31. テレビの中に

 チャンネルを回していると、サッカー中継が目に入った。よく知らないけれど、日本のサッカーリーグが開幕するのは、春くらいからだった気がする。


 しかし、どうやらこれは国際試合らしく、画面の右上には煽り文句で「ヨーロッパの強豪国との対戦!」と書かれている。「0-3」と負けているせいか、解説のひとも「次に繋がる攻撃をしてほしい」――だから「1点は取ってほしい」というような、未来を見据みすえたコメントをしている。


 なにか反則があったのか、試合が止まったところで、観客席が映しだされた。そのときだった。両国のユニフォームをそれぞれ着た、ふたりの女性を、カメラがとらえたのは。


「えっ、えっ? えええっ! 胡桃ことう先生と……ロベール先生?」


 きっと、その美しさに見惚みとれていたのだろう。カメラはしばらく、ふたりの様子を映し続けていた。実況と解説のひとも、黙ってしまっている。

 そして、カメラが試合の行方を追いはじめたときには、山なりに蹴られたボールが、ネットを揺らしてしまっていた。


 きっと、お茶の間で観戦をしているひとも、ネットに書き込みをしながら見ているひとも、ざわついていることだろう。フリーキック(だっけ?)を蹴るところではなく、観客席にいるふたりの女性を十数秒ものあいだ映していたのだから。


 SNSをまったく見ないから(というよりアカウントを持っていないし)、どういう反響を呼んでいるかは分からないけれど、試合のハイライトに移る前に、、仲睦まじく売店の料理を分け合っている姿を十数秒も映しているのだから、一部で話題になっていることは確かだろう。


 というか、この試合をテレビで観ているうちの学生もいると思うのだけれど、いまのを見て、どういう心境でいることだろう。少なくともぼくは、ちょっと気恥ずかしい感じがしてしまう。こそばゆいというか、照れてしまうというか。


 中継が終わる前にチャンネルを変えて、バラエティ番組を流すと、またびっくりすることが起きた。


 そのトーク番組のゲストに呼ばれていたのは、なんとに見た「美月」さんだったのだ。一度見ただけで忘れられなくなるくらいの美貌なだけに、間違いようがないし、彼女のことを「美月ちゃん」と呼んでいるひともいたから、別人ということはないだろう。


 美月さんは、どうやらモデルさんらしく、レギュラー陣からのいろいろな質問に、受け答えをしていた。


『じゃあさ、じゃあさ。美月ちゃんの好きなタイプって、どんなひとなの?』

『正義のヒーローみたいなひとです』

『見た目がかっこいいとか、筋肉がついているとか、そういうこと?』

『うーん、なんというか。わたしが困っているときに、身をていして助けてくれるひとですかね』

『ああ、そういうこと!』

『いままで、一度だけ、そういうひとに会ったことがあるんですよ』

『えっ? じゃあ、そのひとと付き合ったりとか?』

『それが、ないんですよ。そのひとには、彼女さんがいましたから……』


 受け答えがしっかりとしているし、質問をしている芸人さんたちも、共演者として、美月さんのことを信頼しきっているような感じもする。


 いままでテレビを観ても、その姿が映っているところを目にしたことがないから、ここ最近、注目されはじめたひとだろうか――と思ったけれど、たんにぼくが、テレビを観る機会が減ったから気付かなかっただけだろう。


 トークをしている美月さんの姿――口をおさえて笑ったり、うんうんと頷いたり、目をしばたたかせるといった細やかな動きだったり……に眼を釘付けにされて、なかなかチャンネルを変えられない。


 結局、この番組が終わってからテレビを。そして、背伸びをした。骨が鳴る音がした。

 リフレッシュになった……のかな? びっくりすることが立て続けに起こったことで、あの悩みが一時的に頭の外へと逃げていったのは確かだ。


     *     *     *


 注に「S/RES/××, p.2, para.3.」と打ち込むところから、執筆を再開した。これは「安保理決議××」の「2頁」の「第3パラグラフ」から引用したという意味だ。


 注はページごとにまとめるように言われている。前にいた大学では、文末にまとめるよう指示されていた。ぼく個人としては、研究書を読んでいて、章の最後に注が整理されていると、ページを往復しなければならないから、少し煩雑に思ってしまうので、脚注(それぞれの頁の下に注をまとめる)の方が好きだ。


   ――――――


 注26 神凪湖畔「国際海洋法の解釈を巡る島嶼国の対立の諸事例」『琥珀紋学院大学文学部紀要』(琥珀紋学院大学)、第38巻、第2号、2019年、64-65頁。

 注27 同上。

 (……)

 注41 胡桃、前掲書、108頁。

 注42 Kannagi, op. cit.

 注43 Ibid, pp.104-105.


   ――――――


 修士論文となると注の数も膨大になる。胡桃先生や神凪かんなぎ先生の研究成果を引用していると、この先生たちのもとで学んでいるのだと実感する。


 ぼくはもう、あの悪い夢のことを、ほとんど覚えていなかった。しっかりと眠気が訪れてきたし、素直に眠ろうという気にもなった。

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