第5話 模擬戦

 学園に残るためという大義名分はあったものの。

 入学早々、十万の群れを束ねる最高幹部に喧嘩を売ってしまった。


 さて、夜逃げでもしようか。割と本気でそう考え始める麒翔きしょうをよそに、桜華おうかはエンジンの掛かった舌を振るう。


「だいたい翔くんは、龍人族の文化に無関心すぎるんだよ。群れを作ろうともしない。女の子を避ける。挙句の果てには、人間の街で暮らすからいいなんて言う。気持ちはわかるけど、翔くんは龍人なんだから――むぐっ」


 桜華の説教を黙殺もくさつし、おしゃべりな口を手でふさぐ。

 いつの間にか、他の生徒たちもヒソヒソ話をするようになっている。


 直後、「静粛せいしゅくに!」と魅恩みおん教諭が荒れ始めた場を一喝した。桜華の身体からだがビクリと跳ねる。魅恩教諭がその場をぐるっと一瞥いちべつし睨みつけると、場は一瞬で静まった。若干涙目の桜華から手を離し、頭を撫でてやる。


 静寂に満足したのか魅恩みおん教諭は一度頷き、公主様に自己紹介するよう促した。


 公主様が一歩前へ出る。

 風が強く吹き、長く伸びた黒髪が少女の白い首筋に絡みつくように舞う。


「紹介に預かった通りだ。上院の一学年首席、名を黒陽こくようという。今日一日という短い期間ではあるが、よろしく頼む」


 一旦は静まった場に激震が走った。


「嘘だろ? 首席って女でなれんのか!?」

「上院って名だたる貴族のご令息もいらっしゃるのよね。信じられないわ」


 男は女より優秀であって当たり前。これが龍人族の共通認識である。


 多くの種族において、男の方が戦闘に特化して生まれてくるという傾向はあるのだが、中でも特に龍人族はその傾向が強いのである。

 無論、男勝りな女というのは存在するし、例外も山ほどあるにはある。しかし、それはあくまで血統の異なる男女間での話であって、同程度の血統の場合は確実に男の方が強くなる。


 ましてや最高峰さいこうほうの教育機関である中央の、しかも上院の首席である。女の身でありながら、名だたる男たちを抑えてトップに君臨くんりんするというのは、彼らの理解の範疇はんちゅうを超えていた。


 疑いを向ける者も少なくない。むしろ、手放しに信じている者のほうがまれだ。

 そして、その希少な天然おバカさんが麒翔きしょうの隣にもいた。


「すごいね、翔くん。やっぱり無理にでもサイン貰うべきかな」


 はいはい、と適当に返した麒翔の腕を不満げにぐいぐいと引っ張ってくる。胸が当たっていることに本人は気づいているのだろうか。いや、気づいていまい。麒翔は内心でため息をついた。


「まぁ確かに、嘘をついてるようには見えないな」


 虚言きょげんを吐いたにしては堂々としすぎている。そもそも公主という尊い身分である彼女が、嘘をつく理由がどこにもない。そして魅恩みおん教諭からの訂正も入らない。とすれば、公主様の言葉は事実なのだ。

 麒翔きしょうの同意を得て、桜華の機嫌も直ったようである。

 渦中かちゅうの公主様は、疑念を向けられていることに怯む様子を見せない。


「本当に首席なんですかー? 証拠を見せてくださーい」


 空気の読めない男子生徒から投げられた野次に、眉一つ動かさすことさえしない。少し首を傾げ、何事かを思案し、そして満面の笑みを浮かべた。


「実力を知りたいというのなら。そうだな。私と模擬戦もぎせんをするというのはどうだ? ここにいる全員を叩き伏せれば、少しは納得して貰えると思うのだがな」


 ビシッと模擬刀もぎとうの先端を挑むように男子生徒へ向ける。


 吐いたつばみ込めない。

 挑発を受けた男子生徒は憤然ふんぜんと舞台上へあがった。

 見覚えのある顔だった。カエル顔の男子生徒。


「あれは確か、学年三位の……えーと、誰だっけ」

愚呑ぐどん君」


 そういえばそうだった。

 どうでもいい男の名前などいちいち覚えていられない。


「しかし、馬鹿だとは思っていたが、ここまで大馬鹿者だったとはな」

「公主様に食って掛かるなんて命知らずだよねー……」


 無能の烙印を押されたから。龍人の力を十全じゅうぜんに発揮できないから。

 だから絡んで来るのだと思っていた。

 何度拳で語り合っても学習することのなかった根性だけはある馬鹿な奴。

 そう思っていた。


 しかし公主様に絡んで行くとなると話はまったく違ってくる。

 その愚かさにはもはや哀れみさえ感じるほどである。


 大海を知らぬカエルが吠える。


黒陽こくようとか言ったな。もし俺が勝ったら、どう落とし前つけてくれる!」

「そうだな。万が一負けたなら、おまえの言うことを何でも一つ聞いてやる」


 よどみなくスラスラと公主様が答える。

 そこに迷いや葛藤かっとうは存在しない。あるのは絶対の自信だけ。

 一見するといさぎよい対応だったが、麒翔きしょうは胸の奥がざらつくような不快感を覚えた。


「何でも? 本当に何でもか?」

「ああ」

「へえ。後でやっぱなしは通用しないぜ」


 愚呑ぐどんの顔に下卑げひた笑いが張り付く。

 己の煩悩ぼんのうを隠そうともしない醜態しゅうたい天真爛漫てんしんらんまんな桜華でさえ、顔を引きつらせている。


 龍人族にとって決闘は揉め事を解決する際に用いられる一般的な方法である。

 正式な決闘の場合、賭けるのは己の命と保有する群れの権利。負ければ文字通り全てを失うことになる。


 模擬戦形式で行う以上、それは正式な決闘ではない。だが、立会人の教師がいる状況で交わされた誓約せいやくには、それなりの強制力が働くはずである。もしも約束を違えれば、公主としての面目は丸潰れとなるだろう。とすれば、どのような要求をされても呑むしかなくなる。


 例えば、身体を要求されたとしても。


 張りのある瑞々みずみずしい肌。淫靡いんびに揺れる肢体が脳裏に浮かび、麒翔きしょうは不快感に歯噛みした。


「万が一ってこともある。負けたらどうすんだ」


 ちらりと隣へ視線を向けると、桜華が心配そうに勝負の行方ゆくえを見守っている。大きな瞳に薄っすらと涙がにじんでいるのは気のせいか。無類のお人よしめ。同性としてのよしみか、完全に感情が入ってしまっている。


 舞台上で両者が構える。

 それだけで麒翔には勝敗が見えた。


「心配はいらねえよ。公主様の勝ちだ」

「え? なんで?」


 龍人族の使う剣術はただ剣を振るうだけではない。

 体内を巡る《気》を練り上げ、増幅させた《気》を剣にまとわせることで、剣の切れ味・破壊力を増幅し、戦うのである。当然、剣士として大成するためには、剣の技巧に加えて《気》の練度が重要になってくる。


 そして《気》の練度が達人の域に達すると、《気》は《剣気けんき》へと昇華される。それはしばしば「炎が揺れるように立ち上り、煙のように立ち消える」と表現される。今までは剣をただコーティングするだけだった存在が、剣から立ち上る高次のエネルギー体へと変わるのだ。


 しかし、桜華への説明は難しい。なぜなら《剣気》は同じ領域へ達した者にしか見ることができないからだ。麒翔きしょうの知る限り、下院の生徒で《剣気》を扱える者は、自分を除いてはいない。話したところで証明のしようがないのだった。

 そして今、この学園に入学して以来初めて、他者の操る《剣気》を目の当たりにした。群青色ぐんじょういろの《剣気》が公主様の持つ模擬刀から立ち昇っている。美しいと思った。目を奪われた。


 勝負は一瞬だった。

 《気》と《剣気》では質の次元が違う。まともに受ければ模擬刀を吹き飛ばされるか、真っ二つに破砕されるかの二択。力をうまく流そうとしても、腕にかかる負荷に耐えられないだろう。

 結果、開始から間もなくして、カエル顔の男子生徒は舞台に横たわっていた。気を失うだけで済んだのは、運が良かったわけでも神のご加護が働いたわけでもなく、公主様の卓越した技巧によるものだった。


 公主様は勝利の余韻よいんひたることもなく「次は誰だ」と言った。

 学年三位が瞬殺されたのである。軽々と出られる者などいるわけがない。

 重苦しい空気が場を支配する。

 沈黙を破ったのはやはり公主様だった。


魅恩みおん教諭、手筈てはず通りよろしいだろうか」


 魅恩教諭の眉間に一瞬だけしわが寄るのを麒翔きしょうは見逃さなかった。彼女は何事かを思案し、そして声を張り上げた。


盛館せいかん舞台にあがれ」


 盛館せいかんと呼ばれた大柄な男が舞台に上がる。

 麒翔きしょうの記憶が正しければ、その男は下院の一学年・首席であったはずだ。つまり、下院と上院の一学年における頂上決戦ということになるのだが、見るまでもなく結果はわかりきっていた。


 麒翔きしょうは天を仰いだ。

 盛館せいかんの巨体が白龍石の舞台に沈む。


「期待外れだったか……もしかしたらと思ったのだがな」


 勝利したはずの公主様は見るからに落胆している。

 そして各学年の成績上位者が、順番に呼ばれては倒されてを繰り返していく。


「なるほど。総合成績順で呼ばれているのか」

「残念だったね、翔くん。剣術なら一矢報いれたかもしれないのに」

「残念なもんか。逆に助けられたってもんだろ」

「えー? 公主様にアピールするチャンスじゃん」


 入学当時の麒翔きしょうは、確かに女の子に良いところを見せたいという願望を持っていたし、多少目立つように剣の腕を振るっていた。


 だが、それは昔の話。


 多くの女子たちに手の平を返され罵倒されたことで、彼の価値観は百八十度捻じ曲がってしまっている。


「剣術ができるから優秀だ。なんて勘違いをされたら堪ったもんじゃない。失望されるのはもうたくさんだ」


 三学年の首席が地面に力なく倒れ伏す。

 公主様が悲しそうに吐息する。


 模擬刀を無造作に振るい刀身とうしんまとわりつく《剣気》を煙のように散らす。美しい花にはとげがある。交わってはならない身分差であると知りつつも、凛々りりしく美しい横顔につい目がいってしまう。不意に、真横へ睨みつけるような形で公主様の瞳がこちらに照準を定めた。目が合った。

 とっさに目を背ける。遅かった。公主様はゆっくりこちらを振り返り、今度は真っ直ぐに麒翔きしょうの方へと向き直ると、遠慮のない視線を寄越した。どうか自分ではありませんように。麒翔きしょうは信じてもいない神に祈った。無駄だった。


「おい、そこのおまえ。見えているだろう?」


 皆の視線が列の後ろに座る麒翔きしょうへ集まる。

 半ば無駄な抵抗と知りつつも「何も知りませーん」という風を装って、麒翔きしょうも後ろを振り向いてとぼけてみせた。後ろに座っていた女子生徒が「え? 私?」という顔をしてきょろきょろ辺りを見回す。


「ほう。いい度胸をしている」


 いつの間にか、公主様が目の前に立っていた。

 観覧用の長椅子に座ったままの麒翔きしょうはその美しい顔を見上げる形となる。その鼻先へ模擬刀の切っ先が突き付けられている。


 風に流された黒髪が麒翔きしょうの鼻先をかすめた。

 女の芳香ほうこう鼻腔びこうをくすぐる。


 公主様と目が合う。魔性の瞳に見つめられ、心臓が緊張に跳ねた。困惑する麒翔きしょうの顔を公主様がまじまじと覗き見る。不意に、公主様の瞳が大きく見開かれ、自然な形で薄桃色の唇が三日月に笑んだ。


「なるほど。少しは運命というものを信じてみたくなったぞ」

「えーと、なんのことかな」


 今度は本当に意味がわからなかった。

 公主様の眉間にしわが寄り、目が細められ鋭い光がその瞳に灯る。


「見えているだろう、これが」


 麒翔きしょうの鼻先で、模擬刀の先端に《剣気》が宿った。そのまま剣先がぐっと押し出される。当たれば痛いでは済まない。とっさに身をよじりかわすと同時、模擬刀を掴んでその軌道を変えていた。


「やはりな」

「やはりな、じゃねえよ! あぶねえだろ」


 公主様に目を付けられた理由はなんとなく察しがついている。

 先ほど、麒翔きしょうは模擬刀から散る《剣気》――同じ領域に達した者にしか視認できないはずのそれ――を一瞬だけ目で追ってしまった。その微妙な視線の変化を機敏きびんに察知したに違いない。これだけ多くの生徒の視線に晒されながらも、たった一人の視線の変化、小さな違和すらも見逃さない。なんという観察眼なのか。麒翔きしょうは改めて公主様に畏怖いふの念を抱いた。


「見えているから必死に避けたのだろう」

「見えてなくても普通避けるだろ!」


 公主様がにやりと笑った。悪女たらんその悪辣あくらつな笑みも、美で装飾されると魅惑的に映るのだからたちが悪い。漆黒の瞳が勝ち誇ったようにこちらを見下ろしている。

 そして麒翔きしょうは己の失言に気が付いた。「見えてなくても」この一言は余計だった。これは見えていることが前提の発言だからだ。これでは認めたも同然。遅ればせながら彼女が笑んだ理由を悟る。


「受けてもらうぞ。さぁ立て」


 もはや麒翔きしょうに打つ手は残されていなかった。わらにもすがる思いで、立会人たる魅恩みおん教諭に救援の視線を向けると、手のジェスチャーだけで立てと命じられた。


(まぁそうだろうな……)


 心の中でため息をつく。他の科目なら希望はあった。落ちこぼれの麒翔きしょうを相手にさせても時間の無駄と判断した可能性が高いし、実力差を理由に止められていたかもしれない。しかし、剣術に限っていえば「最優」の評価を受けている。止める理由がない。


「まぁ希望に沿うことで借りを返せるならそれでいいか」


 ずっとお礼を言いたかった。龍王樹の下で勇気を与えてくれたお礼を。


 舞台の中央で対峙する。

 公主様が構えを取る。小さく華奢きゃしゃな体であるはずなのに、背筋を正して模擬刀を真っすぐ構えた彼女は大きく見えた。その威風堂々いふうどうどうたるたたずまいからは王者たる風格さえも感じさせる。


 公主様の周囲に《気》が満ちている。《気》はやがて《剣気》へと昇華され、模擬刀から揺らめく炎のように立ち上る。心地よい《剣気》だった。これだけ練度の高い《剣気》を練れる学生が、自分以外にもいたのだと感動すら覚えた。


 覚悟を決めるしかない。麒翔きしょうは《気》からの変換を経ずして、一気に《剣気》を解放した。不動だった公主様の表情にそこで初めて驚きの色が浮かぶ。


 頭の中でプランを立てる。


(これは殺し合いじゃない。あくまで剣術の稽古。その延長だ)


 プランは決まった。

 魅恩みおん教諭が腕を振り上げ、開始を宣言する。


「それでは、始め!」


 開始と同時、両者は一足飛びに相手の懐へ飛び込んだ。

 刹那、凄まじく高純度に圧縮された《剣気》と《剣気》の本流が激突した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る