第8話 闇夜の決闘

 夜闇が支配する夜の庭園。


 ――ヒュン

 静寂の中に風切り音が響く。


 ――ヒュン、ヒュン

 袈裟斬けさぎりから切っ先を返して、刀身を跳ね上げるようにV字に返す。斬撃の軌跡きせきには《剣気》が残り火のように一瞬だけ残り、すぐに煙となって消えていく。


 仮想の敵を想像し、何もない夜闇のそこへ一刀を振り下ろす。


 最も重要なのは、想像力でもなければ、踏み込みの深さでもなく、斬撃の鋭さや技の精度ですらない。《気》だ。《気》のコントロールこそが最も重要だということを麒翔きしょうは知っている。


 体内で練り上げる《気》の練度をどれだけ高めることができるか。練り上げた《気》をいかにして無駄なく剣へ伝えるか。剣へ伝わった《気》を散らさず、いかに長時間維持することができるのか。この連携れんけいよどみなく、息をするぐらい自然に行うことができれば、それだけ《気》への理解は深まっていく。

 麒翔きしょうは剣術の技術向上にはあまり興味がない。興味があるのは《気》の本質、その正しい操作方法にこそあった。


 夜に行う修練はいいものだ。

 闇と一体化するような感覚。五感が研ぎ澄まされ、集中力が増す。普段以上に《気》の流れを近くに感じ取ることができる。


「っとぉ」


 額を伝う汗が目に入り、視界を歪ませた。

 もうかれこれ二時間は素振りを続けている。そろそろ休んでも良い頃合いだが、なぜだか今日は調子が良い。興に乗ったついでにもう少し続けるか。麒翔きしょうは汗を拭い、模擬刀を中段へ構える。


 ふと、研ぎ澄まされた感覚が違和を察知した。

 大気の《気》の流れがおかしい。

 周囲には誰もいない。大気の《気》を乱す要因があるとすれば、己の振るう《剣気》に他ならない。ならばその影響は麒翔きしょうを中心に同心円状に広がっていくのが道理。


「――の、はずなんだが。人か?」


 麒翔きしょうの乱した大気の《気》の流れは同心円状に広がっていない。まるで障害物があるかのようにそこだけ曖昧に歪んでいる。

 その違和は真っ直ぐこちらへ近づいてくる。


「やっべ、見つかったら面倒くせえ」


 夜の修練など学園のカリキュラムには存在しない。どころか許可すら取っていない上、学生寮からはこっそり抜け出している身の上だ。教師に見つかりでもしたら、たっぷりこってり絞られることだろう。麒翔きしょうは速やかに草陰へ隠れた。


 距離が近くなる。気配が現れた。草を踏みく音もする。

 その音は先ほど麒翔きしょうが立っていた辺りで立ち止まった。その正確無比せいかくむひな精度に冷や汗が出る。


「そこにいるのだろう。出てきたらどうだ」


 冷たい抑揚のないその声に聞き覚えがあった。麒翔きしょうはまさかと思いつつも、物音を立てないように草陰から顔を半分だけ覗かせる。

 月明りで薄っすらとだけ見えた。闇に浮かぶ白い顔の輪郭が。


「そこにいたか」


 闇に沈んでいても隠し切れない美しい顔がこちらへ向く。

 隠れる暇などない。麒翔きしょうは観念した。

 草陰から抜け出し、頭に付いた葉を払う。


「相変わらず、勘がいいですね」

「よく言われる」


 妙な得心がいき麒翔きしょうは苦笑。同時に公主様のある変化に気が付いた。

 相変わらず美しい顔をしているが、凛とした雰囲気が鳴りを潜め、どこか憂いを含んでいるような印象を受ける。


(あ? どうしたんだまるで別人……)


 公主様が一歩を踏み出した。ゆっくりと近づいてくる。

 距離が近づき、その過程で麒翔きしょうはようやく視認することができた。彼女の両手に一本ずつ、さやに納められた剣が握られていることを。

 訝しむ麒翔きしょうの眼前までやって来ると、公主様は右手を差し出した。拳を逆手にして鞘を水平に受け取れと言わんばかりに押し付けられる。


「まさかこれ、真剣ですか」

「ああ、そうだ。受け取れ」


 理解不能を示す「?」マークを頭に浮かべながら、言われるがまま麒翔きしょうは鞘を受け取った。鞘には宝石で宝飾がなされ豪華な作りとなっている。鞘を少しずらすと、見事に磨き抜かれた剣身が姿を現した。キンッと小気味よい音を立てて鞘へ戻すと、麒翔きしょうは疑問を口にした。


「で、これはなんです?」

「戦え」

「は?」

「戦え」

「なんで同じこと二回言ったの!? いや、そうじゃなくて。何と戦うんですか。それをちゃんと説明してください」


 公主様は小さく頷くと、左手に持っていた剣を勢いよく引き抜いた。


麒翔きしょう。私と決闘しろ」


 一瞬、時が止まった。麒翔きしょうの脳が理解することを拒否したのだ。

 そして時は動き出し、受け入れ難い現実に麒翔きしょうは全力で抗った。


「は? いやいやいやいや、おかしいだろ! わかるように説明しろ。いや、説明してください!?」


 いつの間にか、公主様の表情からは憂いが消えている。元の凛とした美しくもたくましい顔付きに戻っており、薄桃色の唇は決意に硬く結ばれている。

 公主様の全身から《剣気》が立ち上る。彼女の持つ剣に群青色の炎に似た《剣気》が宿り、剣身を妖しく装飾し始めた。武器の品質と《剣気》は積の関係にある。所詮しょせんは訓練用の模擬刀に宿る《剣気》とは根本的に質が異なるのである。あんなもので殴られたら、例え峰打みねうちでも死んでしまう。


「ちょっと待て。シャレになってねーぞ」


 少し前から怪しくなっていたが、もはや敬語を使う余裕はない。


「抜け。無抵抗のおまえを斬っても意味がない」


 なおも戦う姿勢を見せない麒翔きしょうに業を煮やしたのか、公主様は上体を沈めて剣を振るった。鼻先を一閃。風圧が麒翔きしょうの顔を叩いた。


「昇降口でのこと怒ってんのか? 悪かった謝るから――ってあぶねえ!?」


 斜めに飛んできた斬撃をすんでのところで回避する。


「今のは当てにきただろ、コラ!?」

「私に勝てたら何でも言うことを聞いてやる。悪くない条件のはずだ。さぁ抜け」

「――また、それかよっ」


 模擬戦の時も似たようなことを言っていた。

 自分の価値を貶めるような真似に麒翔きしょうはどうしようもなく苛立った。


「あんたは安いケチな景品じゃねえだろ!」


 再び振るわれた群青の一撃を、麒翔きしょうは抜刀と同時に弾き返した。

 闇の庭園に火花が散る。


「どうして自分を貶めるような真似をする。どうして自分を無価値のように断じて投げ捨てるような真似ができる!」


 剣を打ち合う甲高い音が響く。その度、火花が散り、一瞬だけ夜闇が払われる。


「なぁ、答えてくれよ公主様!」

「無駄口を叩く余裕があるとは。やはり只者ではないな」


 麒翔きしょうの斬撃は《剣気》をふんだんに使用した大振りの一撃。対する公主様は小回りの利く太刀筋で防御寄りに構え、隙を突いて反撃を狙っている。


「だいたい何でも言うこと聞くって。本気で言ってんのか!?」

「当たり前だ」


 必殺の斬撃が夜のとばり跋扈ばっこする。

 一太刀ひとたちたりとも受けたがえれば致命傷は必至ひっし。一瞬たりとも気が抜けない。


「本当にわかってんのか。生殺与奪せいさつよだつの権を与えることになるんだぞ。命を奪われても文句を言えねえんだぞ!」

「百も承知だ」


 生き死にの勝負に参加を強いられ、麒翔きしょうの我慢も限界に達そうとしていた。


「俺が勝った時は覚悟しとけよ! 公主様だからって容赦はしないからな」


 力任せの連撃を叩き込むが、公主様はそのすべてを器用にさばき、僅かにできたすきを突いて反撃に出てくる。間隙かんげきに放たれた鋭い突きを脚力にものを言わせた力強いバックステップでぎりぎりかわし、そのまま距離を取るように後ろへ下がる。

 高速で景色が移り変わる。そのすべてを目で追いながら麒翔きしょうは池のある方へ秘かに誘導していく。


「ハッ! どうしたぁ。息があがってるぞ」


 息があがっているのは麒翔きしょうも同じである。なにせさっきまで二時間もの間素振りを続けていたのだから。


「うるさい。黙って戦え」

「おまえの希望通り相手してやってんだから感謝しろよ」


 公主様が挑発に乗ってきたことで、麒翔きしょうは心の内でほくそ笑む。集中力が切れかかっている証拠。いい兆候だ。

 しかし、いつの間にか麒翔きしょうの手数は減っていた。それは傍から見てスタミナ切れに見えるだろう。相対的に公主様の手数が増していく。しかしこれがきつい。彼女の技巧を凝らした変幻自在の斬撃を捌き切るのは至難の業。


「ちっ、やっぱ技巧の差はかなりあるな」


 剣による受けだけでなく、鍛え抜かれた敏捷性を駆使してなんとかしのげている。

 そしてそれは、大きく後ろへ跳躍した時に起こった。


「げっ!?」


 着地と同時、ぬかるみに足を取られた。池のほとりまで来ていたのだ。


 バランスを崩した麒翔きしょうを見て、勝機と見たのだろう。今までの小回りの利く太刀筋ではなく、大振りの一撃を放ってきた。


 麒翔きしょうの顔に悪い笑みが張り付いた。

 この時を待っていた。


「なんてな。名演技だったろ?」

「なっ――!?」


 バランスを崩したかに見えたのは、大振りの一撃を誘い出すための演技だった。

 ここぞとばかりに隠しいでおいた牙をく。


 一気に《剣気》の出力を上げて公主様の放った一撃を迎撃、力任せにその華奢な体ごと吹き飛ばした。間髪を入れず、追撃を入れる。流石とも言うべきか、公主様は大きくバランスを崩しながらも素早く体勢を立て直している。だが、先手は麒翔きしょうが取っている。十分に《気》を練る時間はあった。大上段からの渾身の一撃。これを公主様は剣で受ける形で防御した。重く鈍い音が響いた。大上段からの一撃は、公主様の頭上ぎりぎりで止められている。ギリギリと鋼鉄が悲鳴を上げる。


「それだ。覚えておけ」

「……なに?」


 力では麒翔きしょうが勝っている。

 絶対的優位であるにも関わらず、麒翔きしょうは剣を引き、鞘へ収めた。

 納得のいかない様子の公主様が口を開く前に、機先を制す。


「ついて来い。場所を変える」




 ◇◇◇◇◇


 場所を変えると言っても然程さほどの距離はなく、目的地は同じ庭園にあった。

 納得がいかないながらも黒陽こくようは渋々付き従っている。

 石造りの祭壇のような場所で麒翔きしょうが歩みを止めた。祭壇には黒い柱が立てられており、黒柱へ歩み寄りながら麒翔きしょうが問う。


黒龍石こくりゅうせきを知っているか」

「世界一硬い鉱石のことだろう」


 唐突の質問に黒陽こくようは訝しながらも律儀に答えた。


「では問おう。この模擬刀で黒龍石を斬ることはできるか?」

「不可能だ」黒陽こくようは言下に否定した「それが出来るとしたら龍公以上の成龍おとなだけだ。真剣を使えば、私でも傷の一つぐらい付けられるだろうが」


 麒翔きしょうは頷きを返した。その顔は真剣そのもの。


「かつて、剣術に特化した龍皇陛下がいたらしい。彼は学生の時分、その頃使っていた模擬刀を使って黒龍石を両断したという逸話いつわを残している。その逸話になぞらえて、下院の中庭には」


 黒い柱のところまでたどり着き、模擬刀でコンコンと叩く。


「こうして黒龍石の柱が用意されている」


 話の意図を察した瞬間、黒陽こくよう身体からだ激震げきしんが走った。

 まさかとの思いが全身を支配し、硬直させる。

 急激にのどかわき、緊張が全身を包んでいることを自覚。胸の鼓動こどうがかつてないほど高鳴っている。剣を打ち合わせていた時よりもずっと大きく強く激しく。その黒いまなこ最奥さいおうには畏怖いふと期待と疑念が複雑に入り混じっている。


「まさか同じことをできるとでも言いたいのか。伝説の剣聖・閃道せんどう陛下と同じことを」


 無言のまま、麒翔きしょうは持っていた真剣を鞘ごと地面へ突き刺し、模擬刀を両手で握りこんだ。黒龍石に向かって構えを取ると、すうっと息を吸った。直後、爆発的に《剣気》が増幅し、麒翔きしょうの全身から放出された。それは暴力的なまでに荒れ狂う《剣気》の津波だった。ビリビリと大気を伝わって《剣気》が肌を震わせる。

 やがて無秩序に荒れ狂っていた《剣気》は制御・収束され、模擬刀へ集まっていく。全てが一刀に収束した瞬間、麒翔きしょうは模擬刀を大上段から斜めへ振り下ろした。


「やっと見つけた」


 黒龍石が両断される刹那、黒陽こくようは無意識に呟いていた。

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