くすぶり

myz

 

 ひさしぶりにあの子から連絡があった。

 細かい時期はもう覚えていない。ただ、僕もあの子も時間に暇があったときのはずだから、大学四年の夏季休暇の間か、僕がろくに就職活動もしないまま卒業して、漠然とした夢をだらだらと引き摺りながらあてどないニート生活をしていたころのことだったと思う。

 そのころ僕が暮らしていたのは地元から遠く離れたとある地方都市だったのだけれど、程よく都市機能が整備された中心部と昔ながらの街並や寺社が立ち並ぶ区域が共存していて、住民にも伝統的な文化や芸術を尊ぶ気風があり、辺境の田舎町から出てきた僕にとってはとても魅力的な土地だった。

 あの子からの連絡も、ひさしぶりに僕とも会いたいし、一度こちらに来てみたいので、観光に一日つきあってくれないか、というものだった。僕のアパートの部屋に一泊させてくれたらありがたい、とも言う。

 僕はあまり深く考えず、二つ返事でOKをした。


 僕があの子と知り合いになったのは、高校に上がって同じクラスになったときだった。たしか、中学校も同じだったようなのだが、そのときはクラスが違ったので、特に交流を持ったことはなかった。

 僕は幼少のころは、親に言わせれば、口から先に生まれてきたような子、ということで、誰にでも物怖じせずに突っ込んでいくようなクソガキだったそうなのだが、小学校の中学年ごろにはなぜかすっかりおとなしくなってしまって、気軽に言葉を交わせるのはごく一部の気の合う友人だけで、それもできなければ図書室で借りてきた本が友達、という具合の気質になってしまっていた。そうなるようななにか特別な挫折体験があったのかどうかは、いまとなってはよくわからない――これは両親の名誉のためにも言うのだが、僕の父母がいわゆる毒親というヤツで僕が不当な扱いを受けて自己評価を歪められて育ったということはけしてない。むしろ、母は祖母(母にとっての母)が教師だったということで、自身が勉学についてあれこれ締めつけられて窮屈な思いをした体験を鑑みて、僕には放任主義というか、それでも悪いことをしたときはちゃんと叱ってくれるという態度で接してくれたし、父にしても、画家を志し一度上京したが、ものにならずに地元に戻ってきて、結構堅い職に就いて母と所帯を持ちながらも絵のほうは続けて、市展や県展に出品を続ける趣味人(ついでに自称クリスチャン)というわりと奔放な人だったので、あまり厳しく躾けられた覚えがない――ともかく、なんだか話が脱線してしまった。要は僕はいったい何がきっかけだったのかはわからないものの、気がついたらコミュニケーション不全の、いわゆる根暗なオタク少年になっていた、ということだ。

 中学生になってもそういうキャラクターは変わらず、僕は学校の休み時間は自席に突っ伏して寝ているフリをするか図書室で背伸びして借りてきた海外文学を読むでもなしに文字に視線を這わせているような賢しらげな小僧だったのだが、幸いなことにというか、勉強が嫌いなくせに勉強はできるタイプの人種だったので、一応は優等生というポジションを確保できていて、特にクラスで蔑ろにされるとか、イジメの対象にされることもなく過ごすことができた。

 そうして高校に上がったのだが、ここでも僕は恵まれていて、クラスには本当にいろいろなタイプの人間が集っていた。バリバリの体育会系で野球部に所属している子もいたし、気のいいお調子者でクラスのみんなをいつも笑わせてくれる子もいたし、女子でもいまでいうギャル系の子もいれば、高校生にしてみんなのオカンのような、謎の包容力を備えた子もいた。それぞれ各人の素養に合った者同士で緩いクラスタを形成することはしたが、その上でそれぞれのクラスタを緩く認め合う、寛容なムードのあるクラスだった。

 そういうところで、僕はあの子と知己を得ることになった。

 先述のとおり僕は根暗なオタク少年だったわけなのだが、あの子はそういう方面にも理解があるというか、本来なら男児向けの特撮ジャンルにも詳しく、なんなら仮面ライダーならクウガが激推しという、非常にコアな趣味を持っている人で、気づけば他のクラスタに嵌まれなかった、謂わばハグレモノ(僕とあの子も含む)の変人枠の人種が数人、男子と女子ともに寄り集まり、小規模なクラスタを形成するに至っていった(そういう集合でも別に差別されることもなく、他のクラスタとも緩く連携ができる雰囲気があったことも、あのクラスはやはり特別なものだったといまになって思う)。

 あの子はまた僕とは違い、笑顔が明るい真っ当なコミュニケーション能力にも長けた人だったのだが、それでも僕も属する小規模なクラスタのことを尊重してくれている風があって、よくウェブ上で間歇的に話題に上る、男性と女性の間の友情というのものは果たして成立し得るのか? という問いに対する、力強いYESを体現してくれていた人だったと感じる。

 そう、このときの僕とあの子とを結ぶ紐帯は、恋愛感情ではなく、純粋な友情であったと思うのだ。

 ただ、これには僕の絶対的な対人経験の不足による、恋情と友情とが弁別できていなかっただけのことだったのではないか、というエクスキューズが入る。

 当時――というか、いまになっても、僕は、恋愛感情、というものがいったいどういったものであるのか、理解できないままでいる。

 もちろん、僕にも、この子は可愛いな、とか、この子に告白をして、もしも付き合う、という状況になったとき、そうなればとても幸せだろうなあ、という感情を持つことはあった。しかし、その気持ちを相手に打ち明けて、もしも拒絶されるようなことがあれば、僕はとても耐えられないだろう、という怯えが常に僕の行動を邪魔した。

 そもそも、付き合う、というのはいったいどういう人間関係を指すのだろう? もしも僕が、誰かと付き合う、という関係にステップアップしたとして、どういう態度を取って接するのが正しいのだろう?

 わからない。僕にはなにもわからない。

 そういう体たらくであったから、僕はあの子のことをただ、好ましい、と思いつつ、それ以上の関係に踏み込もうとすることがなかった。

 幸いなことに、というか、僕が入ったクラスは特殊な専攻科で、高校の三年間の間、クラス替え、という一大イベントを一度も経験することなく、同じ固定されたメンバーのまま、他人の属性を尊重し合うクラスメイトたちが集合した、心地よい環境を保ちつつ高校生活を過ごすことができたと思う。

 僕とあの子の関係も、三年の間親交を温め続けてきた気の置けないオタク仲間というか、良い友人(友人以上恋人未満というのは自惚れが過ぎるだろうか?)という間柄のまま、僕たちは高校を卒業して、僕は先述したように遠い地方都市にある大学に進学し、あの子は僕たちの地元の市が属する県の県庁所在地である市にある専門学校に進み、道を違えることになった。

 ただ、頻繁とは言い難い間遠なメールのやり取りや、夏季休暇のような長期の休みの間のときに帰省した際に連絡を交わし、実際に会って近況を報告し合うような、ごくありきたりな友人関係は途切れずに維持された。

 そうした関係を続けた先に訪れたのが、あの子が僕の居住地に来訪するという機会だったのである。


 そうして、僕はあの子を居住地のJR駅で出迎えることになった。

 ひさしぶりに会ったあの子は、高校のころと変わりなく、明るい笑顔で僕と挨拶を交わした。とりあえず僕たちは手近なイタリアンのレストランで腹ごしらえをしたのを覚えている。その後、僕はあの子の観光案内をすることになったわけだが、僕は出不精でものぐさな生活をこの興味深い土地に住みながらも数年間送り続けていたので、逆に僕があの子に引き連れられるような、良くわからない状態になった(具体的にこの場所に行くには、どこでどう市営バスを乗り継げばいい、というようなサポートはできたと思うのだけれども)。

 あの子は僕が住む地方都市の情報についてきちんと予習していて、あの子が行きたいと希望したスポットの中には、事前予約をすれば一定の人数の集団ごとにスタッフの解説付きで内部を観覧させてくれる、特殊な構造を持った寺社もあった。そうした手配も、あの子は抜かりなく済ませてくれていたのだ。その近辺の、旧い街並が保存された区域も、あの子と一緒に、僕は初めて遊覧した。

 その後、街の中心部に戻り、その当時では新設だった、いわゆるホワイトキューブ形式の、展示室の様式に惑わされずに作品と向き合える、現代芸術の展示に特化した美術館もふたりで観覧した。

 そこで、一旦休憩ということになって、美術館と道路を挟んで向かいに位置する喫茶店に僕たちは入った。そこで僕とあの子がどういう話をしたのかは、具体的には覚えていない。その日にそれまで巡った観光スポットの面白かったところを改めて話し合ったり、お互いの普段の生活のことや、とりとめのない雑談をしたのだと思う。ただ、その中であったひとつのやり取りのことを、僕はいまになってもどうしても忘れられずにいる。

 やはり細かな言い回しは覚えていないのだけれど、あの子はこんな風なことを言ったのだと思う。今日観光している間のことについて、結構カップルの人も多かったね、とか、そんなようなことだ。

 そこで僕は、ほとんど反射的に、こんなことを口走りそうになった。


「じゃあ、僕と君も、人から見たらどういう風に見えるんだろうね?」


 ――いま、こうして、ふたりで観光地巡りをして、休憩に喫茶店に立ち寄り、向かいの席でコーヒーを飲みながら語り合っている、僕とあの子との関係というのは、どういったものなのだろう?

 さっき、僕は、僕とあの子は互いに良い友人同士という関係のまま高校生活を終えた、という風に語ったけれど、それがじつは僕があの子に恋愛感情を抱いていて、その思いを打ち明けられなかった僕の臆病さの帰結に過ぎなかったのか、本当にあのころの僕はあの子に対して純粋な友情しか持っていなかったということなのか、いまとなっては遠い記憶の彼方だ。本当のことは誰にも(僕にも、あの子にも)確かめられない。

 ただ、このときの僕が、あわよくばあの子と恋愛関係になれれば、という感情を持っていたのは確かなことだろう。

 つまり、僕はあの子に堂々とそういう気持ちを打ち明ける勇気もないくせに、なお最低なことには、あさましくもあの子のなにげない発言に乗っかって、あの子の気持ちを確かめようとしたのだ。

 幸いなことには、そのときの現実の僕は上述のような発言をすることはなく、まあ、そうだったかもね、とか、無難な言葉であの子の言葉を受け流した。そういう意味で、さきに僕が、ひとつのやり取り、と表現したことには語弊がある。結局は、僕の勝手な妄想に過ぎなかったのだから。

 そして、さらにすこしの時間、他愛のない会話を交わし、ふたりでコーヒーを飲み終え、僕とあの子は喫茶店を出た。


 その後も僕とあの子は何箇所かのスポットを観光し、夕食を取り(たしか適当な、安価なチェーン店の類だったのだと思う。今更になって思えば、こういうときに地場の産品をおいしく食べさせてくれる居酒屋の予約でもひとつ、入れることすらしなかった、友人を迎えるホストとしての自身の意識の低さに閉口するばかりだ)、いよいよ僕の暮らすアパートの一室に向かうことになった。

 ここで僕はもう一度、このとき僕がどのように愚劣であさましい欲望を抱いていたのか、告白しなければならない。

 最初にあの子から連絡があって、観光ついでに僕の部屋に泊まらせてほしい、ということになったときに、僕があまりなにも考えずに気安くOKした、ということは、きっと事実だろうと思う。ただ、僕はあの子の来訪予定日が近づいてくると、こういうことを考えるようになった。

 つまり、これはそういうことなのではないか? お互いに憎からず思っている男女がひとつの部屋で一夜を過ごすというのは、つまりはそういうことなのではないのだろうか?

 ……じつに浅薄で、恥知らずな考えだが、当時の僕が本気でそのような都合の良い思惑を心に描いていたということは否定のしようがない。なにしろ、僕はあの子が訪れる数日前、コンビニで本来なら使う宛もない男性用の避妊具を購入し、実際に装着する仕方や、感触などを確認し、残りを自室の目立たないところに隠し持っていた、という記憶だけは、いやにはっきりと僕の脳ミソの中にいまでも刻みつけられているのだから。

 結局、僕はたしかな恋愛感情で結ばれているわけでも全然ないあの子のことを、一方的に自身の卑しい欲望の捌け口にしようと企んでいたということで、この企みはまったく言語道断の、蔑まれるべき腐り果てた僕の性根から生まれたものだ。

 ただ、これも幸いなことにというか、僕があの子と僕のアパートの一室に帰り着いたころには、僕は慣れない観光地巡りですっかりへとへとになってしまっていて、僕は先にざっとシャワーを浴びると、自室の1Kの1のほうの床に敷いたマットに早々と横たわって掛け布団にくるまってしまい、あの子がユニットバスを使うのを意識の遠いところで聞いた。しばらくして、あの子は部屋に戻ってきて、普段僕が使っているベッドの上に横たわり、おやすみ、とぼくに言った。電灯が消える。なんだか僕が、あわよくば、と妄想していたような空気は、僕とあの子の間にはまったく一筋も流れずに、そのまま僕は泥のような眠りの中に沈み込んでいった。

 翌日、僕はあの子を駅まで送っていき、お互い笑顔で、またね、と挨拶をして、別れた。

 僕はそれからしばらくの間、枕に移ったあの子の髪の移り香を名残り惜しく嗅ぎながら眠りに就く日々を送った。


 その後、僕は夢を諦めて地元に戻り、無難な感じの勤め口を見つけて職に就いた。あの子も専門学校を卒業して資格を得、地元を離れて県外の土地で就職した。

 それからも、細々したメールでのやり取りや、ゴールデンウィークなどのまとまった休みが取れるときなどに、あの子が帰省してきて、一緒に昼食を取りながら近況を報告し合うような、ごく一般的な友人としての僕とあの子との関係は続いた。

 そうした地元での会食の何回めかのとき、僕はあの子の口からごく自然な調子で、付き合っている男性ができた、という報告を受けた。

 そうか、と僕は思った。

 その次の会食のときには、付き合っていた男性と無事結婚することになった、という報告を、また僕は受けた。

 僕はやはり、そうか、と思った。

 そういうことを経た後も、あの子は帰省する度に、僕と一緒に食事をして、近況を報告し合う機会を作ってくれたし、田舎町のボロいカラオケ屋でアニソンを絶叫することに付き合ってくれたりもした。

 僕とあの子のそんな交流も、時が経つごとに次第に間遠になっていって、いまではメールでのささいなやり取りも、完全に途絶えた。


 そうなってしまったいまも、僕の心の奥では、まだ、こんな思いが未練がましくくすぶり続けている。


 もしも、あのときの喫茶店でのあの子のなにげない言葉に、僕の本心をさらけ出して答えていたら――


 もしも、あの子が僕の部屋のベッドに身を預けたとき、自身の心の中にある醜い欲望について打ち明けていたら――


 そうしたら、僕とあの子との関係は、いったいどういったものになっていたのだろう?――


 いま僕は、ネットのクチコミサイトで都内の評判のいい風俗店を調べている。

 僕も、ネットミームで言うところの、魔法使い、という存在になってから随分の時間を経てきてしまった。むしろ、目の前にはもう、四十の坂が迫っている(四十を過ぎても未経験のままの人たちのことを、ネットではいったいなんと呼ぶのだろう?)。

 僕は有り金をはたいて、尊敬すべきプロの女性の方に、僕が童貞を捨てるお手伝いをしてもらうことを決心した。多少支払いが高くついても、信頼ができそうなお店を選ぼうと思っている。

 そうしてことが終わった後、僕の心の中でしぶとくくすぶり続けていたものが、きれいに燃え尽きてくれるのか。

 それはまだ、わからないことだけれども――

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