第9話 公主の宿命

「わかったか。今ので死んでいたぞ」


 放心しその場から微動だにできずにいる公主様へ冷たく言葉を投げつける。

 決闘の最後の局面。策をろうしてたばかり手にした一瞬の隙、邪魔の入らないあの瞬間なら、全力を引き出す時間は十分にあった。もしもあの時、麒翔きしょうが本気だったなら、防御に回した剣身ごと彼女の脳天は二つに別れていただろう。


「仮に模擬刀の決闘だったとしても結果は同じだ」


 世界一硬い鉱石――黒龍石を両断するほどの切れ味である。本来は殺傷力のない模擬刀ではあるが、龍人の強靭な肉体をも切り裂くことは想像に難くないだろう。

 公主様の手から刀剣が滑り落ちて、石畳いしだたみの床に転がった。


「ああ、私の負けだ」


 しおらしくうなだれて見せる公主様に、されど麒翔きしょうの怒りは収まらない。なんの理由も説明されないまま、強制的に生死をかけた戦いに参加させられたのだから当然である。下手をすれば自分が命を落としていた。

 怒りをぶつけるように公主様の手を上方へひねり上げる。


「決闘の取り決めは守らなければならない。おまえは何でも言うことを聞く。そう言ったな」


 捻り上げた手をさらに締め上げる。公主様がかすかに苦悶くもんの声を漏らした。


「だったら、俺のモノになってもらう。意味はわかるな?」

「妻になれということだな」


 麒翔きしょうは冷酷な笑みを作るよう努めた。突き放すよう傲然ごうぜんと言い放つ。


「違う。奴隷になって貰う」


 表情の変化に乏しかった公主様の顔に、そこで初めて驚愕きょうがくの色が浮かんだ。その衝撃からか目は大きく見開かれ、小さな口から発せられる呼吸には乱れが生じる。


「なっ……ど、れ……い?」


 その混乱を象徴するかのように、焦点を失った眼球が左右に揺れ動く。

 拘束した手首を力任せに引っ張り公主様を抱き寄せると、龍衣の襟元から覗く白く細い首筋に麒翔きしょうは顔をうずめた。女の匂いが鼻から侵入し、肺を満たした。

 そのまま耳元で囁く。


「では早速、なぐさみ者になってもらおうか」


 年端も行かぬ少女にとって、死刑宣告にも等しいその要求に公主様は顔を背けることで僅かばかり抵抗。しかし彼女は気丈に耐えた。


「好きにしろ」


 一瞬、どす黒い感情が麒翔きしょうの全身を駆け巡った。


 ――この女をメチャクチャに汚したい。


「ちっ」


 舌打ちし、公主様を拘束していた手を離す。

 拘束を解かれ自由の身となった公主様は、力なくフラフラと後退し、地面に尻もちをついた。放心しているのかその瞳は仄暗ほのぐらく沈んでいる。


「なんで断らねえ。どうしてそこまで自分を投げ捨てることができる。どうして自分を大切にしねえ! 例え決闘の決め事だったとしても足掻あがいてみせろよ!」


 自分の価値を貶め、無価値であるかのように投げ捨てる。まるで安いケチな景品か何かのように自分の身を簡単に差し出そうとする。こんなにいい女なのに、今まで出会った女の中で一番有能である癖に、彼女がどれだけ価値のある存在なのか――ほとんど面識のない麒翔きしょうでさえ、その価値を正しく理解している。


「剣術しか取り柄のない俺とはちげーだろ! おまえの価値は本物だ!」


 この学園の生徒なら誰だって知っている。それなのになぜ、この女は自分を安売りする。その感覚が理解できず、そして何より許せない。


「答えてくれよ。なぁ公主様!」


 放心状態だった公主様がハッと顔を上げる。

 龍衣の胸元にそっと手を当て、公主様は安らかに目を閉じた。


「自分で切り開いた運命なら受け入れられる。だから奴隷でも構わない」

「奴隷で良い訳ねーだろ! ちょっとは構えよ!」


 夜の庭園へ響き渡った怒声に公主様はきょとんとした顔をした。


「あなたが奴隷になれと命じたのだろう」


 麒翔きしょうは「ああ、そうだった……」と納得しかけ、すぐにかぶりを振ると全力でツッコんだ。


「いや、そうじゃねえ!? あれは無防備なあんたに危機感を覚えさせるためにカマをかけただけだ。それぐらいの事、今のやり取りでわかれよ!」


 肩で息をつき、麒翔きしょうは手を差し伸べる。


「いつまで腰抜かしてんだ。ケツ痛くなるぞ」


 遠慮がちに伸ばされた細い腕を引っ張り上げ、公主様の身を起こす。その美しい顔には疲労が浮かんでいるが、血色自体は悪くない。

 頭一つ低い位置から、公主様のうるんだ瞳がこちらを見上げている。見る者をとりこにして離さない漆黒の瞳だ。その深奥しんおうに吸い込まれてしまいそうになる。


 聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いざ本人を前にすると霧散するみたいに消えてしまった。その瞳に宿る不思議な魔力のせいだろうか。何か言わなければと思うのだが、何も浮かんでこない。


 上院と下院の生徒は相容あいいれない関係である。

 明日になれば、再び別々の道を歩むことになるだろう。

 もしかすると、もう二度と会うことはないのかもしれない。そうやってあせると余計に思考は空回りして、頭が真っ白になった。そうして。


「なんで決闘する必要があったんだよ」


 結局、長い時間を掛けて絞り出せたのはそれだけだった。もっと聞かなければいけないこと。優先順位の高い質問はあったはずなのに。


 公主様はぽつりと答えた。


「恋をしたかった」




 ◇◇◇◇◇


 生温い風が吹いて眠りについた草木を揺らす。

 睡眠を妨害された木々のざわめきが不満を述べるかのように鼓膜を震わせる。

 風に吹かれた公主様の黒髪が同化するように闇へ溶け合う。


「公主は、龍公りゅうこう階級以上の妃として嫁ぐことが決まっている」


 庭園のベンチへ腰を下ろした公主様がうつむき加減で事情を語った。


 公主様曰く、龍公とは龍人男子に与えられる爵位で、上から三番目に該当するらしい。


 爵位は、龍皇りゅうこう龍王りゅうおう龍公りゅうこう龍聖りゅうせい龍天りゅうてん龍閃りゅうせん龍騎りゅうき龍猛りゅうもう龍士りゅうしと九爵位が存在し、龍聖以上を貴族と呼ぶらしい。そして龍公は上級貴族に相当する。


「つまり、上級貴族に嫁ぐことが生まれながらにして定められた私の運命なのだ」


 政略結婚。

 それは人間社会の貴族・王族の間でも行われている政治的な婚姻である。


 知識として麒翔きしょうも知ってはいる。だが、知っているからといって納得できるかと言えば、それは違う。好きな相手と結婚する――それが一般家庭で生まれ育った麒翔きしょうの信じる幸せの形であり、目指すべきゴールでもあるからだ。そして身分の異なる公主様も、同じ気持ちなのだとする根拠。思い当たる節があった。


「あの日、言ってたよな」


 龍王樹の赤い花が舞い落ちる中、初対面とは思えない至近距離、見上げるように漆黒の瞳が覗き込んできた。今にして思えば、その瞳は少し悲しげだった。


「不本意な運命だと」

「ああ、そうだ」


 それは落ち込む麒翔きしょうの心の内を見透かしたかのような言動だった。

 しかし実際は、自身へ向けた言葉だったに違いない。今だからこそ確信できる。


「戦うべきだ、とも。つまり、好きでもない相手に嫁ぎたくないんだろ」


 公主様は膝上に組んだ両手に視線を落としたまま、力なく頷いた。その弱々しい子犬のような姿に、麒翔きしょうは心が痛くなった。公主様がぎゅっと両手を握りしめる。薄桃色の唇が悔しそうに歪んだ。


「龍公はすでに大きな群れを持つ成龍おとなの男しかいない。年が離れすぎている。恋愛感情は抱けない」


 成龍せいりゅうは齢100歳を超えた龍人を指す。

 龍人は100歳で人間でいうところの二十歳に相当し、見た目も若々しいのだが、感覚的な話で言えば恋愛感情は抱けない気がする。麒翔きしょうは同意する。


「百歳って言ったら、感覚的には爺に嫁ぐようなものだもんな」


 それはあくまで人間としての感覚。

 公主様はそれをユーモアのある冗談と受け取ったのか、クスリと笑った。


「だから私は、父上を説得した。好きな人に嫁ぎたいと。そしてそれは制度的にも可能だった。公主が嫁ぐ条件は二つある。一つは龍公以上の妃として嫁ぐこと。そしてもう一つは、上院の首席相当の正妃として嫁ぐこと。このどちらかを満たす必要がある。だが、後者の条件を満たすためには問題が二つあった」


 正妃。それは一番最初に群れへ迎え入れる妻のことを指し、正妃の序列は常に一番高くなる。そのような説明を桜華がしてくれたことを思い出す。


 同時に彼女の言わんとする問題点がわかった気がした。龍人は基本的に同年代の男女で群れを作る。麒翔きしょうは胸に渦巻く嫌な想いを振り払うようにかぶりを振り、


「上院の首席相当って……一学年でその席にいるのは」

「そう、私だ」

「要するにあんたよりも優秀な男じゃないと娶れないんだな」

「そうだ。そしてもう一つの問題も、結局はそこに尽きる」


 ――恋をしたかった。

 唐突に、公主様がぽつりとこぼした一言が脳裏に浮かんだ。


「龍人女子は、強い男を好きになる。しかし、近い世代で私より強い男は一人もいなかった。だから私は恋をしたことがなかったのだ」


 龍人女子の感覚を麒翔きしょうは理解することができない。けれど、彼女の気持ちを想像することはできる。


 優秀すぎるがゆえに、誰も好きになれない。それはすごく孤独で寂しいことではないだろうか。半龍人である麒翔きしょうが、人間としての感覚を誰にも理解して貰うことができないように、彼女の孤独は誰にも理解できないし、共感もされないだろう。


 それは麒翔きしょうとは全く逆のベクトルで辛いことではないだろうか。

 そして好きな人ができない以上、好きな人に嫁ぐという夢は絶対に叶わない。


「だから私は探した。私に勝てる男がいないかを。私に勝てるのなら、首席相当と銘打めいうってもいいだろう。私に勝てるのなら、今度こそ恋を知ることができるかもしれない。だから私は……」


 公主様は肩を震わせて言葉を失くした。


「全て覚悟の上だったんだな。背水の陣で臨んだという訳か……」


 そして唯一公主様に勝利できた男が麒翔きしょうだった。彼女にとってそれは希望の光、救世主のように映ったのかもしれない。何でもいいから助け出してほしいと願った結果が、奴隷を受け入れるという結論に繋がったのだろう。


 けれど、現実は何と無情なのだろう。麒翔きしょうの実力は首席には遠く及ばない。なにせ底辺オブ底辺。在籍できているだけでも奇跡の落ちこぼれ。公主様を娶る資格など欠片もない。


 しかも、当の公主様はその事をご存知ない。

 そしてその残酷な真実を伝える勇気を麒翔きしょうは持てなかった。

 逃れられない理不尽な運命と、不甲斐ない自分に腹が立ち、どうしようもないぐらい心が締め付けられ、苦しくなる。


「そんなのってあるかよ……」


 その先は言葉に出せない。


(ようやく見つけた希望の光が俺みたいな落ちこぼれだったなんて)


 ぎゅっと拳を握り込む。爪が自身の肉に食い込んだとて容赦せず拳を限界まで握り締める。その痛みさえも、麒翔きしょうの感じた心の痛みに比べれば無いに等しかった。


「なぁ、第三の選択肢じゃ駄目なのか?」

「第三……? 他に妙案があるのか?」


 深呼吸をする。口にする以上、生半可な気持ちではいられない。

 公主様の美しい顔が、こちらを見ている。ゴクリと生唾を飲み込んで麒翔きしょうは提案する。


「全部投げ捨てて人間の街で暮らす」


 公主様がポカンと口を開けた。しばらくその状態で固まったまま、沈黙。そして突然、口を押えてクスクスと笑いだした。


「笑うなよ。心外だな。真面目な提案なのに」


 ひとしきり笑った後、公主様は目元の涙を拭いて困ったように笑んだ。


「人間の街でどうやって暮らしていくつもりだ」

「俺は人間の街で育った。だから人間社会の事情にも詳しい。実家もアルガントにある。だから――」


 心臓が早鐘のように鳴っている。

 大きく息を吸い込み、早口でまくし立てる。


「あんたに公主という地位を捨てる覚悟があるなら、そして人間として生きて行く決意を持てるというのなら、俺が一緒に付いて行ってもいい。人間の街で暮らすのが不安だと言うなら、俺が一緒に暮らしてもいい。奴隷になってでも嫁ぎたくないというのなら……絶対、こっちの方がいいはずだ」


 それは駆け落ちしようと持ち掛けたようなもの。

 一生分の勇気を使い切ったのではないかとさえ思う。


 しかし、公主様はまたもや冗談だと思ったらしい。咳き込むほどに笑っている。穴があったら入りたい。そんな気持ちで麒翔きしょうが小さくなっていると、公主様は右手を胸元へ当てて言った。


「ならば、そのように命令すればいい。人間の街で一緒に暮らせと。あなたには私に命じる権利があるのだから」


「それは違うだろ。俺は――」


 命令して一緒になる。

 それは麒翔きしょうの描く幸せの形ではない。

 例えそれが公主様の願いであったとしても。


「そうだな。やっぱり根本的な価値観が違うんだろうな」


 人間と龍人。そこには文化の違い、環境の違い、考え方の違い。そして種としての本能。様々な要素から構成される価値観という大きすぎる溝がある。


(いや、違うか。てい良く断られただけなのかも)


 本人の同意が得られなければ駆け落ちはできない。

 全てを捨てる覚悟ではあったが、断られてどこかほっとしている自分がいた。

 強く目をつむりかぶりを振る。そして雑念を振り払う。驚くほど穏やかな声が出た。


「ずっとお礼を言いたかったんだ」


 公主様が不思議そうに首を傾げる。


「龍王樹の下で公主様には勇気を貰った。だから俺は、今もこうして学園に在籍することができている。あのきっかけがなかったら、こうして一緒に話すこともできなかっただろう。だから――」


 今、自分はどんな顔をしているだろうかと麒翔きしょうは思った。柔和に微笑めているだろうか。気持ちが伝わるようきちんとできているだろうか。


 心を込めて頭を下げた。


「ありがとう」

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