第12話 憎しみを忘れない者

「これが安全保障隊隊士の拷問された跡です。このようにペストたちは人々を捕獲し、苦痛を与える恐ろしい存在なのです」


 バロンの死体はメディアにいいように使われた。安保隊はバロンがペストに捕まえられ、それに拷問されて死んだということにされた。彼の死体にあった銃痕にはなぜか誰も気が付かなかった。スイスの山で起きた悲劇は事実を歪められ、ペストの残忍さを誇張するものとなった。





 とあるスイスの街で、一人の男がぼんやりと、地面に落ちていた新聞を立ったまま読んでいた。「男」ではなく、少年と言ったほうが適切なのかもしれないが、彼の背負う暗い雰囲気は幼い子供のもつものではなかった。


 雨が降っていたので、傘もなにもさしていなかった男は、シャワーを浴びたように濡れてしまっていた。落ちていた新聞も水分を吸って、しわくちゃになっている。だが、男が移動する気配はなかった。彼はただただ光のない、虚ろな目で、新聞の大きな見出しに書いてあった「アイガーペスト集落事件」の字を見ていた。


 ふと、雨水を踏む音が響いた。男はちらっと顔を上げた。どうせ地元民か観光客だろうと思ったが、実際の足音の主は奇妙な風貌をした背の高い人物であった。

 それは全身黒い服を着ていた。同じく真っ黒なマントは、風に吹かれ揺れていた。顔は見ることができなかった。ペストマスクをつけていたからである。


「お前から力を感じる」


 不思議な人物は英語で話しかけてきた。


「強い力だ。怒り、憎しみ……」


「何の用だ?」


 すっかり水浸しになった男は聞き返す。声は低く、口調も以前とは全く違う。


「安心しろ、ペストの少年。俺は安保隊ではない」


 いきなりペストであることを知られてしまい、男は身構えた。ペストマスクは軽く笑った。


「そう警戒するな。同胞は仲間をすぐに認知できるものだ」


 同胞ということは、このペストマスクも自分と同じ、能力を持ち使える人間なのだろう。


「私はお前を誘いにきたのだ」


 ペストマスクは言葉を続ける。


「今、私は巨大な組織を作る計画を立てている。世界中のペストを集め、かくまうような組織だ。強い12人のペストを選び、彼らに組織を統制させる……。その一人にお前がピッタリだと思うのだ。私と一緒に組織を作っていかないか?」


 男は馬鹿馬鹿しいというように頭を横に振った。


「どうせ人間どもに見つかって終わりだ。ハチの巣にされる」


「そうだな、神のご加護がなければ」


 突然カルト教団のような発言した相手を、男は疑わし気な目線で睨んだ。


「変に思うのも仕方があるまい」


 自分の考えているすべて見抜かれているようだった。


「お前は神に会っていないからな。だが、見ればわかる。あの方の力は強大だ。あの方の力があれば、人間を滅ぼすことができる」


 男は最後の一文に心が惹かれるのを感じた。結局自分の身の上に起きたことはすべては人間が原因なのだ。一度信じかけたことはあった。だがやはり、自分の姉と父の夢は空想でしかなかった。人間に撃たれたとき、彼らは一体なにを思ったのだろうか。


「その通りだ、我々の最終目的は人間を滅ぼすこと。人間を滅してやっと我々は自由になれるのだ」


 ペストマスクは高々に語った。男はしばし思案した。だがすぐにどうするか決めた。


「わかった、参加しよう」


 ペストマスクは仮面の下でにぃっと笑った。


「まことに光栄だ、少年よ。お前は今から『神の僕』の一員だ」



 それ以来、男の姿を見るものは誰もいなかった。



 彼が今、どこで、何をしているのかは、誰も知らない。

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手のひらで踊る ~Fairies 短編~ 西澤杏奈 @MR26

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