懺悔室

十余一

懺悔室

 神よ、何故このような試練をお与えになるのですか。

 私は七難八苦を望んではおりません。艱難かんなん汝を玉にすと申しますが、私は玉になど成れずとも今生を平穏に過ごしたいのです。それとも私は知らず知らずのうちに大罪を犯し、その報いをこの身に受けているのでしょうか。どうかお導きと御慈悲をお与えください。


 四方を囲まれた狭い一室で、私は自分自身を抱きしめ、ただひたすらに祈りを捧ぐのです。

 青磁色の化粧瓦 タイル に覆われた壁は冷たく私を突き放し、背後にある小窓では鉄格子が外界を拒絶する。そして正面の扉は自らの手で鍵を締め、固く閉ざしてあるのです。神のゆるしを賜るまで開けることは叶いません。もう一生ここから出られないのではないかと錯覚するほどに、長い時間が過ぎ去っておりました。

 痛みに悶え、荒い呼吸に引きつるような悲鳴が混じろうとも、白い椅子に座し、ただ孤独に耐えるほかないのです。上擦った声は次第に嗚咽おえつとなりました。頭を抱え無様に泣き濡れる私の、なんと愚かなことでしょう。全身から噴き出した冷や汗は不快に流れ、涙と混ざりあい板敷きに水溜まりを作りました。その昔、涕涙ているいを用いて鼠を絵描いた画家がいたそうですが、私には一の字を書くだけの力も残っていないのです。


 朦朧とする意識の中で、私は縋るような思いで神話を想起いたしました。そうして気を紛らわせ、浅ましくも救いを求めたのです。


 遥かなる昔、この世に二柱の神が光臨なされました。

 ユマリ神は道を通り、内なる世界から我々の世界へお見えになったのです。そのお姿は黄金色こがねいろに光り輝き、流れる川のように優雅でありました。そしてマル神は門をくぐり、内なる世界から我々の世界へお見えになったのです。そのお姿は時に石のように硬く、あるいは境界を失うほどに柔らかく、変幻自在でありました。神々は内なる世界の平和を守るべく、それぞれに道と門とを越えて来られたのです。

 しかし、二柱の神は、ほどなくしてお隠れになりました。そして内なる世界では新たな二柱の神が御生まれになり、再び我々の世界をおとなうのです。幾度となく滅びては現れ、その営みは絶えることなく繰り返されました。神々はそのように内なる世界を維持されていたのです。


 やがて二柱の神は、我々の世界に豊穣をもたらしました。

 我々の祖先は旧時、僅かばかりの土地を耕し糊口をしのいでおりました。貧しい生活を送る人々に、ある時、神より啓示が下されたのです。

「水瓶をあつらえ、神力を集めよ」

 人々はすぐに大きやかな水瓶を誂え、そこに神を御祀りいたしました。数か月ののち祈りは届き、神のもたらす恵みによって豊かな実りを得たのです。そうして我々の祖先はえ、地上に満ち満ちたのです。


 ところが、二柱の神は過ぎたる力をも我々の世界に授けました。

 地上に満ちた我々の祖先は、自らの繁栄を願うあまり余人を呪い始めてしまったのです。白い川に住む人々に、ある時、神より啓示が下されました。

「居を構え、いしずえに神力を集めよ」

 豊穣の神は、武略の神でもあったのです。おだやかな神は荒ぶる神に姿形を変え、あかく燃える薬を産みだしました。炸裂する薬はこの世のことごとくを貫き、人を死に至らしめる劇薬でありました。

 そうして人々は争い、互いを憎み、呪い合ったのです。赫く燃える薬によって、いったいどれほどの生命いのちが失われたことでしょう。しかし、人々はどれだけほふられようとも絶えることなく、豊かな実りによって殖え続けていくのです。


 時代は移ろい、我々は神のもたらす恵みと力に頼らなくなりました。そうして、いつしか神を敬うことすらを忘れてしまったのです。世界は開拓され、空白は減る。人々は全てを知り何事をも成しうると己惚うぬぼれる。そのような世にあって、神は過去の存在であると切り捨てられるのも詮無きことなのでしょう。

 しかし我々がどれだけ進歩しようとも、二柱の神から逃れることは不可能なのです。神々が道を通り、あるいは門を潜り、内なる世界から我々の世界を訪うことは、どうあっても止めることはできないのです。


 そして今、門を潜らんとするマル神は激流のように荒々しく祟るのです。内なる世界に災厄をもたらし、こうして外側の私をも苦しめているのです。痛みに身をよじり、芋虫のように丸くなり、いったいどれほどの時が流れたことでしょう。四方を冷淡な壁と扉に囲まれたこの狭い一室で、私はこうして祈りを捧ぐほかないのです。


 神よ、何故このような試練をお与えになるのですか。

 神の御心に添わぬにえを捧げ、神の怒りに触れてしまったのでしょうか。それとも、この身を厳寒に晒し、内なる世界を危機に陥れてしまったのでしょうか。私には、私自身の罪をつまびらかにすることは叶いません。何卒、何卒、お鎮まりください。そして憐れな私を救ってはくださいませんか。

 尿ユマリ神よ、どうか私をお導きください。荒ぶるマル神よ、どうか私に御慈悲をお与えください。私の人生に素晴らしき運幸ウンコをお授けください。

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