第23話 公主様? 嫉妬してるんですか?

 森を進む陣形は前衛に麒翔きしょう。中衛にアリスの護衛で桜華を置き、後衛を万能な公主様が務める。


 パーティは縦一列。例の黒土の道に沿って歩いている。


 お人好しの桜華は、父親を失って悲観に暮れるアリスを放っておけないようで、肩を抱くようにして慰めていた。しばらく二人だけのやり取りが続き、


「ありがとうございます。少し楽になりました」


 ぐすっと鼻をすすり上げてアリスが涙声で言った。

 二人の会話を背中で聞きながら、麒翔きしょうは人知れず吐息といきする。


(桜華がいて良かった。俺じゃ何て言って慰めたら良いかわからないしな)


「ウエスポートだっけ? 故郷にはお母さんがいるんでしょ?」

「はい。アルガントまで行って手紙を出せば、迎えに来てくれると思います」


 周囲へ油断なく気を配りながら、麒翔きしょうも話に混ざる。


「俺もさ。生まれる前に父さんは死んじゃって。だから母子家庭なんだ。父親を失う悲しみはわからないけど……でも、母さんがいるから寂しいって思ったことはないよ。だからアリスさんもきっと立ち直れると思う」


「はい」


 背後からアリスが小さく頷く気配。桜華が気遣うように明るい声を出した。


「はいっ! じゃあ、暗い話はここでお終い! 楽しい話しよー」

「出た。桜華のお気楽適当トーク」

「そのお気楽適当トークに助けられたことがあるのは誰だったかなー?」

「はい、俺です」

「素直でよろしい」


 くすっと笑うアリスの声が耳に届く。もう大丈夫そうだな、と麒翔きしょうは胸をなでおろす。


「ウエスポートって商人の街なんだよねー?」

「はい。商人たちが作った国、大キャラバン共和国の首都です」

「どんな街なのかな」

「その名の通り商人の街ですね。住民の七割が商人ですから街中至るところに露店がひしめいています」

「需要と供給? それって売る人の方が多いような?」

「お客様は主に観光客や他国から買い付けに来た商人、珍しい品を求める貴族の方などですから問題はありません。海路と陸路の両方から世界各地の特産品が集まるので、品揃えは世界一なんですよ」


 桜華が「ほへー」と間の抜けた声を出す。


「そうだったんだ。実はわたしも小さい頃にウエスポートに行ったことがあるんだけど、街がカラフルだったなーって印象しか残ってなくて」

「カラフルなのは、少しでも自分の店を目立たせようと、看板やのぼり旗を派手に装飾するからですね」

「商魂たくましいですなー」

「ええ、それが商人というものですから。ところでウエスポートに滞在したことがあるのなら、これ知ってますか」


 タメを作るように一拍置いてからアリスの低い声が響いた。


「エレシア・イクノーシスには気を付けろ」

「え? エクレア? お菓子?」

「いえ、エレシアです。ウエスポートに伝わる都市伝説の類ですね」

「なになになにそれ! すごく気になる!」


 元来、噂話の類が大好きな桜華は見事に食いついた。振り返らなくても長い付き合いの麒翔きしょうにはわかる。三度の飯より噂話が好き。大きな目は輝きに満ちているに違いない。


「昔、ウエスポートには殺人鬼がいたそうなんです」

「商人の街なのに物騒だね! それでそれで?」

「ある時期から行方不明者が続出するようになったらしいんですよ。捜索隊を出して大掛かりな捜索も行われた。だけど、誰一人見つかることがなかったんです」

「ええーどこに消えちゃったの」

「それがわからないんです。犯人はかなり狡猾こうかつな人間だった」


 おや? と思って麒翔きしょうは首を捻った。


「ある日、誰かが言い出したんです。この街には殺人鬼が潜んでいる。皆、残虐な人体実験の犠牲になったのだと。そしてその誰かが言ったそうです『エレシア・イクノーシスには気を付けろ』と」


「行方不明者。人体実験。うーん、似たような話を聞いたことあるかも」


 耳の肥えた桜華は作り話と断じたようだ。

 それは麒翔きしょうとて同じだったが、しかし、実話が元になっている可能性もある。先ほど感じた疑問も合わせて、少し想像を膨らませて考えてみる。


「なぁ。死体が見つかっていない以上、殺人と断定できるのはおかしくないか」


「はい。そこがこの話の肝です」


 アリスがどこか嬉しそうに応じた。


 行方不明者は誰一人として見つからなかった。それはつまり、誰の遺体も見つからなかったということ。ならばなぜ、その誰かさんは殺人鬼の仕業だとわかったのか。


「やっぱりそうか。その言い出した人物が犯人なんだな」

「正解です。誰も知らないはずの情報を知っていた。だから犯人なんです」


 余裕ぶっていた桜華からぶるると震える気配が伝わってきた。




 ◇◇◇◇◇


 ――鬼大熊おにおおぐま


 それは獣王の森における生態ピラミッドの頂点に君臨する魔獣である。

 直立すれば十メートルを超える大熊で、巨木のような腕の先には、刀剣のように研ぎ澄まされた爪が付いている。その横薙よこなぎの一撃は易々と巨木を両断するほどで、一振りで二本三本という木々が無造作に両断され倒される。


「うおっ!? すげえ力だな」


 その横薙ぎの一撃を模擬刀で受け、麒翔きしょうが驚きの声を上げた。

 真っ向から鬼大熊の一撃を受け止めながら、力比べと言わんばかりに強引に押し返していく。ギリギリと《剣気》をまとった模擬刀と鬼大熊の鋭い爪先がしのぎを削る。恐らく正面から麒翔きしょうの《剣気》を受け止められる魔獣は、この森では鬼大熊こいつぐらいなものだろう。麒翔きしょうは敬意を払うつもりで《剣気》の出力を上げ、その爪ごと鬼大熊の右腕を斬り落とした。


「グオオオオオオオオ」


 二本の足で直立し、鬼大熊が咆哮ほうこうを上げる。

 残った左腕が上空から叩きつけるように振り下ろされる。これを麒翔きしょうは軽くステップで避けると、地面へ突き刺さった腕を駆け登って、鬼大熊の首に狙いを定めてそのままね飛ばした。制御を失った巨体が前のめりに地面へ倒れ伏し、周囲の草花を震わせる。


「今日の昼飯は熊料理ってとこだな」


 紫炎の《剣気》を散らし、模擬刀を腰に収めると距離を取って見学していたアリスが駆け寄って来た。


「すごいです! あんなに大きな熊をあっさりと」

「龍人の男ならこれぐらい普通さ」

「そんなことないですよ!」

「そうかな」

「そうですよ!」


 目を輝かせ羨望せんぼうの眼差しを送られる。

 同じことを龍人女子に言われていたら、きっと麒翔きしょうは閉口していただろう。しかし、アリスは人間の女の子だったので素直に受け取ることができた。


 昼食の準備に入るため、手頃な樹木を切り倒し、昨夜同様の手順で丸太テーブルを作り出す。高密度の筋肉を持つ龍人にとってそれは大した労力ではない。細かな力加減は《気》の強弱によって可能であるし、切り倒した丸太も、一人で易々と持ち上げることができる。

 桜華の用意した焚火の傍に丸太テーブルを持って行くと、水平に加工したテーブル部分を指でなぞるようにしてアリスが感嘆かんたんした。


「わぁすごい。麒翔きしょうくんって力持ちで器用なんですね」

「これぐらい普通だよ」

「そんな事ないですよ。力強さと器用さを合わせ持てる人なんて滅多にいません」


 力があるかと言われれば龍人としては普通である。器用かと言われると昨夜に桜華のツッコミがあったように、切り口が少し斜めになってしまっているので、どちらかというと不器用な気がする。人間からしたらそう見えるのだろうか。


「それに麒翔きしょうくんって格好いいじゃないですか」


 はにかむようにアリスが言った。

 ドキリと胸が跳ねた。

 格好いいなんて言われたことが、今まで一度だってあっただろうか。少なくとも記憶に残っている範囲ではないと断言できる。


 麒翔きしょうはごく平凡な龍人男子であり、特筆するような容姿はしていない。が、それはあくまで美男美女が普通である龍人として見た場合の話であり、他種族からみれば「格好いい」と映るのは、さほど不自然なことではない。


 とすれば、アルガントで暮らしていた頃にでもモテていそうなものだが、残念ながら男友達しかいなかった。暮らしていたのが都市部から離れた郊外というのも、出会いの機会に恵まれなかった原因の一つである。


 だから次のアリスの言葉に麒翔きしょうの心は大きく揺さぶられた。


「出会って一日で、こんなこと言うのもおかしいとは思うんですけど。私、麒翔きしょうくんのこと好きです」


 小細工なしの直球勝負に麒翔きしょうは複雑に笑みを硬直させる。そうして動けなくなった意気地のない男に対して、アリスは優しく言う。


「返事はすぐじゃなくていいです。街まで戻れた時に……それまでに聞かせて貰えれば。あ、それじゃあ私、薪を拾いに行ってきますね」


 気恥ずかしくなったのか、たったったと薪を拾いに駆けていく。

 その耳元で悪魔が囁いた。


「陽ちゃんから乗り換えるの?」


 がひゅっと喉から変な音が出た。

 ギギギギギ、と滑りの悪くなった首を巡らせて辺りを見回す。

 食器の準備をしていた公主様が恨みがましい目でこちらを睨んでいた。


「翔くんさ、陽ちゃんが機嫌悪い理由わかってないよね」

「な、なにがだよ」

「好きな男の子が、他の女の子に鼻の下伸ばしてたら嫉妬するに決まってるじゃん」


 嫉妬なんてするわけねーだろ! 条件反射でそう叫びかけ、麒翔きしょうはふと合点するものがあり押し黙った。今までの疑問点を洗い出すように口に出していく。


「昨夜、言葉にトゲが含まれていたのも?」

「かわいい女の子の出現に焦ってたんじゃないかな」

「生存者の探索に協力しようとしてくれたのは?」

「そりゃアリスちゃんと二人きりにさせたくなかったんでしょ」

「千里眼を使ってくれなかったのは?」

「恋敵のために力を使いたくなかったんでしょー。この鈍感男!」


 むう、と麒翔きしょうは唸る。

 果たして尊き身分である公主様が自分などのために嫉妬するものだろうか。


 だが、人間に対する偏見という最悪の結末を回避できるという意味で、桜華の意見は魅力的に映った。悩んだ末、麒翔きしょうはその意見に乗ることにした。


「で、だ。仮にそうだとして。俺はどうしたらいい」

「抱きしめてキスで黙らせる」

「は?」

「だから、陽ちゃんが嫉妬しないぐらい構ってあげるの。それはもう親密に。そう昨夜のように! そうすればアリスちゃんへの敵愾心てきがいしんも薄れるでしょ」


 なるほど。と頷きかけ、麒翔きしょうは脳内のちゃぶ台をひっくり返した。


「なるほどじゃねーよ!」

「あー! 照れてる照れてるー!」


 背後霊のように憑りついていた桜華はひらりと身を翻すと、公主様の元へと走り去ってしまった。そして公主様の手を引いて戻ってくる。


「どうした? 何か用なのか?」

「翔くんが告白したいことがあるんだって」

「ねえよ!? 勝手に盛るな」

「はい、三点減点! ここで日和るのは男じゃないでしょー」


 桜華がビシッと指を突き付けてくる。そして麒翔きしょうの背を押した。


「おい! ちょっと待て、押すな」


 公主様の美しい顔と、華奢な体がぐっと近づいてくる。

 体温が三度ばかり上昇した。龍衣の袖と袖が触れ合う。すると、


「? キスをしたいのか?」

「可愛らしく小首を傾げて、とんでもないことを言ってんじゃねえよ!?」

「なんだ違うのか」

「なんで残念そうなんだよ。どう見てもそういう空気じゃねえだろ」

「もー! どうして翔くんは肝心なところでヘタレますかねー」

「いや、会話が噛み合ってないよな? どこをどうすればキスの流れになるんだよ」

「そんなの勢いに任せるに決まってるでしょー! ねえ、陽ちゃん」


 公主様はコクリと頷いた。漆黒の瞳が上目遣いに向けられる。


「まだキスには早い、ということだろう。わかっている。私は麒翔きしょうに認めてもらえるように頑張る。だから見ていてくれ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る