は東方の都市ならどこででも生産されているから、ラクレでしか手に入らない特産品という意味では、青白磁の陶器ということになるか」


 と、公主様は答えたのではなかったか。


「そういうことか!」


 麒翔きしょうは唸った。信じられないという気持ちで言葉を絞り出す。


「あの帆馬車はラクレで特産品を手に入れた帰りだった」


 満足気に公主様が頷く。出来の良い生徒を褒めるように微笑みながら、


「だが、その女はラクレへ行く途中だと言った。明らかに矛盾している」

「本当に商人の娘ならそんな間違いはありえないってことだな。しかしなんでそんなボロが出るような嘘をついたんだ」


 その疑問に対し「単純に誤認したのだろう」と公主様は言った。


 獣王の森の南北には街道が通っている。北の街道はアルガントとラクレを結び、南の街道は南方の国々へと続いている。通常、西方の商人たちは北の街道を通ってラクレへ向かい、特産品を手に入れた後に、南の街道を通って南方へ新たな特産品を求めて旅を続ける。つまり、


「その女は馬車が北の街道から迷い込んだことを知っていたのだ。だから『北の街道を通る=ラクレへ行く途中』と勘違いしてしまった。実際は何かしらの理由により引き返す途上であったにも関わらずな」


「…………」


 シーンと場が静まり返る。ずっと泣いていたアリスの嗚咽おえつはいつの間にか止んでいた。本人の弁明すら返ってこない。そんな中、桜華だけが彼女の肩を持つ。


「でも! 写真はどう説明するの? あれは間違いなくアリスちゃんだったよ」


「喰った人間の姿を真似る魔物が存在するという。その類かもしれない。あるいは魔術による変装か、もしくはあの写真自体がこの女の用意したフェイクだという可能性もある。いずれにせよ、この女は危険だ」


「でも! でも!」


 桜華は涙をいっぱいに溜めて必死に擁護しようとする。なんてお人好しなのか。その底抜けに能天気で優しいところが彼女の最大の長所でもある。だけど今は、その優しさはただただ空回りするだけで。

 駄々をこねる子供を納得させるように公主様は説明を続ける。


「馬車の周りには大量の血痕が残されていた。その出血量からして明らかに致命傷であるにも関わらず、周囲には死体の一つも残されていなかった。最初は魔獣が巣に持ち帰ったのかと思った。しかし、馬の死体は臓腑ぞうふを食い千切られてはいたものの、その場に残されたままだった」


 つまり、この森の魔獣に獲物を持ち帰るという習性はない。


「ならば誰が死体を持ち去った?」


 場の空気が一層重たくなった気がした。緊張の汗が額をつたう。

 公主様が続ける。


「では仮に、瀕死の重傷を負っただけ。その時点ではまだ死んでいなかったとしよう。だがその場合は、馬車で手当てをするのが普通だ。わざわざ瀕死の仲間を引きずって遠くへ逃げたりはしないだろう」


 もしも馬車で手当てをしたのなら、荷台内部に血痕が残されていたはずだし、何より荷台の樽に隠れていたアリスはその事を知っていたはずである。しかし、彼女は隠れているように言われて隠れていたとしか証言しなかった。


「しかし、万が一ということもある。では、瀕死の仲間を引きずって遠くへ逃げた可能性について考えてみるとしよう。思い出してくれ。血痕の続く先、瀕死の仲間を引きずって行った先には何があった?」


 桜華が喘ぐように息を継ぐ。もう彼女もわかっているのだ。辿り着く最悪の結末。そのシナリオがどこへ向かっているのかを。


「食人植物。商人とその護衛は全員あいつに喰われて死亡した。血痕が途切れていたのと遺留品がその証拠。だが、なぜ獣王の森に魔物が存在する? 自然に自生したと考えるにはあまりにも都合が良すぎないか? まるで邪魔な死体を処分するため、そこへ生み出されたかのようではないか」


 瀕死の仲間を引きずって行くのは不自然だ。だが視点を変え、すでに死体であったとしたらどうだろう。そして引きずっている者は仲間などではなく、悪意のある殺人鬼だったとしたら。そう考えれば、全ての辻褄つじつまは合う。


「最初からその女が気に入らなかった。怯えて隠れていたというその女は、桜華に見つかることがなければずっと隠れたままだったろう。では誰にも見つからないまま潜伏できたとして、その先はどうするつもりだった? 私たちが夜寝静まった後、何をするつもりだった? 偽りを並び立て身分を偽装したのは、悪意があったからではないのか?」


 何事かを反論しようと試みた桜華であったが「あう」と言葉に詰まり、隣のアリスへ困ったように視線を向ける。つられて麒翔きしょうの視線も――


 ぞくりと背筋に寒気が走った。


 アリスは笑っていた。

 両手の指の隙間から、三日月に笑んだ口角が覗いている。

 ビクッと反射的に桜華が身を引いた。

 高笑いが夜の森に響いた。


 銀閃ぎんせんが夜空にきらめく。

 アリスの手には銀のナイフが握られていた。

 狙いは模擬刀を持つ公主様の右手首。前傾に屈んだ体勢からアリスは振り向きざまに最短距離で右手首の静脈を切りつける。が、公主様は半歩引いてこれを回避。その隙にアリスが距離を取ろうと後方へ跳躍。すぐさま切り返し、公主様の模擬刀がアリスの胴を横一文字に両断する。


 ――斬っ!


「あはは。流石ですわね。でも残念でした」


 両断した胴体は倒れることなくその場に立ち尽くしている。その切断面は夜闇に馴染むようにぼんやりとくすんでいる。出血はしていない。代わりに黒い霧が切断面の周囲を帯同たいどうするように漂っている。


「もう少し早く行動を起こしていれば、今のでチェックメイトでしたのに」


 口角を吊り上げアリスが邪悪に笑むと、切断面に黒い霧が収束し、次の瞬間には彼女の二つに分かたれた体は、切り裂かれた衣服ごと復活していた。


「ここからはわたくしの時間ですわ」

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