第24話 綻び

 獣王の森は東西に広がっており、その南北を街道が通っている。


 魔獣が森から出ることは滅多にないため、街道まで出れば安全が確保できる。アリスを安全に護送するためには、最短距離で街道を目指す必要があった。


 麒翔きしょうたちの現在地からすると、近いのは北の街道だったので、ひとまず北上することにした。だが、体力のないアリスを護衛しているということもあり、思うように進むことが出来ていない。この調子では街道まであと何日かかるのか見当もつかない。


 息切れし、苦しそうに胸を押さえるアリスが心配になり、麒翔きしょうは歩みを止めた。


「よし、一旦休憩しよう」


 この調子では、一週間以内に戻るという風曄ふうか教諭との約束を果たせるかも怪しくなってきた。龍人は舗装されていない険しい道であっても、早足で歩き続けることができる。麒翔きしょうたちは二日で辿り着いた距離だが、人間の足ではその倍以上かかるだろう。現在四日目、あと三日。厳しそうである。


 アリスに聞こえないように公主様へそっと耳打ちする。


「なかなか進めなくて不満かもしれないが今は我慢してくれよ」

「別にそれは構わない」


 公主様は油断のない鋭い視線を桜華と談笑するアリスへ向けながら言った。全然、構わないという雰囲気ではない。先刻、桜華と三人の時は和やかなムードだったというのに、アリスが合流した途端、この状態に逆戻りしていた。


「そうは見えないぞ。黒陽おまえさ――」


 言いかけて口をつぐんだ。嫉妬してるんだろ、なんて公主様に向かって言えるはずがない。だが、どうにかしないとまずいのもまた事実であり。


 ――抱きしめてキスで黙らせる。

 桜華の妄言が頭を過った。

 しかし、そのような不遜ふそんな真似をできるはずがない。そもそも龍人にとって接吻せっぷんは特別な意味を持っている。そう気安くしてはならないのだ。


 そこで妥協案として、公主様の頭を撫でてみることにした。が、


「なぜ頭を撫でている。私は犬ではないぞ」


 などと怒られた。いやいや、さっきは喜んでただろ!? とツッコミたくなる気持ちを我慢して、麒翔きしょうは理不尽の叫びをかみ殺す。

 どう見ても機嫌がMAXに悪い。麒翔きしょうと目を合わせようともせず、公主様はそっぽを向いている。このような態度は、まだ親しくもなかった頃から数えても、初めてである。少しむっとして、


「こっち向けよ」


 公主様の両肩を掴んで振り向かせる。彼女は少し困惑気味に、


「何をする。私は今忙しい」

「嘘つけ。今は休憩中だ」


 吸い込まれてしまいそうなほど深い漆黒の瞳へ、飛び込むつもりで正面から真っ直ぐ見据える。公主様はやっと麒翔きしょうの顔を見た。太陽光を反射する漆黒の瞳がギラリと光った。


「何か勘違いをしていないか?」

「勘違い……?」


 そもそも自分に嫉妬などしていないのだとしたら。

 途端に自信がなくなり、顔面が発火する。

 早合点の勇み足ほど恥ずかしいものはない。


 その時、天から救いの手が差し伸べられた。


「この子モッフモフだね!」

「わぁ、可愛いですね」


 桜華とアリスから歓声があがり、視線を向けると屈んだ彼女たちの目の前に、一匹の白いモフモフがいた。短い手足に長い耳。蹴鞠けまりサイズの兎が人懐っこそうに鼻先をピクピク動かしている。


 撫でようと思ったのだろう。腕まくりした桜華が手を差し出したところで――


「え!?」

「きゃあああ!?」


 突如として兎が巨大化した。体積が一瞬にして二倍以上に膨れ上がる。そして可愛らしくピスピス動いていた口は貪欲に開かれ、サメの歯みたいに鋭い無数の牙がその内側から覗く。一メートルを超える巨体に成長した兎は、ぴょんと跳躍――桜華へ襲い掛かった。麒翔きしょうは即座に行動に移ったが、それよりも早いのは魔術による遠距離攻撃。公主様の一撃だった。


 地面から突き出た黒い槍が兎の胸部を貫き絶命させる。


「びっくりしたぁ」

「まだだ。囲まれているぞ」


 腰を抜かした桜華が涙目でこぼすと、公主様が鋭く警告を発した。

 草陰から同種の兎が姿を現す。四方を囲まれており、その数は――


「十……二十……三十……ちっ、数えるのも面倒だな。三十以上だ、こいつは厄介だな。面倒なことになった」


 舌打ちし、麒翔きしょうは吐き捨てるように言った。


 倒すだけなら、さほど苦労はしないだろう。昨日も三十を超える魔獣に囲まれ無傷で勝利することができた。だが、今日はアリスという非戦闘員。護衛対象がいる。彼女を無傷でとなると少々厄介だ。


 桜華が身を盾にしてアリスをその背に庇う。麒翔きしょうもその反対側へ回り込み、前後を固める。が、公主様がその場から動こうとしない。


「何やってんだ黒陽。陣形を組むぞ」

「いいや、昨日とは状況が違う。乱戦は避けたほうがいい」

「そりゃ避けられるならそれに越したことはないが。でもどうやって」

「本気で行かせてもらう」


 モコモコの兎たちがじりじりと距離を詰めて来る。それは傍から見れば緊張感のないコミカルな絵面であるが、直面している本人たちからしたら紛れもない危機的状況である。


 公主様はその身を差し出すように兎たちの前へ立った。


「服従するのなら見逃してやる。だが、あくまで敵対するというのなら――」


 兎たちが一斉に巨大化。そして跳躍、襲い掛かってきた。

 周囲の空間が白いモフモフ一色で染まる。


「愚かな選択だ。拘束せよ[黒い鎖の束縛]」


 大きくなった兎たちの影を飲み込むように地面に丸い陰影が浮かび上がる。一匹につき一つの陰影。それは黒い穴のようにも見え、兎の巣のようでもあった。そして黒い穴からは無数の黒い鎖が射出された。三十を超える黒い穴から放たれる鎖の数は優に数百を超えている。蛇のようにのたうち不規則に動き回る鎖たちは、次々と兎を捕まえ、拘束していく。


 一匹、また一匹と。地面へ引きずり込むように鎖が沈んでいき、けれど兎自体は地面へ入っていかない。結果、地面に縫い合わせるような形で拘束されていく。強制的に平伏される形となった兎たちは苦しそうに呻きを上げた。


 と、呻いたのは兎だけではなかった。


「嘘だろ!? 魔術の複数同時起動……それも三十以上を同時に」


 魔術に明るくない麒翔きしょうでさえ、それがどれだけ規格外な離れ業なのかは理解できる。


 魔術を起動するためには、まず脳の表層意識上に魔術式を構築する必要がある。そしてその際、魔術の起動情報を綿密に設定する必要があり、その設定は精密にして繊細せんさいなものとなる。複数同時起動とはこれらの作業を同時に並列で行うことを意味しており、大変高度な技術となっている上、脳へかかる負担も大きい。加えて、魔術使用時に体へ負荷がかかるのだが、これも倍増することになる。


 それを三十以上も同時に起動するというのは、常識では考えられない作業量が必要であり、それは魔術を知識としてしか知らない麒翔きしょうをして、震撼させるほどの非常識だった。なにせ、下院のトップで二重起動が限界なのだ。


 捕えたそれは殺人兎と呼ばれる魔獣である。

 麒翔きしょうにその知識はないが《妖気》を放っていることから魔獣だということはわかる。そのまま始末して何ら不都合はないのだが、公主様はそうしなかった。黒い鎖の拘束力が緩んでいく。


「二度は言わん。去れ」


 冷徹な漆黒の瞳に見下ろされ、兎たちがビクッと身を震わせる。その内の一匹がしゅるしゅると音を立てて小さくなったのを皮切りに、兎たちは次から次へと巨大化を解除。小さくなっていく。その中にいたリーダー格と思しき角の生えた兎が「ぎゅううう!」と号令を発すと、兎たちは一匹、また一匹と森の中へ散っていった。


「魔獣に情けをかけるなんて意外と優しいんだな」


 危機が去り、緊張の解けた麒翔きしょうが声をかけるのと同時、公主様の体がガクンと肩から崩れそうになる。ぎりぎりのところでその小さな肩を抱きとめた。


「おい、大丈夫か」

「ああ。少し無理をしすぎたようだ」




 ◇◇◇◇◇


 背の高い木々。空を覆い尽くすように走る緑の枝葉。

 森での日照時間は驚くほど短い。


 夕暮れは早く、四日目の夜がやってきた。

 四日目ともなると流石に慣れたもので、野営の準備がテキパキと進められていく。麒翔きしょうは焚火の準備と丸太テーブルの作成。他の三人は食材探しに出かけた。単独行動は危険なので、バラバラではなく固まって行動している。


 とはいえ、昼間倒した鬼大熊おにおおぐまの肉が大量に残っているので、山菜やキノコの類を近場で探すことになるだろう。麒翔きしょうが丸太テーブルと丸太の椅子を人数分作り終えたところで、アリスが駆け寄ってきてカゴいっぱいのキノコを見せた。


「ほら見てください」

「すごいな。こんなに採れたのか」


 カゴには色々な種類のキノコが並んでいる。よくぞ短時間でこれほど採れたものである。麒翔きしょうが感心していると、桜華が横合いから首を突っ込んできた。


「わぁ! トロピカルテングタケもある」

「ええ。おいしいですよ」


 嬉々とした表情を浮かべる桜華に対して、アリスは満面の笑みで答えた。

 そこで麒翔きしょうは「ん?」と違和感を覚えた。

 女子二人はそんな麒翔きしょうに構うことなく食材の整理へと入っていく。


「なんだ? 今、何か頭に引っ掛かったような」

「自分の直感を信じるべきだと思うか?」


 背後から公主様の声がした。甘い吐息といきが耳にかけられる。そこから公主様の行動は早かった。大きく跳躍し、仲良く丸太の椅子に腰かけて食材の整理に励んでいた桜華とアリスの背後へ立つと、模擬刀を引き抜き、その切っ先をアリスの首筋へ向ける。


「動くな。動けば首をねる」

「ちょっと待て」


 とっさに腰を浮かしかけたところを鋭い静止の声が阻む。


麒翔きしょう、あなたもだ! あと一歩でも動けば、この者の命はない!」

「無茶苦茶言うな! それじゃあ完全に悪役のセリフじゃねえか!」


 精一杯の怒声を込めて叫んだつもりだった。しかし、殺気に近しいその怒気を受けても、公主様は顔色一つ変えずに悠然と言い放つ。


「言い得て妙だな。そうだ。私はあなたの為なら悪役を演じることさえいとわない」


 そして模擬刀の切っ先に群青色の《剣気》が宿ったのだった。

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