第18話 打ち捨てられた馬車

 初日は何の問題もなく過ぎ去った。

 順調に魔獣討伐を進め、森の奥地へと踏み入ることに成功した。


 二日目も同様だった。

 森の北寄りを進み、西へと草木を踏み分けて進んだ。

 途中、もう十分奥地に達したという結論に至り、そこからは進むのではなく、魔獣を索敵し、倒すことに集中した。順調に魔獣討伐は進んでいた。


 事件が起きたのは三日目だった。




 ◇◇◇◇◇


 大地を四足の獣が疾駆しっくする。

 狂乱獅子きょうらんしし。三メートルを超える大型の魔獣である。

 黒土くろつちを巻き上げ、枯れ枝をくだき、限界まで加速。最大速度に達した瞬間、三匹の狂乱獅子は跳躍ちょうやくした。同時、三位一体さんみいったいの攻撃が桜華おうかを襲う。


「やべえ避けろ!」

「えええええ!?」


 他の魔獣に気を取られていた桜華が悲鳴を上げる。

 陣形の背面を取られている。前衛を務める麒翔きしょうの援護は間に合わない。

 黒陽こくようは振り向きざま、即座に状況を正しく認識。素早く判断を下した。てのひらを前方へ突き出す。


のものを断罪せよ[残虐の断頭台]」


 脳へ記憶した魔術式を呼び起こし、表層意識上へ再構築する。そして魔術発動に必要な[キーワード]を呟き、[大きさ][重量][発生座標]からなる詳細情報を脳内にイメージ。てのひらに集めた《気》を媒体ばいたいに黒陽は魔術を発動させた。

 と、中空に巨大なギロチンの刃が出現、寸分違すんぶんたがわぬ正確さで跳躍中の狂乱獅子きょうらんししを三匹同時に捉えた。大質量の鉄の刃が三匹の狂乱獅子を無慈悲に両断する。


 ――ドスンッ!


 地面に落下した瞬間、ギロチンの刃はスッとその場から消えた。大きな鉤爪かぎづめで引っ搔いたような跡が地面に穿うがたれている。


「陽ちゃんありがとー」


 半泣きの桜華が抱き着いてきた。


「構わない。それより次が来るぞ」

「ええ! 嘘ぉ!?」


 黒陽の腕にしがみついたまま、桜華がキョロキョロと周囲を見回す。桜華が交戦中だった魔獣は、今の攻防の間に麒翔きしょうが倒している。周囲に魔獣の姿はない。

 が、気配は近づいている。今度は二匹、左右から。まだ視認できない距離だが、音がかすかにする。黒陽は己の五感でその接近を察知した。同時に魔術を起動する。


「闇の住人のにえとなれ[影の槍]」


 森の木々の向こう側。死角となっている場所で二辺が異様に長い三角形の影が地面から出現。二次元の平べったい影が魔獣の喉元を貫く。黒陽たちには声にならない断末魔だけが聞こえた。


 だが、黒陽は簡単には警戒を解かない。

 目をつむり集中。異常なし。感じるのは腕にしがみつく桜華の体温だけ。と、念のため千里眼せんりがん――超高空へ意識だけを飛ばし、第三の神視点として視界を確保する高等魔術――を使用した。周囲に敵影がないことを確認。異常なし。そこまでしてようやく黒陽は緊張を解いた。


「もう大丈夫。流石にこの数だ。さばくのは骨が折れたな」


 周囲は血の海。魔獣の死骸が軽く三十以上は転がっている。

 紫炎しえんきらめく模擬刀の《剣気》を散らした麒翔きしょうが、血相を変えて寄り添う二人の元へ駆けてくる。


「大丈夫か、桜華」

「うん、陽ちゃんのおかげ。助かったー」

「ありがとな。黒陽」


 そこで黒陽はあることを思い出し、頭をぐっと差し出した。予期せぬ行動に麒翔きしょうが困惑してますって顔をしている。黒陽はもう一度、催促さいそくするように「んっ」と声に出しながら頭を差し出した。背伸びまでした。


「…………」

「…………」


 沈黙が痛い。

 耐えきれなくなって黒陽は乙女のプライドを少しだけ捨てた。


「桜華にはしていただろう。私にはしてくれないのか」


 恥を忍んで挑んだ決死の催促も、察しの悪い男には通用しなかった。顔が火照り出すのを感じて黒陽は「うううう」とうつむきうなる。

 助け船を出してくれたのは桜華だった。


「ほんと翔くんって鈍感だよねー。頭撫でて欲しいのわからないワケ?」

「んなわけないだろ。公主様だぞ。犬じゃあるまいし」


 誤答を断言する朴念仁ぼくねんじんを精一杯睨みつける。犬とは何事か。ちょっぴり涙目の公主様である。

 その迫力に麒翔きしょうが半歩下がって「うっ」と呻く。


「桜華が魔獣を仕留めた時は、褒美を与えていただろう」

「褒美ってそんなつもりじゃ――って、わかった。わかったよ。だから、そんな目で見るなって」


 呪うつもりで睨みつけていたのが功を奏したのか、麒翔きしょうは「しょーがねえな」と言って、頭を撫でてくれた。ぞんざいな感じがしたところは減点ポイントだったが、黒陽はおおむね満足した。


「陽ちゃん良かったね。嬉しそう」

「ああ、心が満たされる不思議な感じがする。桜華も幸せそうな顔をしていた」

「え? わたしはそんなことないよ。全然ないよ。ないないない」


 腕から先の可動ポイントをフル動員して全力否定する桜華。

 少し首を傾けてつい二時間前のことを回想する。やはり黒陽の記憶の中にある映像には緩んだ顔の桜華が映っている。幸せそうに見えるが違うのだろうか。ならばあれは一体どのような表情なのか。


「訂正しよう。気持ちが良さそうだった」

「それ記憶改竄きおくかいざんされてるから! 絶対されてるから!」


 そう言われると黒陽も断言できるほど自信がない。納得のいかないままいると、桜華に「ほらほら、早く魔核を取り出すよ。いっぱいあるから大忙しだね」と背中を押された。仕方なく、作業へ移ることにした。


 倒した魔獣の死骸から討伐証明用の魔核を取り出していく。


 魔獣が生きている時に魔核を破壊、もしくは奪取すると魔獣の体は霧散して大気のちりとなるが、魔獣が死亡した後に魔核を取り出した場合は、魔獣の体は消えずに残る。魔獣の部位を素材として持ち帰りたい場合や食料としたい場合は、魔核を傷つけずに絶命させる必要がある。


「つっても、こんな肉食いたくねえけどな」

「貴重なたんぱく質だよー」


 魔獣の体内から魔核を取り出し腰袋に収めると、血に濡れた指を桜華がぺろっと舐めた。そしてすぐに渋面を作る。


「前言撤回。これは無理ー」

「せめて火を通せよ。腹壊したらどうする」

「へーきへーき。龍人のお腹はそんなことでは壊れませーん」

桜華おまえ一応、病弱設定だったはずだろ」

「そんな設定ありまっせーん」


 口下手な黒陽はなかなか二人の会話に入っていけない。そのことを口惜しく思う一方で、気兼ねなく麒翔きしょうと話すことの出来る桜華を羨ましく思ってしまう。その底抜けの明るさは、人付き合いが苦手な黒陽でさえ引き込まれてしまうほどである。


 朝に野営地を出発してから十時間が過ぎた。はしゃぐ桜華に疲れは見えない。


 討伐した魔獣は百三十六体。進捗は順調そのもの。魔核は均等に分配している。

 世界一裕福な群れで育ち成績優秀の黒陽は、お金も学校の成績もこれ以上必要がないので、魔核も不要なのだが、麒翔きしょうに「チームで動くんだから均等分配に決まってんだろ」と言われたので分け前を貰うことにした。


(群れたるもの狩りの成果は共有するべしか)


 おそらく麒翔きしょうの意図とは少し違った形で納得している黒陽であった。


 日が沈み、辺りは一瞬の内に暗くなり始める。夜が来る。

 採取した樹脂を布に塗りたくり即席の松明たいまつを作る。暗がりに橙色の光源が生まれる。とはいえこれは暫定的な処置。探索のためのものではない。


麒翔きしょう、野営の準備を始めたほうが良いと思うのだが。夜の探索は危険だ」


 暗がりに魔獣が潜んでいないとも限らない。無警戒の状態で先制攻撃を受ければ、暗闇と相まって痛手を受ける危険も増す。


「ああ、そうなんだが。ちょっとこれを見てくれ」


 前屈みになった麒翔きしょうが黒土の地面を指差している。松明を近づけ、黒陽と桜華は同時に地面へ視線を落とした。


わだちだな。しかも比較的新しい」

「馬車がここを通ったってことー?」

「商隊が迷い込んだのかもしんねーな」


 東西に広がる獣王の森の近くには、森を挟むように北と南にそれぞれ街道が通されている。現在地から考えて、北の街道から迷い込んだのだろうと黒陽は当たりをつけた。

 先の道まで見通せるように松明を掲げる。二本ある車輪跡は不規則に蛇行だこうしながら、森の先へと伸びていた。


「見ろ、わだちが蛇行している。相当慌てていたのだろう」

「ちょっと追ってみるか。馬の蹄跡ひづめあとからしてこっちだろ」

「よく見ると道になってなーい? 獣道にしては広いよね」


(道? 獣王の森に道が引かれている?)


 桜華の言う通り、真っすぐではないが馬車が十分通れる幅の道が続いているように見える。木々を避けるようにして黒土の帯が伸びている。しかし、獣王の森にわざわざ道を通す利点はない。人為的なものでないとすれば。

 黒陽は推測を述べる。


「馬車が通れる進路を選べば、自ずと障害物の少ない道のようなルートになるのではないか」


 その仮説を裏付けるように黒土の道は狭くなっていき、剥き出しの石が目立つようになっていく。松明の火を頼りにしばらく進むと、二本の車輪跡が大きく横にずれて茂みの中へと続いているのが見えた。蛇行していた車輪跡の描いた急激なカーブ。その発端となった箇所へ松明を照らしながら黒陽は納得する。


「やはり追われていたのだろう。かなりスピードが出ていた。そしてこの石に乗り上げ、バランスを崩して制御を失った」


 そして車輪跡の続く茂みの中を照らした。そこには横転した帆馬車が横たわっている。黒陽たちは帆馬車の周囲を調べて回った。


 馬車の荷台には魔獣の爪痕らしきものが無数に残っている。返り血らしきものも後輪とその付近の荷台にべっとりと付着している。地面にも所々、大量出血の跡が見られる。馬車の牽引役となっていた馬はその臓腑ぞうふを食い荒らされ、動かぬ屍と化していた。幸い、辺りに人の死体は転がっていない。


 帆のついた荷台には木箱がたくさん積まれており、荷はしっかりとベルトで固定されている。そのおかげか荷は横転の衝撃で散らばることなく、荷台の床面にしっかりと接地していた。

 手近な木箱の拘束を解き、板のふたを外すと絹の織物や陶器の類が中に入っていた。馬車が転倒した衝撃で陶器類には割れ目が入ってしまっている。


「見事な青白磁せいはくじが台無しだな」


 黒陽は小声で一人ごちて、木箱を元に戻すと再び周囲を見回した。

 と、木箱の隙間に写真立てが落ちているのを発見。魔術の念写によるカラー写真である。


「家族写真みたいだねー」


 黒陽の肩越しに写真を覗き込んできた桜華が言った。

 写真には中年の男女と十二歳ぐらいの少女が映っている。金髪に青眼の可愛らしい女の子である。

 横合いから麒翔きしょうが顔を出し、写真に視線を落とすと「ああ」と呟いた。


「これは西方の国々の中でも西端に暮らす商人の服だな。差し詰めこの馬車の持ち主ってところか」

「翔くんは西方の人間の街で育ったんだよ」

「西方の街っつっても、ここから目と鼻の先のアルガントだけどな」


 西方から来る商人たちはアルガント経由で北の街道を通ってラクレへ入り、交易品を入手後、今度は南の街道を通って、次の交易品を求めて南方の都市を目指す、という話を黒陽は思い出した。

 が、その知識はすぐに脇へ追いやられる。麒翔きしょうの生い立ちの方に興味がある。


「人間の街で育ったのか。珍しいな」

「ああ、まあな」


 もっと会話を膨らませたい黒陽だったが、なぜだか麒翔きしょうは素っ気なく応じた。そして黒陽にも話を引き出すだけの話術がなかったため、会話が途切れてしまった。

 一通り、馬車の検分を終えると、一行は外に出た。


わだちの真新しさ、そして馬の死骸の腐食具合からしてここ二日以内といった所か」


 黒陽が推論を述べると、麒翔きしょうも同意して頷く。


「生存者はいるかもしれないが……さて、どうしたものか」

「反対だ」

「まだ何も言ってねーよ!?」

「迷ってる時点で論外だ。私たちの身を危険に晒してまで探す義理はない」


 公主として帝王学を叩き込まれた黒陽は、常人とは少し違った思考回路を持っている。その前提の一つにあるのが「群れの利益を優先する」というもの。彼女はすでに麒翔きしょうを主人にすると心に決めており、現在のこの三人パーティを仮想群れではなく、正式な群れと見做みなしている。


 龍人女子は主人と認めた者だけを愛し、付き従う習性を持っている。正式に群れを立ち上げて以降は、主人へ忠誠を誓い、死が二人を分かつまで決して裏切ることはない。手の平返しが行われるのは、あくまでお試し期間である学生の間だけ。


「優先順位の問題だ。私にとって一番大切なのは主人であるあなた。そして次に、桜華だ。部外者を助けるためにあなたたちを危険に晒すことはできない」


 しかし、根本的価値観の異なる麒翔きしょうは納得していない様子。


「世の中には人情ってもんがあってだな。助け合いの精神っつーの? 助けられる命があるなら助けてもいいんじゃないかなーと。でも、リスクがあるのはその通りなんだよな。桜華はどう思う」

「ん-、気持ちはわからないではないけど。わたしは陽ちゃんに賛成かな」


 それが決定打となり大勢は決した。流石の麒翔きしょうも二人の反対を押し切ってまで強行する熱量は持ち合わせていないらしい。「そうか。俺の感覚がズレてんだな」とあっさりと意見を翻して、野営の準備に移る。

 麒翔きしょうは両腕にぐっと力を入れ、横転した荷台を持ち上げ立て直した。龍衣の袖がめくれあがり、鍛え抜かれたしなやかな腕の筋肉がちらりと覗く。


「帆付きの荷台だ。せっかくだしテント代わりに使わせて貰おう」


 と、その荷台から何かごとんと物音が響いた。荷台を立て直した際に何か物が転がったようである。黒陽を含め、誰も気に留める者はいなかった。すでに全員の意識は野営の準備へ向けられている。


 薪をせっせと拾い集め、火をつける。次に食材の調達。干し肉やチーズといった携帯用食料は持ってきている。黒陽は水の確保のため小川――場所は千里眼による超高空視点より特定――へ向かった。一仕事終えて戻ると山菜やキノコが、臨時でこしらえたと思しき太い丸太のテーブルに乗せられていた。横たわる丸太の上部を水平にカットしてテーブル状に加工されている。切れ味の鋭さからして麒翔きしょうの作だろうと黒陽は当たりをつける。


「どう? すごいでしょー。今夜は鍋だよ陽ちゃん! あ、そのテーブルは翔くんが作ったんだけどね。斜めってるのは勘弁したげて」

「うるせえよ。不器用で悪かったな」


 黒陽は所在なさげに目を泳がせた。


「どうしたの、陽ちゃん? 一緒に作ろ」

「ああ……そうだな」


 歯切れが悪い。実を言うと黒陽は料理の経験がない。ほとんどではなくゼロである。というのも彼女、群れの管理者たる心得こころえは山のように詰め込まれて育った反面、群れにおいて下位の仕事である家事については全く教わる機会がなかった。これは将来、高い位に就くことを想定した教育方針によるものである。

 かといって、小さな群れの内は、家事は必須スキルである。避けては通れない道だ。小声で桜華にだけ聞こえるように、


「あの、あのな。実は料理の経験がないのだ」


「ええーそうなのぉ!」と桜華は少しおどけてみせ「任せて。わたし料理得意だから」と胸を張った。


「おお、そうなのか。それは頼もしいな」

「じゃあ、まずは食材を仕分けて貰えるかな。同じものをまとめる感じで」

「わかった。任せてくれ」


 しかし、その数分後。麒翔きしょうの叫びが森中に響き渡った。


「ちょっと待て! 桜華おまえ、料理得意だったんじゃねえのかよ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る