32. 未来の「グローリアスト」のために

 ところで、マサさんや藍染あいぞめ先生が熱中している『グローリア』について、この頃になって、ようやく調べるようになった。


 藍染先生のお子さんも、このカードゲームにハマりつつあるらしい。あのショーケースのカードやパックを買うひとの数が、これから増えるかもしれない。だから、知識がまったくないと対応が難しいと思ったのだ。


 しかし自分でプレイするには、お金も時間もないため、ルールやカードの種類などを調べるにとどまっているのだけれど、びっくりするような発見がたくさんある。


 一枚で万単位まんたんいで売買されるものもあり、お金に困ったときには、珍しいカードを数枚売れば、生活の糊塗ことしのぐことができるかもしれない。


 そして、カードパックを開封するときの楽しみも、なんとなく分かるようになった。というのも、『グローリア』について勉強をしているうちに、偶然見つけた、パックの開封をしている配信者のリアクションが、それを如実に伝えてくれたからだ。


 なにが入っているのか分からないから、必ずお目当てのものに巡りあえるわけではない。だからこそ、欲しいカードが手に入ったときの喜びは計り知れない。ようは、ギャンブルに似たような快感があるのだと思う。


 だけど、実際にプレイしていない分、いくら文面で読んでも、対戦動画を見ても、ルールだけは覚えられない。


 メゾンでは、『グローリア』の需要の増加にともない――といっても、藍染先生とそのお子さんだけなのだが――、新しいシリーズのパックの取り扱いをはじめることになった。


 マサさんが言うには、ふるいカードだけでデッキを組むのにはお金がかかるから、新しいカードを手に入れられるための「回路」を作りたいのだという。新参の《グローリアスト》が増えるようにしたいらしい。


 そして、マサさんが厳選した、百枚のカードをランダムで封入したパックを、三百円という比較的に安価な値段で販売することになった。


     *     *     *


「5パックですね。二千円になります」

 お札を二枚受け取り、シールを貼ったパックとレシートを渡すと、藍染先生は、「たまにはパックの開封を楽しみたいなって思って、家に帰る前に寄っちゃった」と微笑む。その表情から、抑えきれない、わくわくとした気持ちが伝わってくる。


「たしか、このパックって、六千円くらいの価格がついているカードがありましたよね」

「えっ! 知ってるのっ!」

 ぼくたち以外にだれもいない店に、先生の嬉しそうな声が、軽快に弾けた。


「これから先、もっと本格的に扱うようになるかもしれませんし、少し勉強をしはじめたんですよ」

「そっかあ。楽しみだなあ。うちの子も、もっとハマっていくだろうし」

「マサさんも、先生のお子さんからどんどん輪が広がっていくといいなって、言ってました」

「そうねえ……いまは、わたししか相手をしてあげられないから、そうなってくれると、すごく嬉しいなあ。いつも遊んであげられるわけではないし、それに、上の子と対戦すると、喧嘩になったりするのよね……」


 こういう砕けた会話をしていると、先生は突然、手を打って「そうだ、そうだ」とつぶやいた。なにかを思いだしたらしい。


「今日ね、新任の先生との顔合わせがあったんだけど、そのなかにね、藤棚扇ふじだなおうぎ先生という方がいらっしゃって、ちょっとお話ししたの」

「あっ、もしかして、神凪かんなぎ先生と前の大学で一緒だったっていう……」

「そうそう。じゃあ、こはん――じゃない、神凪先生から聞いているのね」


 普段は下の名前で呼び合っているらしいけれど、学生の前ではちゃんと名字を使っている。だけど、プライベートでの会話では、気が緩んでしまうみたいだ。


「でね、その藤棚先生に鱗雲うろこぐもくんのことを話したら、すごく興味を持って下さってね。一度会ってみたいっておっしゃってたわ」


 えっ? ほんとうに?

 そんな経験はいままでなかったから――ほとんど、見向きもされない研究をしてきたから――、びっくりしてしまう。


「だから、もしよかったらアポイントメントを取ってみて」

 一度お目にかかりたいと思いながらも、まったく知らないひとだけに、少し足踏みをしていたぶん、この報せは大きな後押しになってくれた。


「きっと藤棚先生も、鱗雲くんの味方になってくれると思うわ。お話しをしていて、そう感じた」


 またねと手を振って、先生は帰っていった。店の前の小さな駐車場から、車が去っていく様子が、日本海の穏やかとはいえない波の音のなかから、はっきりと聞こえてきた。


 来年度は、とても忙しい生活を送ることになると思うけれど、それでも、充実した一年になるだろうという予感がした。

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