第22話 惨劇の痕跡

「すまない。そういうつもりで一緒に寝たわけではないのだが」


 朝食の席。申し訳なさそうに赤面して公主様がうつむいている。

 昨晩作成した大きな丸太テーブルには、携帯用の保存食であるパンと白湯のスープが並んでいる。麒翔きしょうはパンを一口かじり、正面に座る公主様から気まずげに視線を逸らした。


「俺だって黒陽おまえにあんな――ああ、いや。誰だって失敗の一つや二つぐらいするもんさ。気にするな」


 さらっと事実を誤魔化して、なんだかそれらしいことを言ってつくろう。公主様の隣の席。真実を知る桜華はニヤニヤ嫌な視線を送ってくる。とても目障りである。絶対にしゃべるなよと麒翔きしょうは心の中で念じた。無駄だった。


「翔くんだって喜んでたと思うよ。柔らかな抱き枕だったって」


 右手に柔らかく温かい感触がよみがえる。力を入れたら折れてしまいそうなほどに細く華奢なウエストは、反対に冷たくなめらかな感触であった。

 と、煩悩ぼんのうを消し去るように麒翔きしょうはかぶりを振り、


「何言い出しちゃってんだ桜華てめえ……断頭台送りになったら化けて出てやるからな」


 ケラケラと桜華がお腹を抱えて笑っている。殴りたい。

 隣の席のアリスが不思議そうに首を傾げる。


「何かあったんですか?」


 桜華がププッと吹き出しながら応じる。


「ナニかがあったみたいだよー」


 怒りのボルテージが際限なく上がっていくのを麒翔きしょうは感じたが、あえて無視することにした。アリスに向き直って、あくまで紳士然しんしぜんとして振る舞う。


「桜華は口を開けば、何でも誇張して話す井戸端会議のおばちゃんみたいなやつなんだ。気にしないでくれ」


「そうなんですか。なるほどです」


 妙に得心がいったという感じでアリスは頷いている。どこかから抗議の声が聞こえた気がしたが、麒翔きしょうはこれを完全に無視。立ち上がり、宣言する。


「ちょっと出発する前に周りを見てくるよ。もしかすると生存者がいるかもしれないし」


 望み薄ではあるが。

 森に踏み入ろうと一歩を踏み出すと、龍衣の袖をアリスにちょこんと掴まれた。


「私も行きます」

「駄目だ。君はここで待ってるんだ。俺一人じゃ守り切れない」

「でも、私の家族を探して頂くのに自分だけ待っていることなんてできません!」


 真っ直ぐに力強いコバルトブルーの瞳が向けられる。それは引くことのできない強い意志を宿しているように見えた。麒翔きしょうはその意志を尊重するべきか悩み、困ったなという風に頭をガリガリかく。

 すると、意外な人物が名乗りをあげた。


「そういうことなら私も行くぞ。桜華も一緒に行こう」


 公主様が毅然きぜんと立ち上がり、朝食をもぐもぐやっていた桜華の手を取る。

 昨日の態度からして協力は望めないものとばかり思っていた麒翔きしょうは、意外な提案に心が温かくなるのを感じ、言い出しづらかったそれを切り出す。


「まじか。なら千里眼を使ってくれないか」


 千里眼を使えば周囲の状況が一目瞭然となる。

 探索の精度を高めるため是非とも使用してほしいところなのだが。


「すまない。今は千里眼を使うことができない」


 あっさり断られてしまった。

 適性属性のない麒翔きしょうには、魔術の才能がない。ゆえに魔術に関しては、授業で聞きかじった程度の知識はあっても、実際の使用感――そのイメージが湧いてこない。


 そのため、千里眼がどれほど高度な魔術で、使用に際してどれほどの負担がかかるものなのか、そしてどのようなリスクが生じるものなのか。麒翔きしょうははっきりと把握できていない。だから軽々しく使ってくれなどと頼めなかった訳だが、それでもしかし、敵影のないこの状況で使えないという主張には、強い違和感を覚えざるを得なかった。そんなはずはないだろうと。昨日は、水源を探すために使っていたじゃないかと。今と何が違うんだと。


 昨夜も感じた公主様への不信感が再びもたげてくる。


 だが、同時にわからなくもある。果たして彼女は協力的なのか非協力的なのか。千里眼を使ってまで協力する気はないが、同行を申し出る程度には協力する気があるということなのか。それはどのような心理が作用した結果なのか。麒翔きしょうには皆目見当もつかない。


(あるいは、何か使うことのできない特別な理由が他にあるのか)


 公主様が感情をうまく言葉にして伝えることのできない不器用な女だということは薄々わかっている。もしそうなら、ちゃんと話を聞いたほうが良いのかもしれない。


 だがその考えも、アリスを睨みつけるようにしている公主様の姿が視界に入り、跡形あとかたもなく消え去ってしてしまった。鋭い視線を遮るように間へ入り、


「おい、どういうつもりだ。なぜアリスさんを睨みつける」

麒翔きしょうこそ、どうしてその女をかばう」

「どうしてって当たり前だろ!? 黒陽おまえと違ってアリスさんはか弱い女の子なんだぞ。そんな風に睨んだら怯えるに決まってんだろ」


 公主様は少し潤んだ目でこちらをじっと睨みつけ、プルプルと肩を震わせたかと思いきやプイッとそっぽを向いた。無言の抗議のようである。


「そんなかわい……じゃなかった。そんな態度で俺が納得すると思ってんのか」


 小憎こにくらしい所作でさえも、その圧倒的な美貌を背景にすると、いちいち可愛らしく見えてしまうのだから困ったものである。

 後ろから腰の帯を引っ張られた。か細い声が耳に届く。


「やっぱり私、歓迎されていないのでしょうか」


 振り返ると今にも泣きだしそうなアリスの顔が視界に入った。その頭にそっと手をやり、安心させようと無意識の内に頭を撫でる。


「大丈夫。アリスさんは俺が守るから」


 アリスは青い瞳に溜まった溢れんばかりの涙を零し「ありがとうございます」と礼を言った。麒翔きしょうは彼女を守る決意を固めた。




 ◇◇◇◇◇


 帆馬車に残された大量の血痕けっこん

 ポタポタと森の深部へ続くそれを辿たどって麒翔きしょうたちは森の奥へと進んでいた。

 が、地面に落ちた血痕を辿る性質上、必然的に視界は下へ固定される。

 それが災いした。


麒翔きしょう!」

「ん? って、うぉい!?」


 とっさに腰を落として頭を低くする。

 頭上数センチのところで、トラバサミのような緑のあぎとが閉じられる。鉄のようなガチンという音が響き、麒翔きしょうは背筋に冷たいものが走った。腰に下げた模擬刀を引き抜き、紫炎の《剣気》を叩きつけるようにカウンターを入れる。緑色の何かは紙切れのように切り裂かれた。


 同時に後ろへ跳躍し、正体不明の敵から距離を取る。

 全体像を視界に収め、麒翔きしょうは眉をしかめた。


「食人植物!? 魔物じゃねえか」


 樹木の上部に寄生するようにして緑の植物がへばりついてぶら下がっている。壺状になった本体の上部には大きな穴が開いており、緑と黄のギザギザした牙のようなものが無数に生えている。側面部からは無数の触手のようなつたがうねうねと伸び、その先端にはトラバサミのようなギザギザの口が付いている。パカッと開いた緑のあぎとの隙間から覗くのは鮮血の赤。

 全身からは禍々まがまがしい《妖気》を発している。間違いなく魔物である。

 なぜ獣王の森に魔物が? という根本的な疑問より先に、ぞぞっと生理的な悪寒が走る。


「貫け、灼閃シャセン!」

「消え失せろ。呪蝕ジュショク!」


 ――吐息ブレス

 それは適性属性と同系統の属性エネルギーを口または掌から射出する龍人固有の特技である。


 一拍反応の遅れた麒翔きしょうの両隣から光と闇の吐息ブレスが同時に放たれる。光の吐息ブレスが魔物の左側面部を焼くように抉り、闇の吐息ブレスが右側面部を容赦なく消し飛ばす。その好機に合わせて麒翔きしょうも跳躍。いびつに変形した壺状の魔物を縦に一刀両断する。


 魔核ごと断ち切り、魔物の姿は森に溶けるようにして消えた。


「助かった。黒陽、サンキューな」


 公主様の警告がなければ、今頃は緑のギザギザ帽子をかぶるハメになっていただろう。龍人の体は強靭なので死にはしないだろうが、桜華にからかわれることは間違いない。しかも、麒翔きしょうはこの手の気持ちの悪い植物は苦手なので、接触は極力避けたい所存である。


 見返りを寄越せと言わんばかりに公主様がずいと頭を突き出してきたので、麒翔きしょうは仕方なくその頭を撫でてやった。ムスッとしたスパイスを少々という感じだった公主様の顔は、少しだけ嬉しそうなものに変わる。


「ちょっと翔くん。わたしも助けたんですけどー」


 桜華が不貞腐ふてくされていたのでポンポンと適当にあしらい、ふと視線を地面へ落としたところで気づく。


「血痕がここで途切れてるな」


 周囲を見回していた公主様が「見ろ」と樹木の根本を指差した。

 そこには破けた衣服の切れ端や小リュック、片足だけ残された皮のブーツなど、人の痕跡らしきものが残されていた。草むらから折れた長剣を拾い上げ、その刀身を公主様が注意深く観察する。


「魔獣の血が付着しているが錆びてはいない。最近のものだな。そして血痕はここで途切れていて、被害者と思われる人間の遺留品いりゅうひんまで散乱している。十中八九、こいつにわれたな」


 あくまで冷静に公主様は淡々と所見を述べる。

 感情的に崩れ落ちたのは列の最後尾で震えていたアリスだった。


「お父さんは……ここで……」


 食人植物はその強力な溶解液ようかいえきで鉄をも溶かす。残された遺留品は少ないが、恐らく装備ごと喰われたのだろうと想像すれば、辻褄つじつまは合う。


 両手で顔を覆うようにして涙を流すアリス。悲観に暮れるその姿が痛々しくて、麒翔きしょうは視線をそらした。それゆえ、両の手で隠した彼女の口元へ意識が向くことは、最後までなかった。

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