第16話 獣王の森

 龍聖りゅうせい羅呉らくれが治めるラクレの街から馬を走らせて一日半。南西方向に獣王の森はある。獣王と銘打ってはあるが、あるじとなる魔獣が存在する訳ではない。獣が統べる森という意味で獣王の森と呼ばれている。


 ラクレの特産品は、きぬ織物おりもの青白磁せいはくじの陶器。西方の国々よりこの特産品を求めて、商人たちが商隊を編成してこの近くを通るのだが、獣王の森に誤って迷い込んでしまうケースが毎年数件ある。荷を失うぐらいならまだいい。腕利きの冒険者や傭兵を雇っているからと、荷に固執こしつし退路を断たれればそのまま全滅なんてことも珍しくない。と、物騒この上ない森なのである。


 以上の内容を魅恩みおん教諭は演説という形で生徒に聞かせた。更に、


「とはいえだ。我々龍人にとって魔獣など犬みたいなものだ。初の実戦訓練を行うには、最適な地と言えるだろう」


 獣王の森と街道との間。

 ぎりぎり安全地帯と呼べるそこを野営地と定め、テントが居並ぶ幕舎ばくしゃ前。大幕で区切られた大広場で、下院一学年百五十名を前に、魅恩みおん教諭が声高こわだかに演説している。


「加えて近年は、商隊の被害も甚大じんだいと聞く。そこで我々が実習も兼ねて討伐を行おうというわけだ。殲滅せんめつは難しいだろうが、魔獣の数を減らすことはできるだろう」


 どうにも気が乗らず、麒翔きしょう気怠けだるげになげく。


「こういうのって普通、群れの治安維持部隊がやるもんじゃねえの?」

「ん-、でも未熟な一年生には丁度いいって言ってたじゃん」


 素直な性格の桜華おうかは、教師の言うことにいちいち疑問を差し挟んだりしない。模範的な優等生だと言える。しかし意外にも、麒翔きしょうの愚痴に同意したのは、学園一の優等生・公主様だった。


「例え適地なのだとしても、他の龍人の縄張りで実習を行うというのは違和感があるな。それに普通は自分の縄張りに他の龍人、特に男が入って来るのを嫌うものだ。龍皇からの要請ゆえ羅呉らくれ殿は断れなかったのだろうか」


 ふと不快感が過って、麒翔が左袖をまくってみると鳥肌が立っていた。


「確かに他者の縄張りって聞くと、何だか嫌な気分になるな」

「それが龍人の本能というものだ」

「そうだね。わたしも微妙な感じするかも」


 不満を述べているのは麒翔きしょうたちだけではない。周囲の生徒たちもヒソヒソと似たようなことを話している。


 そんな彼らの不満へ答えるように魅恩みおん教諭が一層声を張り上げる。


「無論、タダで働けというわけではない。魔獣討伐の報奨金は学園から出ることになっているし、多くの魔獣を討伐した者へは、総合成績への特別な優遇処置を取らせて貰う。以上だ。諸君の健闘を祈る」


 特別な優遇措置の言葉に生徒たちがどっと湧く。

 単純な奴らだと麒翔きしょうは思ったが、彼自身も負けず劣らず単純な男だった。


(報奨金が入るなら母さんに仕送りできるな)


 麒翔きしょうの家は母子家庭である。父親は麒翔きしょうが生まれる前にこの世を去っており、母が女手おんなで一つで育ててくれた。

 生家は西方の人間が治める都市・アルガントの郊外、小高い丘にある。暮らしは貧しく、母は街で下働きをしながら生計を立てていた。群れに所属しない流浪るろうの母が暮らしていくには人間の街の方が適していたのだろうと、麒翔きしょうは思っている。


 麒翔きしょうは母親に苦手意識を持っているが、育てて貰った恩義は感じている。出来ることなら少しでも楽をさせてあげたい。報奨金の話は魅力的に映った。


 魅恩みおん教諭から散会を命じられると、生徒たちは各グループごとに集まり出した。ガヤガヤと賑やかな喧騒が広場に満ちていく。


「それじゃあ俺たちはここで。肩の凝る旅だったがなかなか楽しかったぞ」


 白い歯を覗かせて盛館せいかんが親指を立てた。暑苦しい奴だと思いつつ、麒翔きしょうは応じる。


「ああ。心配いらないと思うが気を付けてな」


 公主様と桜華にも軽く会釈を済ませると、盛館せいかんはその場を後にした。その後ろを盛館せいかんガールズたちが付き従うようについていく。


(さて、俺も行くとするか)


 公主様と会話中の桜華の頭をぽんぽんと叩き、さも当然という風に告げる。


「俺はちょっと奥の方まで行ってくるから。おまえは黒陽がいるし大丈夫だな」

「えーちょっと待ってよ」


 早足で進む麒翔きしょうの隣へ、足並みを揃えて付いてきながら桜華が抗議する。


「ちょっと翔くん、置いてくなんてひどい」


 立ち止まる。落胆を見せないように桜華へ向き直る。


「今日はここへは戻らず、野宿するつもりだ。水浴びもできないぞ。いいのか」

「うー、それはやだけど……」


 この季節、水浴びができないのはかなり辛い。

 桜華の性格は熟知している。これでお留守番を選んでくれるだろう。

 内心でほくそ笑んでいると、うんうんと悩む桜華の後ろにすっと人影が立った。公主様である。


「自ら危険な奥地へ斬りこんで、より多くの魔獣を討伐しようというのだな」

「なんだろう。言葉尻のニュアンスに過度な期待が含まれていないか」

「陽ちゃんは夢見る乙女だねー」

「おい、桜華。黒陽こいつの夢をちょっと壊してやれ」

「本当にいいのー? フラグへし折れちゃうよ?」

「うっ…………、やっぱなしで」

「二人が何をしゃべっているのかよくわからないのだが。ともかく、森の奥地へ行くというのなら、私も同行するぞ」

「あ、陽ちゃんが行くならわたしも行くー!」

「おい、まじか……」


 桜華一人なら簡単になせていたはずが、思わぬ方向へ話が転がってしまった。有象無象の女子生徒ならともかく、桜華の同行だけは断れない。今までもずっと一緒に居てくれた唯一の友人だから。


桜華こいつを危険に晒したくないんだけどな……)


 その時、立ち話をする麒翔きしょうたちの横を荷車を引いた異国風の男たちが通り過ぎた。桜華が振り返り、その後ろ姿を見送りながら疑問を呟く。


「誰あの人たち」


 不格好に発達した筋肉を搭載した大きな体と堀の深い顔、そして龍人とは異なる髪の色。西方の都市アルガント育ちの麒翔きしょうにはすぐわかった。


「あれは西方人だな。物資の搬入に西方の商人と契約でもしてるんだろ」


 野営地の端には麒翔きしょうたちを乗せて来た帆馬車が二十台、横一列に並んでいる。それとは別に形状の異なる馬車がいくつか停まっており、西方の商人のものなのだろうと予想していると、先程すれ違った一団がその内の一台へ入って行った。


「ほら、やっぱりな」

「わぁ。わたし商人って憧れちゃう」

「なんでだよ」

「だって世界中を旅できるでしょ?」


 息を弾ませてそう語る桜華の目は輝いている。無邪気で素直なところが桜華の良いところだ。麒翔きしょうは胸を張り、少し得意げに言う。


「西方から来た商人たちは、一度アルガントで長旅の疲れを癒してからラクレへ入り、特産品を手に入れたら次は南方の国々へ向かう。そして世界を一周しながら特産品の売買を繰り返して、故郷へ帰るんだ。知ってたか」


 獣王の森は東西に伸びる形で広がっており、森の南北にはそれぞれ街道が通っている。地形図を想像しながら麒翔きしょうは続ける。


「アルガントから北の街道を通ってラクレへ入り、次に南の街道を通って南方の国々へ向かうルートを商人はよく使うんだ」


 公主様が感心したように頷く。


「そこまで知っているとは、詳しいんだな。羅呉らくれ殿は西方文化を愛しているから、商人の受け入れはオープンなのだ。他の都市ではこうはいかない。ゆえに西方の商人たちはラクレを目指すのだろう」


 群れというものに対して、麒翔きしょうは未だに偏見を持っているし、理解できないままでいる。しかし、縄張りに関しては直感的に理解することができる。羅呉らくれの縄張りだと聞かされてからずっと、不快感が尾を引いているからだ。


 自分の縄張りに他者を招き入れるというのは、やはり不快感が伴うものなのだろう。だとすれば、羅呉らくれは懐の深い人物ということになるのだろうか。


 あまり深く考えても意味はなさそうだ。

 気持ちを切り替えるつもりで麒翔きしょうはパンと手を叩く。


「よし、準備にかかろう。各自、野宿の準備を整えて集合だ。集合場所は……そうだな、あそこに枯れた倒木があるだろ。あそこから森に入って南へ二百歩、西へ百歩進んだところにしよう」


 桜華が異を唱える。


「なんでそんな面倒なことするの。ここでいーじゃん」

「あのな。公主様と一緒に出立したら目立つだろ」


 それも悪い意味で。

 ただでさえ周囲からは、何でおまえなんかが公主様と一緒にいるんだよって目で見られている。今も通りすがりの生徒たちがチラチラと視線を向けてきているところだ。流石に公主様に文句をつけようとは思わないのか、口は出してこないが。


 まだ不満そうな桜華をスルーして男子用幕舎へと入る。


 持参した荷物から着替えや必需品を取り揃え、不要になりそうな物は置いていく。次に調理用の厨房が置かれた幕舎へ忍び込み、調理器具を数点拝借する。


「お望み通り、魔獣をたくさん倒しに行くんだ。これぐらいいいだろ」


 他の生徒たちはこの野営地――本陣を拠点として魔獣の討伐を進めていくことになる。だからこのように大人数を収容可能なテントと、山のように積まれた調理器具、及び食器類が用意されている。


 しかし、それでは本陣に近い浅いエリアの探索しかできない上、近場の魔獣から殲滅されていくため、日を追うごとに狩場までの距離は遠のいていくだろう。そうなると、移動の大半は無駄な時間に費やすことになってしまうので、ここは思い切って奥地へ飛び込んでしまおうという腹である。まだ誰も踏み入っていない深いエリアを効率良く探索すれば、魔獣の討伐数を稼ぐことができる。従って、ここの調理器具を麒翔きしょうが使うことはなく、本来自分が使う分を借りて行こうという寸法だ。


 刃物は学園への持ち込みが禁止のため、用意することができなかった。調理器具の中から小型のナイフを探し出し、リュックサックへ放り込む。武器として使うつもりはない。戦闘には模擬刀のみ使用が認められている。


 次に保存食を拝借する。

 学園の購買部で購入した保存食を持ってきてはいたが、五日間という長い馬車生活の中で、小腹が空いた時にちょこちょこ食べてしまったため、もうあまり残っていないのだ。


「何よりもやっぱ肉だよな」


 気力を充実させるためには、何を差し置いても肉が必要である。

 干し肉を多めにリュックサックへ放り込む。その他に、チーズ、パン、ベーコン……そしてアクセントにピクルスを選ぶ。その他には塩などの調味料と、香辛料を適当に見繕う。


 夏季特別実習は一ヵ月にも及ぶ長期の実践訓練である。

 当然、この程度の食料で足りるはずもない。足りない分は現地調達となるだろう。


「ま、調達できない時は戻ってくりゃいいさ」


 将来、卒業生の中には戦争に参加する者も出てくる。群れが戦火に巻き込まれれば、否も応もなく参戦するしかないからである。陣を張るように幕舎を構え、大量の物資を運び入れ、集団行動をさせるのは、その時のための訓練という意味合いも兼ねているらしい。


 もっとも、学園の作り上げた本陣を離れ、単独行動を決めた麒翔きしょうには関係のない話ではあるのだが。


「よし、こんなもんでいいだろ」


 パンパンになったリュックサックを肩にかけ、幕舎を出ようとしたところで咎められた。


「駄目ですよぉ。備品を勝手に持ち出したりしたらぁ」


 確かに前方から声がした。

 しかし、そこには誰もいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る