衛兵

 お屋敷を出る前にリラは眠るおばあさまの体を拭いてやっていました。

 おばあさまの体にはたくさんの傷があります。そして、いちばん惨いものは背中にある痣です。今はもう見慣れていますが、幼い頃はこの痣が恐ろしくて仕方なかったものです。

 どうしてこんなに痛々しい傷ができてしまったのか。リラは一度尋ねてみたことがあります。その時、おばあさまはいつものようにやろうとニヤニヤしていましたが、少し考え込んで、真剣な顔つきになって応えました。

「アタシがまだアンタみたいなガキの頃だ。アタシは今よりずっと裕福な暮らしをしていた。が、両親がとんだクソ野郎でね。出来損ないのアタシにたくさん暴力を振るってきたんだ。それでアタシの体は傷だらけになっちまった」おばあさまはリラの肩を撫でながら続けます。「リラ。運の良いことにあんたの体はキズモノにならなかった。そして顔も悪くない。だからおまえはアタシと違って街で働くことができる。いつかはこの屋敷を出て一人で暮らすんだ。これは残酷なことじゃあない。リラには自分の力で食っていける力があるってことさ」

 その時、おばあさまがはじめてリラを抱きしめたことを、今でもリラは憶えているのでした。

 リラは眠るおばあさまの痣にキスをします。きっと、おばあさまが魔女になれたとしても、この傷が癒えることはきっとないでしょう。それでも、愛するということで過去による痛みが和らぐことをリラは願いました。

 支度を終えて玄関へ向かうと、そこでラルフが待っていました。

「準備はできたかい?」

「ええ、できたわ」

「よかった。――さあ、外の世界が待っているよ、リラ」

 まだ一人で生きるにはやわすぎる両手で見慣れた扉を開くと、渇いた木枯らしがリラたちを吹き抜けていきました。

 

 街へ続く道を降っている間に、リラは街についてたくさんのことをラルフから教わりました。

 街は毎日活気に溢れていて非常に愉快だということ。世界中からたくさんの商品が入ってくるということ。そして目当ての物はなんでも見つかるということ。それを聞いた時、リラの心はふっと軽くなりました。おばあさまを眠りから醒ます星はきっと見つかるのだわ、と。

「それでもあなたは街で星を見かけたことはないのよね、ラルフ」

「ああ。だが、街はとても広いんだ。きっと見つかるさ」

 森の木々がざわざわと枝葉を揺らしました。その音が自分たちをあざ笑っているように思えて、リラはひどく怯えます。雲行きは怪しく、遠くからは雷鳴が聞こえます。外の世界はわたしを歓迎していないのだわ、リラはそう思いました。


「もうすぐ街に着くよ」ラルフはリラの肩を軽く叩きました。

 顔を上げると、今まで聞こえていた不気味な世界とは打って変わって、華やかで騒々しい音がたくさん聞こえてきました。慣れない喧騒にリラは頭が痛くなりますが、それでも必死に前を向きます。

 しばらく歩いていくと、街の入り口である門塔に体の大きな男がリラたちをじっと見つめているのに気づきました。

「あの人はだれ?」

「彼は街を守る衛兵だ。大丈夫だよ、話のわかるヤツだからね」

 衛兵はカラスみたいな鋭い眼光でこちらを凝視しています。門塔にすっかり近づいたとき、彼はうねるような低い声で尋ねました。


「何者だ」

「ラルフ。マクミラン家の一人息子」

「目的は」

「帰ってきたんだよ。このアホらしい街に」

 リラは驚きました。どうしてこの街を「アホらしい」なんて言うのでしょう。衛兵が怒りださないか、リラは恐る恐る衛兵たちの顔色を伺おうとします。

 すると、衛兵は陽気な声をあげました。

「よーく帰ってきた。一年ぶりだな、放蕩息子のラルフ。『アホらしい街』ってか、そんなこと聞いたらお前の親父が顔真っ赤にして飛んでくるぞ!」

「出来栄えの悪い親父のツラなんぞ、ちょっとは赤くなったほうが面白くなるのさ」

「違いねえ。あいつはまたお妾さんに夢中だぜ。市長の仕事も忘れきってな。――ところで、その嬢ちゃんは?」

「この子はリラ」

 ラルフは屈み、そして衛兵と話していたときとは違った優しい声でリラに話しかけます。「こいつの見た目はおっかないが、話をしっかり聞いてくれるヤツだ。さ、星のありかを聞いてみなさい」

 リラはちいさくうなずくと、たくさん息を吸い込んで声を出します。

「わたしはリラ。魔女の弟子よ。星を探しに来たの」

 そんなリラの言葉を聞いた衛兵は、大きな目をまじまじと開き、ラルフの顔を見やると笑い出しました。

「ついに『本物』を見つけたのか! この嬢ちゃんを街に連れ込んだら、お前を通り越してこの子が売れちまうだろうな」

「ああ、リラは本物の魔女見習いさ。修行もしていたのだから」

 衛兵はリラの目をじっと見つけて話かけます。

「リラ、俺は星を見たことがねえ。だが、運の良いことに街の東に異国からの行商人が来ている。そいつに話聞いてみたらどうだい?」

 それから衛兵はリラの頭をわしゃわしゃ撫でながら耳打ちします。

「街はたくさんの人がいる。ラルフは街でかなりの力を持っているが、敵もたくさんいるんだ。もしラルフがひどい目に遭ったら遠慮なく逃げなさい。おまえはまだ幼いのだから、こんな街で果ててはいけない」

 リラはわけもわからないまま頷きました。ラルフは街で力を持っていて、ひどい目に遭う? 今までの会話で街は危険だということをちっとも教えられていなかったので、リラは街が恐ろしくなります。

 すると、ラルフは通行手形をひらひら掲げながら話ます。

「大丈夫だ。リラには危害を及ばせないし、おれも五体満足で街を出る。余計な心配するなよ。ま、老人は心配することが仕事だものな。それじゃあまた会おう、老いぼれジジイ」

 ラルフはそう早口で言い終えると、衛兵の返事も待たずにリラの手を引いて門をくぐり抜けました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リラは星の子 花森ちと @kukka_woods

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る