第7話 力ある龍人の義務
夕暮れ。
学園のカリキュラムは大きく分けて一学期、二学期、三学期に加え、夏季特別実習、冬季特別実習に区切られている。特別実習とは、学園を離れて野外で活動する実践訓練のことで、実際に魔物を相手に戦い経験を積むことを目的とする。
現在は一学期の授業が終了し、次の夏季特別実習への準備期間となっている。
半日にも及ぶ夏季特別実習の説明会を終えて、
「大丈夫だよ。相手にされないとわかればそのうち諦めるって」
女子生徒からの熱烈なアタックは休み時間にまで
女性不信が加速しそうである。
「これが毎日続いたら……持たないかもしれない」
本校舎二階。大きく取られた窓から庭園を見下ろす。
今日は止めておこうかと考え、すぐに頭をぶるんぶるんと振る。
日々の
昇降口に圧倒的な存在感を放つ少女が立っていた。下院に存在しないはずの赤と黒の龍衣に身を包むのは、才色兼備な公主様である。
「げ、なんか怒ってる……」
思わずそのまま回れ右してしまった。
心当たりはあった。模擬戦で手を抜いていたことがバレたに違いない。
「待て」
呼び止められ、
いつの間に距離を詰めたのか、公主様の美しい顔が目の前にあった。彼女の背は頭一つ分小さい。挑むように見上げてくるのだが、間近で見ると、その美貌もあいまって黒い瞳に吸い込まれてしまいそうになる。魔性の女か。
「何の用ですか」
「午前中の一戦。手を抜いていただろう?」
はい、そうです。
「侮られたことに思うところはある。が、ひとまずそれは水に流そう」
「え、いいの!?」
思わずため口になってしまう。
安堵したのも
「それよりも深刻なのは」
公主様の顔がぐっと近くなる。背伸びをしたのだ。突然の接近に驚いた
「なぜ女の好意から逃げる。なぜ女をはべらせようとしない」
「そ、そんなの俺の勝手でしょう」
「勝手ではない。迷える
心臓が痛いぐらいに鳴っている。
この女は何を言ってるんだ。そんな疑問が吹き飛んでいくほどにバクバクと。
「平民出のおまえにはわからないかもしれないが、貴族階級の男たちは、何百何千という女たちを己の庇護下に置いている。なぜだかわかるか。それが優秀な男の義務であり、使命だからだ。ならばおまえにも同じ義務が生じる」
なんでだよ! 滅茶苦茶だ! そう叫びたかった。
しかし、
黒く澄んだ大きな瞳が今にも泣きだしそうに潤んでいる。彼女が口を開くたびに吐き出される甘美な吐息が首筋にかかる。薄桃色の唇は薄っすら湿り気を帯び、誘うように開閉する。それらは彼女こそが本当の
「
辛うじて、
公主様の美しい顔がぐしゃっと歪んだように見えた。
「見損なったぞ。もっと気概のある男だと思っていた。ようやく見つけたと思ったのに。なぜそのような
「ちょっと待って下さい。勝手に期待して勝手に失望されても困りますよ」
「失望するなという方が無茶だろう。それだけの力を持ちながら……なぜだ、なぜなんだ。救えるはずの命を見捨てる気か」
滅茶苦茶な暴論に
そして目の前の端正な顔に、一筋の涙が流れていることに気が付いた。同時に激しく混乱した。
(なんだ? 俺が悪者なのか? そんなに悪いことしたか? え? なんで泣いてんの? てかなんで俺は責められてんの? 意味がわかんねー!?)
人間の社会で生まれ育ち、人間との間に生まれた
しかも暴力的なまでの美が目と鼻の先にあるのだ。
理性にも限界というものがある。
「俺からも一つ。公主様に忠告しておきますよ。もっと危機感を持った方がいい。特に男と相対する時は」
「話をそらすな。私は大事な話をしている」
「そうですか。では――」
胸元を握り離さないでいる公主様の手首を反対に掴み、力を入れる。お互いの顔は近いままだ。
「多くの女をはべらせろ、か。ならばこれはキスをねだっているのですか?」
「なっ……!?」
弾かれたように公主様の体が後方へ離れて行く。だが、今度は
「わかりましたか? こうなってからでは遅いのです」
「こ――っの!」
掴んでいた手を振り払われると、逆の方から風を唸らせて平手が飛んできた。
――バチンッ!
首を飛ばす勢いの衝撃が
最後にキッと一睨み利かせると、龍衣の裾を
「っ
腰の入った良い平手だった。
「嫌われただろうな。でもその方がいい」
所詮は平民と皇族、住む世界も価値観も違う。過度な期待を寄せられても重荷なだけだ。その期待に応えるだけの力は、残念ながら
「本当の俺を知った時が、一番失望するだろうさ」
◇◇◇◇◇
上院。学生寮。
そこは下院の学生寮と大きく異なり、貴族の屋敷を思わせる豪奢な造りとなっている。寮の外観から内装に至るまで
(まだ、ドキドキしてる)
いきなり抱き寄せるとは何と無礼な奴なんだろう。
しかし、と
今まで自分の周りにはいなかったタイプだ。そして腕っぷしが恐ろしく強い。
あの模擬戦、途中から攻勢が逆転した。
理由はわかっている。打ち合った時に模擬刀から伝わってくる重量が、ある地点から一気に増した。おそらく《剣気》の質が自分より上なのだ。そしてそれは途中まで本気を出していなかったことを意味する。
歳の近い皇族・貴族。将来を有望視される名家の男たちとも幾度となく剣を交えてきたが、終始優勢に事を進め、その全てに勝利してきた。劣勢に立たされた事など、今まで一度としてなかった。
だからこそ期待してしまった。そしてだからこそ残念に思う。
「あれだけの力を持っているというのに……」
男女比1:5。龍人の生まれてくる割合である。
つまり、一人の男に対して五人の女が寄り添うことが妥当。ゆえに龍人は1~2人の男と4~5人の女で群れを構成するのだ。
そして力のある者ほど、多くの女を養い、
例えば、
「力ある龍人は、多くの者を守らなければならない。だというのに」
あの男は言った「
「これは押し付け……なのか?」
幼少の頃より、皇族としての考え方を徹底的に叩き込まれてきた。個人の利益よりも群れの利益を優先するように育てられてきた。人の上に立つものの心構えを説かれ続けた。嫉妬は群れの足並みを乱す悪だと断じられた。
それらは
だから押し付けという感覚がわからない。
ベッドに座ったまま、板張りの床に力なく視線を落とす。
「私は間違っているのだろうか……?」
答えは返らない。
置時計の秒針が動く音だけが一定のリズムを刻んでいるだけ。
ちらり、と寝台横の小テーブルへ視線を向ける。
一枚の無記入の紙が置いてある。
「どうしよう……」
決断できぬまま。無為に時は過ぎた。
気が付けば日付が変わろうとしていた。
龍衣の帯紐が解かれ、
はだけた
――ヒュン。
「また聞こえた」
周囲の暗闇と一体化するように目を
大気の《気》が少しだけ乱れていることを感じ取る。
「これは下院の方角……そう、そういうこと」
そして特別許可を得て持ち込んでいた真剣二本を両手に取り、部屋を出た。
運命が決するのだとすればそれは今夜なのではないか。
妙な確信めいたものが彼女を突き動かしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます