第17話 サバイバル開始

麒翔きしょうくん。それは失礼というものですよぉ。先生を無視しようったってそうはいきませんからぁ!」


 変に間延まのびびした声がおへその辺りから聞こえた。

 そこには小人がいた。


「あ。今、先生のことを小人だと思いましたねぇ?」


 豪華な緑の龍衣に身を包んだお団子頭の幼女が、不服そうに頬を膨らませている。


「いえ、迷子の子供がいるなと思いました」

「先生をからかうとはいい度胸なのですぅ。そこへ直れなのです!」


 風魔術の担当教師である風曄ふうか教諭が憤慨ふんがいした! という感じでプンスカ両腕を動かしている。どう見ても十歳未満の幼女にしか見えないが、れっきとした成龍おとなのレディである。つまり百歳を超えている。


 風曄ふうか教諭は下院一学年の副統括であり、彼女と魅恩みおん教諭の二人が引率として同行している。六人の女教師の内、麒翔きしょうに対して唯一友好的に接してくれる先生でもあった。

 勝手知ったる気安さで麒翔きしょうは手を差し出した。


「わかりました。これあげます」

「なんですかこれは」

賄賂わいろです」


 渡したのは包み紙。中にはあめが入っている。


「むー? 飴ごときで先生を買収する気ですかぁ? ほんと麒翔きしょうくんは甘いですねー。飴だけに」


 などと口では言いながら、しっかり飴を口に含んでいる。

 カランコロンとご満悦の表情で音を鳴らす幼女の脇を通り抜ける。


「待ちなさいです! まだ話は終わっていませんよぉ」

「賄賂に手をつけたんだから見逃して下さいよ」

「そうもいきませんよぉ。備品を持ち出してどうするつもりです?」


 やましい事は何もない。理由を倫理的に説明するのは簡単だ。


「本陣周辺の魔獣は初日で狩り尽くされるでしょう。とすれば、狩場までの移動距離も日ごとにだんだんと遠くなっていくことになります。しかも競争率が高い。だったら最初から、奥地まで進んでそこを拠点にした方が効率が良いということです。勤勉な生徒ということでここはどうか」


「しかしですねぇ。先生も安全を管理しなければならないのですよぉ」

「大丈夫ですよ。成績優秀な公主様も一緒ですから」


 ダメ元で名前を出してみたのだが効果は覿面てきめんだった。

 幼女先生はあわあわと慌てるような素振りを見せ、


「そういえば公主様と同じグループでしたっけ?」

「はい。だから心配いりません。公主様が魔獣ごときに遅れを取ると思いますか」


 口を閉ざして澄ましていれば西方人形のように見える風曄ふうか教諭は、梅干しを食べた時みたいに渋い顔で訊いてきた。


「どの辺りまで踏み入る予定ですかぁ?」

「そうですね。森の北寄りを西へ進んでみようかと思います。一日か二日、十分な距離を歩いたらその辺りを拠点にして活動しようかと」

「わかりました。では一週間ほどで一旦帰還して下さい。先生が譲歩できるのはここまでです」


 安全管理の観点から、一度無事を確認したいとのことらしい。

 食料の問題がある以上、どちらにせよどこかで戻らなければならない。一週間というのは少し短い気もするが、悪くないスパンであるように思われた。


 麒翔きしょうが同意すると、口の中で飴をカランコロンさせながら風曄ふうか教諭は先生みたいなことを言った。


「怪我には気を付けるんですよぉ。家に帰るまでが遠足ですからねぇ」




 ◇◇◇◇◇


 幕舎を出て、枯れ木の倒木から南へ二百歩、西へ百歩。指定の待ち合わせ場所に着く。まだ二人の姿はない。女子の支度には時間がかかるものなのだ。手持無沙汰の麒翔きしょうは、荷物をその辺に放り、脇に差してある模擬刀を引き抜いて、少し傾斜をつけて横一文字に振り抜いた。一刀の元に両断された樹木が大きな音を立てて切り倒される。

 模擬刀を脇に差し直すと、麒翔きしょうは倒木した樹木に腰掛ける。


「しっかし、模擬刀片手に獣王の森に入るってどうなんだ」


 《剣気》を使える麒翔きしょうや公主様なら何ら問題はない。魔獣へ致命傷を与えることも容易たやすいだろう。しかし、一般生徒の振るう模擬刀では、ダメージは通せても致命傷を与えることは難しい。強靭な肉体を持つ龍人からすると、魔獣の戦闘力はそこまで高くはないが、噛みつかれれば痛いし、特殊技能を使用されれば傷を負うだろう。


「真剣ぐらい持たせても良さそうなもんだがな」


 学園内では殺傷事件への発展に至らぬよう真剣の持ち込み・所持は禁止されている。とはいえ、ここは学園の外であるし、仮にも危険地帯とされる獣王の森である。人間が何の対策もせずに踏み込めば腕に覚えがある者でも三日と持つまい。そこへ木製の模擬刀を持って入るのだからどうかしている。


「ピクニック気分じゃねーんだぞ」


 その時、背後の茂みからガサッと枝葉の揺れる音が耳に届いた。麒翔きしょうは迷うことなく行動を起こす。倒木の腹を蹴り真横へ跳躍、同時に模擬刀を抜刀する。一瞬後、黒い影が先程まで麒翔きしょうが座っていた場所を通り過ぎる。十分な余力を持って、その腹へ紫炎しえんの《剣気》を宿した切っ先を滑り込ませる。手首のスナップを利かせて下から上へ。


 ――斬っ!


 熱したナイフをバターに当てるが如く。抵抗なく黒い影の胴体を両断した。

 鮮血が散る。空中で二つに分かたれたそれは地面に力なく横たわる。

 魔獣だった。


「犬型の魔獣。いや、狼か?」


 白い体毛に赤い目。額には角が生えている。

 白狼と呼ばれる魔獣である。

 魔獣の中では下位に当たる。ウォーミングアップには丁度良い。

 と――


「グルルルル」


 同種の魔獣が五体。木々の間から姿を現す。

 獰猛どうもうな牙を剥きだし憎悪をあらわに距離を詰めてくる。牙の隙間からはよだれが垂れ、濡れた舌は獲物を前に舌なめずりに動く。


 麒翔きしょうは先に動いた。先手を取られて一斉に飛び掛かられるよりは楽だろうとの判断から。一気に距離を詰め、正面にいた白狼を斬り伏せる。即死。断末魔すら上がらない。白狼たちは一瞬怯んだ。その隙を見逃さない。右に一匹、左に三匹。麒翔きしょうは右へ跳んだ。模擬刀を振る。容易たやすく二匹目をほうむった。


 残り三匹の内、左右の二匹が同時に飛び掛かってくる。


「馬鹿だな。正面から同時じゃ意味ねーだろ」


 大きく横薙よこなぎに模擬刀を払う。横一文字に二匹の白狼を同時に切り裂いた。


 あと一匹。戦いは楽しい。龍人の血が騒ぐ。


 狂気に染まった麒翔きしょうの笑みに恐れを成したのか、白狼はきびすを返すと全速力で逃げ出した。こうなると面倒だ。麒翔きしょうは逃げる敵に追撃するすべを持たない。走ってまで追いかけようとは思えなかった。舌打ちする。


 が、白狼が数メートル疾走しっそうしたところで、その身を槍のような黒いものが貫いた。地面から生えた黒い槍は白狼の魔核まかくを貫くと跡形もなく消え去る。同時に白狼の体も分解され、大気に溶けるように消えた。


「さすがだな麒翔きしょう。見事な剣捌けんさばきだ」

「黒陽か。おまえの魔術も見事だが一つ言わせてくれ。魔核を破壊したら駄目だ」


 魔核は魔獣の本体となる《妖気》の集合体で、魔核を破壊するか取り除くと魔獣は体を維持することができなくなり、《気》の粒子に分解され消える。そして魔核はその性質から魔獣の討伐証明に使える。


「いいか。魔核を破壊してしまったら、それは魔獣を倒していないのと同じことなんだよ。おまえは報奨金や学園の成績になんて興味はないのかもしれないが、同行するなら協力してくれ」

「むう。それはすまない」


 しゅんと公主様が肩を落とす。しおらしい反応に麒翔きしょうの方も気まずくなる。


「ああ、いや。わかってくれればいいんだ。俺も言いすぎた。すまん」

「あー翔くんが陽ちゃんのことイジメてるー」

「面倒くさいやつが面倒なタイミングで来やがった……」

「あー、今さらっとひどいこと小声で言ったー」


 麒翔きしょうは頭をぼりぼりとき、吐息といきする。

 なにはともあれ、これで全員集合というわけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る