第6話 華麗なる手の平返し

 中央龍皇学園は全寮制の学園である。


 十五になった龍人は親元を離れ、学園に三年通い、そして一人前と見なされ独立する。それまでは基本的に帰省することは許されない。


 授業は剣術、弓術、吐息ブレスが必修で、加えて単一属性魔術から選択で一教科、共通魔術から選択で二教科、計六教科で総合成績が決まる。その他にも多彩な座学――歴史学、戦争学、社会学、経済学、建築学などその他多数――が揃ってはいるが、これらの受講は任意な上、総合成績には含まれない。


 本校舎は豪奢ごうしゃな三階建て。三角屋根を冠するお城のような外観。本校舎は凹を逆さまにしたような形をしている。東には図書館が併設へいせつされ、西には学生寮がある。そして北側、上院と敷地を接するそこには魔術研究棟が並んでいる。


 本校舎の外周を、というよりも下院の敷地全体を走り回った末に麒翔きしょうが駆けこんだのは、魔術研究棟の敷地にあるボロボロの小屋だった。


「はぁはぁ。とんだ災難だ。なんだこれは厄日か?」


 室内には使い古された長机が二脚と、ガタのきてる木製の椅子が四脚。それから小さな収納棚と、本棚が一台ずつ置いてある。綺麗に片付いていると言えば聞こえはいいが、単に物がないだけである。


 先客が一人、窓際の席に座っている。

 麒翔きしょうは息を整えると、入口に一番近い席に腰を下ろした。

 本を読んでいたその先客は、顔を上げるとニヤニヤと嫌な視線を送ってきた。


「翔くん、モテモテじゃーん」


 麒翔きしょうが露骨に嫌な顔を返すと、先客である少女・桜華おうかは悪びれもせずに言ってのける。


「ハーレムは男の浪漫ロマンでしょ?」


 盛大にため息が出る。


「だから目立つのは嫌だったんだ。くるっくるっと返しやがって」

「うん、すごかったよ。公主様と引き分けるなんてわたしも思ってなかった」


 そう。公主様との模擬戦は、結局決着がつかなかった。

 途中で魅恩みおん教諭に止められ、引き分けとあいなった訳だが。


「勝利したならわかる。けど、引き分けでこんなになるか?」

「下院の成績上位者が軒並み歯が立たなかったんだよ。上院の首席と引き分けなら大金星でしょー。そりゃ突然降ってわいた金山に、女の子たちは群がるよね」


「はぁ、頭が痛い」


 群がるという単語に気が滅入めいり、麒翔きしょうは盛大なため息をついた。


「だいたい、何なんだあいつらは。信念ってものがないのか」


 今まで、下院の女子生徒たちは麒翔きしょうのことを見下し、陰口を叩き、時には本人に聞こえるような大声で罵ってきたこともあった。だというのに、公主様と引き分けた、たったそれだけの実績がついた途端、彼女たちは恥ずかしげもなく手の平をくるっと返した。


麒翔きしょうくんってすごい人だったんだね」

「ねえねえ、どうして今まで実力隠してたの? ねーってばぁ」

「すごいです。私、感動しました!」

「あたし、麒翔きしょうくんに興味出てきちゃったな」

「わたくし、あなたはやればできる方だと存じておりましたわ」


 取り囲まれ、質問攻めにされたところを何とか脱出。学園を駆け回って追手を振り切り、息も絶え絶えに逃げて来たというのがここまでの経緯いきさつだった。


「金山に群がるって。なんだその俗物ぞくぶつは」

「あー、ひどーい! それは失礼だよー」

「いや、おまえも似たようなニュアンスだったろ」

「えー、そうかなぁ」


 納得がいかないという風に桜華は首を捻っている。


「だいたい、あいつらお気に入りの男がいたはずだろ。そいつらはどーすんだよ。いいのかよ捨てて。心は痛まないのかよ」

「いいんじゃない? 婚約してたワケでもないんだし」

「前から思ってたけど、桜華ってちょいちょいドライなとこあるよな」

「えー、だって強い男の子が好き。一緒にいたいって思うのは仕方ないじゃん」

「いやいや、百歩譲ってそこまではいいよ。でも簡単に乗り換えるってどうなのよ。前の男は好きだったんじゃないの? どうして簡単に手の平返せるんだよ」

「うー……、それはそうかもしれないけど……」


 桜華は困ったように眉を寄せて天井を仰いだ。

 狭い室内に静寂が訪れる。麒翔きしょうも少しクールダウンして冷静さを取り戻す。

 ふと、思いついたことがあった。それは前から聞いてみたいと思っていたことだった。


「なぁ、おまえはどうなんだよ」

「え? わたし?」

「強い男が好きなのか?」

「ん-、強い人はわたしだって好きだよ」


 適性属性なし。無能の烙印を押された麒翔きしょうは落第すれすれの落ちこぼれである。学園の成績も、上院の生徒を含めた一学年300名中、300位という悲惨なもの。底辺オブ底辺。それが彼の不名誉な肩書きである。


 だから力を信奉する龍人女子からは蔑まれ、見下されてきた。


 力こそ正義。それは純血の龍人である桜華にしても同じはずである。


「じゃあなんでおまえは俺と一緒にいるんだよ」


 いつだって桜華が隣にいた。

 退屈を感じれば話し相手になってくれた。

 おかげで孤独を感じることはなかった。


 0と1の間には天と地ほどの差がある。彼女が味方でいてくれた事が、どれだけ心の支えになったか。感謝してもしきれない多大な恩を麒翔きしょうは感じている。


 どうして落ちこぼれの俺なんかと一緒にいるんだろう。

 ずっと聞きたかったことだった。


 いつになく真剣な麒翔きしょうを前に、桜華はぷぷっと吹き出した。


「さぁ? なんでだろう?」

「知るかよ! 聞いたのは俺だよ」


 いつも通りのあっけらかんとした物言いに、麒翔きしょうは脱力して机に突っ伏した。


「桜華に真面目な質問をした俺がバカだった」

「ぶー、なにそれ。わたしがバカだって言いたいの!?」

「そこは議論の余地なくそうだろ」

「学校の成績はわたしの方が上ですぅ!」

「座学の成績はどうだったっけ」

「うっ、座学は総合成績に含まれないから……」


 旗色悪しと悟ったのか桜華が強引に話題を戻してきた。


「それで翔くんは、誰を恋人にするつもりですかー?」


 不意打ちで麒翔きしょうはむせた。


「あれだけモテモテならよりどりみどりですよね、奥さん」

「誰が奥さんだ、誰が。全員ごめんだ。却下」

「えーもったいないよ。最後のモテ期かもしれないのに」


 麒翔きしょうは女性不信である。

 だが、思春期の彼は、女性に興味がない訳ではない。

 だから一瞬だけ、心がぐらついた。


「いかん、桜華の顔をした悪魔の囁きにやられるところだった」

「なにその悪魔。かわいー」

「自分で言うな!」

「じゃあさ、翔くんの好みのタイプってどんな子なの?」


 考えたこともなかった。麒翔きしょうは石のように固まった。


 身近な女性は桜華しかいない。

 確かに、桜華と一緒にいるのは心地が良い。しかしそれは、恋愛的な好きではないような気がする。それはきっと桜華も同じで。


「そうだな。好みのタイプというか、理想の妻像を話すなら……俺の考えを理解した上で補佐してくれる女がいい。有能なら言うことなしだが、高望みはしない」


 腕を組み、うんうんと唸ること数十秒……ようやく出した答えがそれだった。

 桜華のぱっちり開いた目がすっと細められる。


「つまり、公主様みたいな?」

「は?」


 ぶわっと全身から嫌な汗が吹き出る。

 顔が急激に熱くなるのを感じて、麒翔きしょうはテンパった。


「なんでそうなる!? 公主様はどちらかというと自分に続けってタイプだろ。俺の求める人物像とは真逆だ。てか、おまえも俺の話ちゃんと聞けよ!!」


「へー、そうなんだー」


 棒読みである。まったく信用されていない。


「くそっ。やっぱり厄日だ」


 公主様に目を付けられさえしなければ、このような面倒事には巻き込まれなかった。しかし、冷静になって考えてみると、関わらないという選択肢は最初から存在しなかったように思う。龍王樹の下で出会った瞬間から、運命づけられていたのではないかという気さえする。


「とすると、わざと負けるが正解だったのか……?」


 公主様の観察眼は寒気がするほど鋭いものだった。

 恐らくどのような努力をしようとも見破られていただろう。


 模擬戦が回避不能なイベントだったのだとすれば、肝心なのは発生してしまったイベントへどう対処するかである。ならば、さっさと負けるのが正解だったのかもしれない。勝っても負けても学園の成績には影響しないのだから。


「その言い方だと真面目にやってなかったみたいだね。手抜いてたんだ」


 半目になった桜華が呆れたように言った。

 なかなか鋭い指摘である。


「いや、それが手を抜こうとしたんだけどな……」


 当初の予定では、公主様と同量の《剣気》を放出し、適当に打ち合うつもりでいた。では《剣気》が同等の場合に、何で勝敗が決まるかと言えば、それは剣の技巧ぎこうである。


「公主様の剣の腕は本物だ。俺の攻撃は簡単になされ、一本取られそうになった。だから本気を出さざるを得なかった」


 公主様との技巧差はかなり開いていた。その差を埋めるためには《剣気》の出力を上げ、力技で押し返すしかなかった。前半は技巧差で押され続けたが、後半は《剣気》の差で押し返し、そこからは麒翔きしょうが優勢で事を進めた。周りからは互角に見えたことだろう。だが、


「俺がやったのは、ただ力任せに棒を振り回しただけさ。剣術と呼ぶには、いささか優美さに欠けているんだろうな、やっぱり」

「そうなの? 勝てればよくない?」

「勝ってないけどな」

「ん-、あのまま続いたら勝てそうだったけどなぁ」

「…………」


 下唇に指をあて、思案顔の桜華。

 麒翔きしょうはそれには答えず、長机に肘をついて窓の外へ視線を向けた。

 これが殺し合いならもっと他にやりようはあった。しかし学校の授業として行う以上、あれは互いの研鑽けんさんを深めるための模擬戦でしかない。ならばあれ以上はなく、長引いたとしてもやはり勝負は互角だったのではなかろうか。どちらに軍配があがるかは神のみぞ知るである。




 ◇◇◇◇◇


 広大な上院の敷地には、下院にはない施設が多数存在する。

 その内の一つ。貴族階級の来客をもてなすための施設がある。宿泊施設を兼ねたその建物には、豪華な調度品の整った応接室が設けられている。


 応接室の中央には公主様が不快そうに仁王立ちしていた。


 その足元。


 龍皇りゅうこうに仕える侍女の中で、上位の序列を示す紫の龍衣に身を包んだ侍女頭がこうべを垂れ、ひざまずいている。主へ忠誠の姿勢を見せる彼女は、両手を頭よりも高く、献上品を差し出すように封筒を掲げている。忠誠を尽くされる側の人物は、凍るような冷たい視線を封筒へ落とすと、ふんだくるように掴み取り、中を確認することなくビリビリと破り捨てた。


「こんなところにまで押しかけて来てどういうつもりだ」

「陛下のご命令ですので。どうか」


 額を床に擦り付けるぐらい深く平伏し、侍女頭が申し開きをした。


「見合いは受けん。相手は自分で探すと言ったはずだ」


 おそるおそるというていで侍女頭が反論する。


「しかしながら……公主様に相応しいお相手はいらっしゃらないかと」

「いいや。そうとも限らないようだぞ」


 打って変わって上機嫌な声色に、侍女頭は訝しげに顔を上げた。


「とにかく、侍女頭おまえはもう戻れ。父上には、見つからぬ時は運命を受け入れると伝えろ」


 侍女頭が応接室を辞す。

 一人残された公主様がぽつりとこぼす。


「見つからぬ時はな」

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